噂の彼女


「他には?」
 答えたのに我妻くんからの追及は止まない。他に? 他にって、なに?
「他に!? えっと……」
「はーやーく」
「え、あ、その……」
「なに?」
 至近距離で我妻くんと見つめ合う。心臓がうるさい。こんなところ、誰かに見られたらとんでもないことになっちゃう。
 私は意を決して口を開いた。
「すごく好きな人っていうのが……私のことだったらいいなって、思った」
 これでいいでしょ、と涙目で彼を睨みつける。我妻くんは一瞬視線を逸らして、
「……時間切れは時間切れだからね」
と結局私に口づけた。私は咄嗟のことで目を瞑る間もなく、彼の長い睫毛を見つめるしかなかった。彼の唇がゆっくりと離れる。
「結局こうなるの!? 私、ちゃんと答えたのに!」
 気を取り直して抗議した私に、彼がいたずらっ子のように笑う。風がふわりと吹いて、私たちの髪を揺らした。
「ていうか、反則負けです」
「何が反則なの?」
「かわい過ぎて反則なの。……先生のことに決まってるじゃん」
 さらりとそう言う我妻くんが私に背を向け立ち去ろうとする。私は咄嗟にその手首を掴んだ。
「何ですか?」
 振り返らずに彼が問う。私自身もこの行動の意味が分かっていなかったけれど、なぜだか離しがたくてぎゅっと力を込めてしまう。
「我妻くんはさ、なんでそんなに女の子に慣れてるの?」
「……え?」
「キスもうまいし、迫り方も大人っていうか……遊び人なの?」
 私の問いに、我妻くんの肩が震え始める。どういう感情か読めずに私はそれを見守っていた。やがて彼は振り返ると、真っ赤な顔で私を壁に追い詰めた。
「遊び人……? 慣れてる……? どこをどう見てそうなるんですか……?」
 怒っているのとは違う読めない表情に私は困惑した。最近大人びた顔ばかり見ていたから、年相応のその様子に新鮮さすら感じる。
「あ、ごめんね。言い方が悪かったよね」
 私の言葉に、我妻くんは壁をバンバン叩きながら驚くべき告白をした。
「俺はねぇ、雑誌とかネットとかで必死に涙ぐましく情報収集してんだよ、キスだって名前先生が初めてだよ! 何が遊び人なんですか、どこが慣れてんの!? 取り消してくれませんかね! 正直に言いますけど、いつも名前先生に迫った後は、『もしかして俺、結構イケてた?』とか考えてますから! 超かっこ悪いからね、俺!」
「あ、我妻くん、落ち着いて。ほんとにごめんね」
 ということは、我妻くんは本当は女性慣れしていないのに無理をしていたということなのだろうか。それってすごく。
「かわいい……」
 思わず零れた本音に、我妻くんが複雑そうな表情を見せる。やがて視線を逸らし、
「ああもう、今まで必死にかっこつけてたのに全部台無しだよ……名前先生のせいだからね」
と呟いた。
「別に無理してかっこつけなくてもいいのに」
「好きな人の前ではかっこつけたいでしょ」
「でも今日の我妻くん、超かっこよかったよ」
「……ほんと?」
「ほんと」
 それならまぁいいですけど、と不貞腐れたように我妻くんが零す。そして今度こそ剣道部に合流すべく、私たちは歩き出した。
「ていうかさぁ、早く俺のこと好きになってくれない? どうしたら好きになってくれるの? ねぇ名前先生、どうなの?」
「うーん、どうかなぁ」
 いつも大人びていた彼の素が垣間見れた気がして、ドキドキとは違う高揚感でいっぱいになる。頑張って慣れないことを必死にして、かっこつけてでも私の気を引きたかった彼の心情を考えると、なんだか浮かれてしまって仕方ない。こんな学生みたいな気持ちで彼に惹かれ始めているだなんて、どう伝えたらいいのだろう。だけどまだ全部は整理し切れていないから、この感情には鍵をかけて大切にしまっておかなくては。
「花でもくれたら、かな」

「お疲れさまでした!」
 グラスの音が軽快に響く。カクテルを喉に流し込むと、思わずため息が漏れそうになった。
「本当なら生徒たちも連れて来てあげたいものだがな」
「今度学校でお祝いしましょうか。それにしでも、みんな頑張りましたね」
「ド派手に優勝決めやがって、やるよなぁ、うちの奴ら。まぁ、俺様の指導があれば当然か」
 天元と煉獄さんと三人で、学校近くの居酒屋にて杯を交わす。このささやかな祝勝会は生徒たちへの賞賛から始まり、天元の自画自賛に続き、煉獄さんへの感謝で終わる流れを何度もループした。しかし何度話しても感動は薄れず、一向に話が途切れる気配を見せない。特に我妻くんの話題が出れば、私は自分のことのように得意な気持ちになってしまう。
「いや、でもマジで煉獄が来てから本当に強くなったぜ。実家の道場は最近どうよ?」
 何杯目かのビールを傾けながら、天元がそういえばと言った様子で煉獄さんを見る。
「父と弟が協力して切り盛りしている。少し流派というか考え方が異なる部分もあるため、俺はあまりそちらには顔を出していない」
「まぁなぁ。お前も若い頃、親父さんと色々あったもんなぁ」
 天元がジョッキを傾ける。煉獄さんも苦笑しながらそれに倣った。
「もうそのことは良いのだ」
「お父様って、後援会の会長様ですよね? この前学校にいらしてた」
「そうだ」
 煉獄さんと目が合う。何故だか一人で勝手に気まずい気持ちになり、視線をパッと逸らす。
「苗字先生、煉獄の親父さんと知り合いかよ?」
 煉獄さんの前なので、慣れない呼び方で私に話しかける天元がなんだかおかしい。
「この前のSNSの件で口添えして下さったみたいなの」
「そういうことか」
「宇髄先生も本当にありがとね。もう一度お礼を言わせて」
 頭を下げると、二人は同時に私の頭に手を置いた。
「顔を上げなさい」
「何度も言わすな。ありゃ俺の責任だ」
 二人の言葉に頭を下げる。私は笑って頷いた。
「しかし親父さんも変わったよなぁ。昔は笑顔一つ見せねぇ、口も利かねぇで、なかなか近寄りがたかったもんだ」
「宇髄先生も煉獄さんのお父様とお知り合いなの?」
 こんなところで話題になっているなどとは思いもしないだろうな、と後援会会長の顔を思い浮かべる。
「俺ら、大学の同窓だからたまに互いの家に行ったりしてたんだよ。それに煉獄の家は道場もあるし、剣道部員はしょっちゅう練習させてもらってたっけな。今考えると贅沢な話だわ。バカな学生がギャーギャー騒いで、そりゃ親父さんもいい気はしねぇわな」
 あの頃俺らは若かった、と天元がしみじみ頷く。
「父はああいう性格だが、決して君らを邪険にしていたわけではない。誤解させたのならすまなかった」
「あ、でも、お前の彼女には優しかったよな」
 途端にニヤニヤしながら天元が煉獄さんを見る。煉獄さんは当惑した様子でジョッキを傾けたが、何も言わなかった。
「彼女さん?」
 恐らく先日話題に上がった例の彼女だろう。あの日のように胸が嫌な痛み方をする。
「すげぇ可愛い彼女がいたんだよ、煉獄のやつ。高校からだったか? 文化祭がきっかけで付き合ったって言ってくれたよな」
「そうだな」
「てっきり結婚するんだと思ってたぜ。なぁ、何で別れたんだよ。社会人になってからだよな、別れたの。結婚式の招待状待ってたのによ。あの子、マネージャーもやってくれてたのに事情が分からないから同窓会に呼びにくいんだよ」
 なぁ、なぁ、と天元が煉獄さんに絡む。酔っているわけではなさそうだが、気の置けない友人との晩酌が彼を無神経な方へ走らせていた。
「男女のことだ。そう気安く吹聴する話でもあるまい。俺の口から語る気はないな」
「そうかい、お堅いこって。でもよ、彼女、今は会社の先輩と付き合ってるらしいよな。どうやら煉獄と別れたのを後悔しているらしいぜ」
「後悔?」
 誰から得た情報なのか、天元の無神経は続く。煉獄さんはずっと聞き流していた彼の言葉に、ようやく反応らしい反応を見せた。思わず、といった様子で天元の顔を振り返る。
「ああ。就職先が男ばっかのブラックだっただろ? 今もそこで勤めてて、会社の先輩と付き合ってるけど後悔してるってよ。そいつがいい男じゃないのかもな。それに元よりあの性格だ、先輩に告白されたんじゃ断れねぇよな。仕事もやりにくくなるだろうし」
 まぁ噂だ噂、と天元が付け加えたが、煉獄さんの表情は曇っている。
 私はとても嫌な想像をしてしまった。うまくいっていた二人の仲を引き裂いた彼女の妊娠が、事故や事件によるものだったのかもしれない、と思ったのだ。その付き合っている先輩とやらは本当に煉獄さんと彼女が別れてからアプローチしてきたのだろうか。
「そうか。しかし、俺と彼女の人生はあの時違ったのだ。俺には幸せを願うくらいしかできないだろう」
「でもよぉ、煉獄も引きずってんだろ? 未だに女の一人も作らないってことはよ」
「そうではない」
「この辺でけじめつけて、さっさと前に進もうぜ。俺、今から彼女に連絡してやるよ」
「ちょっと宇髄先生、やめときなよ」
 煉獄さんが渋い表情をしているのが視界に入り、ようやく私は止めに入った。しかし私の力など彼の前では皆無に等しい。天元は私の手をかいくぐりながらスマホを操作し、彼女と思われる人物の番号を呼び出してしまう。
「もしもし? 宇髄くん?」
 数回のコールの後、可憐な声が聞こえる。煉獄さんの表情を盗み見ると、驚いたように目が見開かれていた。
「よぉ、元気か?」
「わぁ、久しぶり! うん、元気元気。急にどうしたの?」
「どうしてるか気になってよ。最近どうよ」
「うーん、普通?」
「なんだそりゃ」
 あはは、と笑い合う二人をよそに、私と煉獄さんはお通夜状態だった。気まずすぎて声をかけることすらできない。
「実は今、煉獄と居酒屋にいるんだ」
 天元が雑談の後に本題を切り出す。煉獄さんのジョッキを持つ手は震えていた。
「杏寿郎……と?」
「ああ。杏寿郎がお前と話したいってよ」
「そ、そうなんだ……」
 天元の捏造話に彼女の声も震える。私はこの気まずい状況の行く末を見守ることしかできなかった。
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