馬鹿にしないで


 まだ日が高かったため、どちらからともなく、「せっかくなら食事でも」という雰囲気になり、二人そろって駅前のシティホテルのランチビュッフェに向かう。ここは焼き立てパンがとても評判で、いつか来てみたいと思っていたのだ。ライブクッキングも評判で、中でもピザ生地が二人のシェフの間を舞う様は見ていて圧巻だという。
 私は勝手にデート気分でウキウキしていた。煉獄さんがどういう気持ちかは知らないが、こんないいホテルでのランチを男女二人きりというのは、傍目に見たらカップルに見える確率が極めて高い。愚かなことは百も承知で、今だけは仮初の恋人気分を味わわせていただこう。
「たくさん食べるんですね」
 席に着き、煉獄さんの更に堆く積まれた料理の数々を見る。思わず笑いだしたくなるほどのその量に、潔さすら感じる。
「む、苗字さんはそれだけか? もっと食べなさい」
「なんだか煉獄さんの方が先生みたい。ご心配なさらなくても、私は少しずつとって何度もおかわりする派なんです」
「なんと! その手があったとは!」
 私はいつの間にこんなに煉獄さんと打ち解けたのだろう。うまいうまいと叫びながら食べる煉獄さんにうるさいですよと注意しながらおすすめを教え合う。こんなにおいしく食事をしたのはいつぶりくらいだろうか。
「そういえば、部活はどうですか? みんな頑張ってますか?」
 みんな、といいながら聞きたい人のことは決まっているのだが。どうして気になる人と食事に来ているのに、他の気になる人のことを聞いているのだろう。私って、こんなに気が多かったっけ、とほとほと自分に呆れ返る。
「そうだな。以前に倒れた栗花落さんは体力がだいぶついてきて、ずっと実力がついてきた。我妻はサボりがちだったそうだが、そんなことを感じさせないほど部内でも圧倒的に強い。彼の相手をできるのは竈門くらいしかいないな」
「そ、そんなに強いんですか、彼」
「苗字先生も彼には思い入れがあるらしいな」
「思い入れというか……最近関わる機会がなぜか多いので」
 ごまかすように唐揚げをかじる。煉獄さんが微笑む気配が伝わってきた。
「宇髄も頑張っているぞ。何故か軽薄を装っているが、あんなに熱心な指導者はそういまいな。ことあるごとに俺に試合のオーダーの提案や練習方法の効率化について意見を求めてくる」
「そうだったんですか」
「夏にある文化祭についても相談されてな」
「文化祭? もうそんな時期ですか」
 毎年夏前に開催される文化祭では、各クラスと部活動でそれぞれ催し物をすることになっている。そういえば最近生徒たちが忙しそうにしていたな、と思い至った。
「俺が学生の頃も文化祭は盛り上がったものだ。恒例の告白イベントではたくさんのカップルが誕生したことを昨日のことのように思い出す」
「告白イベント? そんなのありましたっけ?」
 思い当らず首を傾げる。文化祭といっても私は当然ながら生徒に混じるわけはなく、いつも通り保健室に待機しているだけだから、雰囲気を何となく味わうだけに終始してしまうのだ。
「確か、校舎内に花言葉が書かれたカードが隠されており、生徒会室にあるその言葉に対応した花とセットで好きな相手に渡すというものだ。例えば、あなたを愛しています、というカードを見つけたら、生徒会室の赤いバラとセットで意中の相手に渡す、という風に」
 初めて知った赤いバラの花言葉に感銘を受けつつ、そんなロマンチックなイベントがあったことに驚く。それはみんな文化祭に力が入るわけだ。
 食事を終えて一息つき、デザートタイムに入る。色とりどりのケーキを持ち寄ればテーブルが華やぎ、満腹だった胃袋にも不思議と余裕が生まれてくるのを感じる。
「それで、煉獄さんは何人から花をもらったんですか?」
 一口サイズの苺のムースを口に運びながら問う。紅茶に合った春らしい味が口いっぱいに広がった。
「む、そういうことを訊くものではないぞ」
「いいじゃないですか、教えてくださいよ」
 煉獄さんはコーヒーカップを静かに置いて、口を開いた。
「俺はもらうのではなくあげる方だった。高校一年生の文化祭で、それこそ赤いバラとカードを渡して告白したのだ」
 しみじみとしたその口調は学生時代を大切に振り返っているかのようだった。
「甘酸っぱい青春の思い出ですね。それで、どうなったんですか?」
 学生時代の煉獄さんについて思いを馳せる。きっと既に今のように真っすぐな学生だったのだろう。まさか、意外にも反抗期だったりとか?
 想像できない姿に一人微笑みながら紅茶を飲み込む。
「ありがたいことに受け入れてもらえたよ。それからは長く交際が続いた」
 聞きながら、あれ? という気持ちになる。
――学生時代からの長いお付き合いの彼女さんがいらしたんですよ。
 甘露寺さんの声が脳裏に蘇る。
――ある日突然別れちゃったんです。
たぶん、これ以上聞いたらだめなやつだ。
――彼女さんに別の人の子供が出来ちゃったって聞きました。
「それで……その彼女さんとは……」
 それでもここで会話を止めるのは不自然な気がして、恐る恐る続きを促す。聞きたいような聞きたくないようなそんな気持ちが胸の鼓動のスピードを上げた。
「別れた。何年前のことだったか……彼女が俺以外の男性と子供を作ってしまってな」
 何も返すことができなかった。以前に甘露寺さんから聞いた彼女とは、高校生からの付き合いだったのだ。てっきり、大学生からの付き合いだと思い込んでいた。甘酸っぱい青春の思い出や苦楽を共にした彼女に裏切られるのはどんな気分だっただろう。私のつらさの比ではないのではないか。それでも彼はこんなに真っすぐに生きている。自分の甘さや弱さが急に恥ずかしくなってきた。
「今にして思えば、しっかり確認したわけではないから……もしかしたら俺と別れたいがための口実だったのかもしれんが」
 煉獄さんはそう言って再び一心不乱にスイーツを頬張り始める。もう吹っ切れているのだろうか、それとも気を遣わせないための振る舞いなのか、私にその真意は測れなかった。
「ちなみに俺が学生時代、剣道部ではひたすら試合を実演していた。くじ引きで一日の試合日程を組んで試合をするのだが、俺はくじ運が悪くてな。二日ある内の一日はほとんど出ずっぱりとかいうこともあったのだ」
 私が深刻に考えていると、煉獄さんは唐突に話題を切り替えた。もうそのことには触れてほしくないのだなと無言で了解して、その話に乗ることにする。
「ずいぶん偏ってますね。でも、すごく実力が付きそうです」
「ああ。運がいい奴は二日中、一度も試合をしないことがあったぞ」
「どちらかというと煉獄さんはくじ運がいい方だと思っていました」
 笑いながら返す。いつも笑顔で元気な煉獄さんなので、運を味方につけそうなイメージがあったのだ。いや、どちらかというと、悪い結果でもメソメソしない、という方が正しいかもしれない。
「俺もそう信じていたのだが、違ったようだ」
「ご愁傷さまです」
 笑い合ってデザートタイムを終了し、私たちはようやく帰路につく。
「苗字さんは似ているのだ」
 車を走らせてしばらく経った頃、運転席から視線を前方に送ったまま、煉獄さんがふと呟いた。あまりに唐突なその言葉に私は首を傾げる。
「何にですか?」
「……別れた彼女に、だ」
 ズキン、と何故だか胸が痛む。私は窓の外の景色に目をやって聞こえないふりをした。そして同時に得心する。ああ、だから彼は私にこんなにも親切だったのだ。温泉でも、レストランでも、SNSの件でも、全部全部、何もかも。
「……馬鹿にしないで」
 小さく呟いたその言葉が彼の耳に入ったかは定かではない。流れる綺麗な新緑が、何故だか急に色褪せて見えた。
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -