最初の晩餐


 天元の言葉に、私は大袈裟に声を上げて笑った。自分でも驚くほどのヒステリックな甲高い声に、天元が眉を潜める。
「やだ、天元ったら。一体どうしたの? 真面目な顔しちゃって」
「名前、俺は」
「合宿の疲れがまだ残ってるんじゃない? 私たちも、もう若くないよね」
 天元は私を押さえつけていた手を放し、ゆっくりとベッドから起き上がって嘆息した。
「……だな」
「びっくりしちゃったよ、天元がこんな冗談言うなんて。それにさ、私が煉獄さんを気になってる? ありえないでしょ、あんな真面目そうな人。超重そうじゃん」
 私は明後日の方向を向いて話し続けた。この言葉をずっと以前に聞いたことがあるような気がするけれど、なんとか思考を頭の片隅に追いやる。
「私も天元もライトに遊びたいだけなんだからさ、本気の恋なんてするわけないじゃない? ってことで、これからもお相手、よろしくね」
 振り返った私に、天元が一瞬傷ついたような表情を見せる。
「……当たり前だろ。俺が本気になんてなるかよ。辛気臭ぇ面してるからからかってやっただけだ。本気にされたらどうしようと、こっちがビビったわ」
「もう、迫真の演技すぎるよ! アカデミー賞ものだね。今からでも演劇部の顧問に代わったら?」
 いつもの雰囲気に似た、しかしどこかよそよそしい空気を割ったのは、チャイムの音だった。時計を見上げると、一限目の予鈴だったことがすぐにわかる。私は天元の背を押して保健室から追い出した。
「さっさと授業に行ってくださいね、宇髄先生。先生が遅刻なんかしたら示しがつきませんから」
「あぁ……じゃあ、またな」
 無理矢理保健室から押し出しされた天元が、名残惜しそうに廊下を行く背中を見送る。
「またなんて、ないよ」
 思った以上に冷たい声が喉から零れた。早急に関係を清算しなくては、と私の脳が急速に計算を始める。どうする? どう切る? 仮に切ったとして、相手は同僚だ。今後一切かかわり合いにならないなんてこと、できるはずがない。なるべく円満に、後腐れなく関係を終わらせる。一体、どうやったらそれができるというのだ。こんなに腐りきった関係を後腐れなく、なんて。
「先生」
 廊下の陰からもはや聞きなれた高校生の声が聞こえる。私はぎくりとしてそちらを振り返った。
「……我妻くん」
「名前先生、見えてますよ首のとこ。キスマーク」
ハッとして思わず首元に手をやろうとするが、以前も同じ手を食らったとギリギリでそれを回避した。
「残念でした。同じ手は二度と食らいません」
「今度は本当ですよ。鏡、見てみたら?」
嘘を言っているようには見えず、躊躇してしまう。やがてにらみ合いに負けた私は、保健室へ戻って洗面台の鏡に目をやり愕然とした。
「うそっ……」
「学校であんまりエッチなことしちゃダメだって、言ったばっかりじゃないですか」
呆れたように我妻くんが息を吐く。私は首元を抑えたまま呆然としていた。さっきの天元の仕業だということは容易にわかる。だけど、今までキスマークをつけられたことなんてなかったのに。
私は整えたばかりのベッドに思わず座り込んでしまった。我妻くんはというと、勝手に棚をガサゴソと漁り始めている。そして私に向き直り、もう一度ため息を吐きながら言った。
「絆創膏で隠してあげますよ」
「え、いや……あからさまじゃない?」
「一つだけならね」
意味を測りかねていると、我妻くんが手鏡と絆創膏の箱を持ったままこちらへ歩み寄ってきた。そのまま先ほどの天元と同じように私を押し倒し、キスマークのついていない方の首筋へ吸い付いた。
「やっ……我妻くん!? 何してっ……」
「ちょっと黙ってて」
 沈黙を強制するかのように一度軽く唇にキスを落とした我妻くんは、そのまま首筋にいくつも印をつけていく。
「だ、め……あが、つま、くんっ! ん、やっ……」
「……これくらいでいいかな。はい、鏡」
 我妻くんが差し出す手鏡に首筋を映した私は、思わず絶叫しそうになる。
「何これ!? すごい首怪我してる人みたいじゃない!」
 無残にもキスマークだらけになった首筋は、傍目にはとても痛そうな様相を呈していた。
「だから、こっち側に大きい絆創膏を貼っておいて、片方もそれなりに貼っておけば、ただの首を怪我した人になれるでしょ」
 確かにその通りなのだが、私は一体何をしてこうなった設定にすればいいのだろう。しかし、我妻くんが私のピンチを思わぬかたちで救ってくれたことは事実だ。方法が突飛すぎてあまりにもおかしいけれども。
「あははっ……もう、我妻くん、私これじゃ、ただのヤバい人みたいじゃん」
 思わず笑いだした私に、我妻くんも少しだけ表情を和らげた。
「よかった。やっと名前先生、笑ってくれたね」
「……そんなに怖い顔してたかな」
 私の首筋に絆創膏を貼りつけながら、我妻くんがぽつりと言う。
「さっき宇髄先生と話してるときは、胸の音が苦しそうだったからさ」
 彼の耳がいいとは聞いていたが、そんなことまでわかってしまうものなのだろうか。
「そっか……」
 私は無意識に呟いていた。
 それならば、今私が我妻くんに感じている安らぎやときめきは、一体どんな音に聞こえているのだろう。
聞いてみたかったけれど、何だか照れくさくて、結局私は口に出すことはできなかった。

「その首筋はどうしたんだ?」
 煉獄さんは私を見て開口一番、そう言った。ただでさえ大きな双眸が驚きで見開かれており、その衝撃を物語っている。
「ドライヤーとヘアアイロンで火傷してしまって……」
「養護教諭なのにずいぶんとそそっかしいものだな」
「そうなんですよね、気を付けないと」
 あはは、と軽く笑って、私は予約していたイタリアンへと一歩先に足を踏み入れた。店内は上品な間接照明で彩られており、評判通り、大人向けの雰囲気あるお店だ。
 思い思いのメニューを注文し、私はあらためて煉獄さんと向かい合っていることを思い出す。話したいこと、というよりも、謝りたいことがたくさんあった。何から言っていいのか迷っている内に、早速注文した飲み物が運ばれてきてしまう。
「ええと……じゃ、じゃあ、乾杯」
「乾杯」
 私の赤ワインと煉獄さんの白ワインが軽快な音を立てる。何に乾杯しているのかはさておき、私の一人懺悔大会が幕を開ける。
「煉獄さん、あらためて、申し訳ありませんでした」
 私は勢い良く頭を下げ、先手を打った。
「煉獄さんには出会った日からかっこ悪いところばっかり見られてしまって、なんとお詫びしたらいいのか」
「……謝らなくて結構」
 少々気圧された様子で煉獄さんが答えた。私は恐る恐る顔を上げ、煉獄さんの表情を盗み見る。
「本来なら、こうして食事をごちそうしてもらうほどのことでもないだろう」
 白ワインを傾けながら煉獄さんが優雅に告げる。気遣っているとかではなく、本当にそう思っているのだということがわかり、私は少々拍子抜けした。
「一つ聞きたい。君は宇髄とどういった関係なんだ?」
 思わずグラスを取り落としそうになるほどの直球で、煉獄さんはいきなり核心をついてきた。どうこたえていいのやら、と私は押し黙った。
「恋人……には見えんな」
「まさか!」
 即座に否定して失敗した、と思う。恋人じゃないなら何だ、と思うだろう。そして私たちの真の関係にたどり着くまでに、時間はかからないに違いない。
 しかし、と私はあらためて思う。私は煉獄さんとどうなりたいんだろう。先日、天元に自分から言ったように煉獄さんは重そうだし、そもそも本気の恋をするつもりなんてない。煉獄さんに限らず、他の誰とだって。そうでなければ、私は天元の気持ちを知らないふりなんてしなくていいはずだ。そのまま彼の気持ちを受け入れて、天元と本気の恋をすればいい。そうでなくとも、我妻くんという高校生だって私に好意を向けてくれている。この堅物そうで難攻不落そうで、私に露ほどの興味も抱いていなさそうな煉獄さんをわざわざ選ぶ理由なんて一つもない。
「君は宇髄と、体だけの関係なのか?」
 お見事、名探偵。
 煉獄さんの指摘に内心で拍手喝采しながら、私は無意識に時計を見る。
 まだこの重苦しい食事会は始まったばかりだ。
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