試合開始のゴングは鳴らない
ふ、と詰めていた息を吐く。次いで肩の力を抜けば、張り詰めていた緊張感は途端に霧散する。
咲夜が額に滲む汗を手の甲で拭おうと片手を挙げると、それを遮るように視界の端からタオルが現れた。
「お疲れ様…」
「芹、あなたいつからいたの?」
差し出されたタオルを礼を言って受け取ると、芹菜は少し考える素振りを見せてから口を開いた。
「咲夜が『白夜』を取り出した辺りから…」
「つまり、最初からいたのね。…声を掛けてくれれば良かったのに」
咎めるつもりはないのだが、鍛錬を見られていたと言う気恥ずかしさから、咲夜は不満げにそう付け加えた。すると芹菜は、邪魔をするのは良くないと首を振る。
邪魔だなんて、と反論の為に口を開いた咲夜だったが、言葉を発する前にその口を閉じてしまった。芹菜の背後に立つ人物に気付いたからだ。
「お邪魔だったかしら?」
さらりと流れるブロンドを耳にかけ、ナタリアはアメジストの様な瞳を細めて微笑んだ。
「あら、よくお分かりじゃない」
咲夜がつんと顎を持ち上げそう返すと、ナタリアはほんの少しだけ唇の端をつり上げる。振り向いてその笑みを見た芹菜は、また咲夜とナタリアの応酬が始まるのだろうかと、紅い瞳を左右に動かし二人を見比べた。
「――…と言いたいところだけれど、何か用があるんでしょう」
僅かに伏せた目蓋の下で、咲夜の瞳がナタリアを捕らえた。
「もしかして仕事…?」
咲夜の視線を追った芹菜の呟きに、えぇ、とナタリアは頷いた。
漸く汗の引いた咲夜はタオルを丁寧に折り畳みながら、何かしら、と軽く首を傾げる。もし家庭教師の依頼ならば博識な自分にはぴったりだと思いつつ、ナタリアの言葉を待つ。
どんな仕事だろうと期待を込めて見つめる二人に、ナタリアは肩をすくめてみせた。