(異説)












音も色も無いただ広いひろい雪原にただ一点だけ今にも消えそうに存在する朱。僕は彼女の前を歩くか後ろを歩くか散々迷って、やっぱり横を歩くことに決める。この足がもっと長ければいいのに、何もしなければ自然と開いてゆく歩幅の違いはもどかしく、早足になるのを隠しながら、それでも余裕なふりをして。聴こえるのはほんの微かな風の音だけ、それすらもひどく遠い。

「不思議なところね。まるで、なにもかもが作り物みたい」

空だって雲だって木だって、そこにたしかにかたちは在るのに命だけをぽっかり奪われたような、自然な不自然の中をただ歩いていく。あまりにも違和感が無いから、あるとすれば自分たちのほうのような気がして、分からなくなるんだ、

「僕たちが果たして作り物ではないのかどうかも」

彼女の紫色の瞳に、一瞬だがたしかに陰が落ちて今更ながらに狼狽する。たしかに僕自身は常に危惧していることなのだけど、それを今こんなふうに口にするべきではなかった。

「ごめん、僕、変なこと、」
「いいの。わたしも、そうなんじゃないかって思うことがあるもの」

彼女のヒールの先がなにかを踏みしめ、ザクリと鳴った。
硝子のようなその欠片は、混沌軍が際限なく送り込んでくる気味の悪い人形、イミテーションのそれだった。秩序の誰かがここでこれを葬ったようだ。しかし随分大味な戦闘スタイルの戦士だったとみえて、腕や服や頭などそれぞれのパーツが、多少崩れてはいたけれど一見してほぼそれとわかるかたちのまま転がっていた。

「ほぼ一撃か…弱いヤツだったのかな。…ティナ?」

ふと見やった彼女の瞳はさながら目の前に転がるイミテーションのそれのように光を無くしていた。
その視線を追うと、見覚えのある短剣。ゆるく巻いた髪。頭のリボン。幾重にも重なった布。
ちいさな瓦礫と化したおおきな人形は、目の覚めるような朱色こそ持たないながら、精巧に目の前の彼女のかたちを映しだしていたのだ。

「……これ、わたしの」
「ティナ、行くよ」
「どうして…どうして、こんなの、」
「考えても仕方ないよ、混沌軍に常識なんて存在しない。意味なんて理由なんて求めたって得られないんだきっと」

足元で人形だったものの欠片が軋む。
彼女に負けじと震える声を隠すために喋りたてる、わざと難しい言葉を選んで。
とにかく早くここを離れよう、そして忘れてしまおう
(でも、こんな記憶に限って、残りつづけるのだろうけど)。
ぐいと引いた手の力がふわりと抜けて、僕は一瞬つんのめる。彼女はその場にくずおれたまま、欠片たちを視界に焼きつけていた。

「わたし…わたしは」
「ティナ」
「わたし…も、これと、同じなのかな」
「違う、ティナは」
「毎日、ただ同じように戦っているだけなら、」

この人形と何が違うというの、と絞り出した彼女の瞳は鈍く濁り、定まらない視点が欠片の間を不安定にふらふら舞った。

「わから、ないの」

揺れる髪。落ちる滴。溶ける地面。崩れて落ちる、朱。
言葉はこれでもかと大量に込み上げるのに、それでも堰を切れない。ちがう、ちがう、とただその同じ言葉だけが喉まで出かかって詰まって転げ落ちる。頭の回転は速いと自負していたのに、なんて情けない。
先に動いたのは体のほうだった。駆け寄り、力無く地面の雪塊に付いた手を握る。
「ほら、ティナの手、あたたかい」
あからさますぎるほどに、嘘だったけれど。
自分の声が思った以上に掠れて声になっていないことに動揺しつつも、悟られないように押し殺して。笑顔を、作れていただろうか。
彼女は未だどこにも焦点を合わせられない目をゆるゆると動かしてそれでもなんとか視界に僕を入れようとした。
「人形とは、こんなふうに、目を合わせられないよ」
きれいな形の目元口元が僅かに歪められたのと手が握り返されたのはほぼ同時だった。
僕はその手をとり、せめてこの雪原を越えるまでは絶対に離すまいと勝手に彼女の騎士になったつもりでいた。そのうち欲張りになって、今度は次のひずみに辿り着くまで、今度はあの山を越えるまで、と半永久的に期間を延ばしつづけそうな、そんな気すらしたけれど。



手を離したら消えてしまいそうだと思ったなんて言ったら、笑われてしまうだろうか。
新しくついては消えていく足跡に、かなしみの瓦礫は少しずつ置き去られていった。





2012/12/17 19:29



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