一月の寒い夜にもかかわらず、雪隆は玉緒を自宅前まで送り届けてくれた。今日は、午
に待ち合わせをして本屋で色々と見て回り、催し物をひやかして歩いていた。ただそれだけな
のに気がついたらもう日が暮れていたのだ。
「遅くまですみません」
 心底申し訳なさそうに眉を下げ、白い息を吐いて彼は少し頭を下げる。その堅苦しい仕
草とは対照に、手袋の指先はぎゅっと玉緒の掌を包んでいる。
「いいのよ、村田君こそ大事なときにありがとう」
「いえ、僕が頼んだことですから。おかげで明日から又、頑張れそうです」
 その言葉に、女はくすりと笑う。そう、今日は彼のセンター試験受験翌日なのだ。まだ
まだ気を緩めず二次試験に向け勉強を続けるべきなのだが、気を抜くことも大事である。
 昨日、センター試験の出来を心配した玉緒が雪隆にメールを送ったところ、
『センターはまあ出来たと思うんですが、気が張り詰めたまま戻らないんですよ。友達は
上手く息抜きしているみたいなんですが…、嫌な性分ですね』
と、実に彼らしい返事が返ってきたのだ。
『じゃあ、私で良ければ一緒に出かけない?甘い物でも奢ってあげる』
 その返信で、急遽出かけることになったのだ。
「受験が終わったら、今日いろいろ教えて貰った本が読みたいです」
「ええ、いくつかは買ってあるから貸してあげるわ」
 人通りの無い住宅街は木枯らしが吹き、人通りもなく酷く寒々しい。それなのに二人は、
いつまでもぐずぐずと別れる事が出来ずに居る。繋いだ手先は離れず、だけれどだんだん
途切れがちになる会話を、無理に繋ごうとしてぎこちなく笑い合う。

「あの、あの!すいません!」
「…ぁ」
 ついに、耐えきれなくなったのは青年の方だった。
 向かい合う先輩の背に遠慮がちにだが手を回し、その体を抱きしめる。全く様になって
ないその抱擁に、しかし玉緒は酷く動揺した。彼の体は思ったより大きくて、わりと長身
である玉緒をすっぽりと包んでしまったのだ。
 職員室の前でプリントをぶちまけていた男の子は、自分よりほんの少し高い目線だった
はずなのに。
「…すみません」
「いえ、あの…いいの、よ」
 硬直した玉緒の様子を拒否と取ったのか、雪隆は慌てて体を離そうとする。それを阻止
するように、そっと彼の胸に手を当て僅かに体重を預けてみた。
 広い、胸。視線をあげると、頭一つは高い位置に真っ赤な顔が見える。目鼻立ちも、男
の子と言うには失礼な位ずいぶん大人びている。
「身長、伸びたわね」
「え、ええ。はい」
 あごをあげて思い切り上向かないと顔がよく見えない。何で気づかなかったんだろう、
と玉緒は自省する。桜井姉妹がメガネだ虚弱だと馬鹿にするけれど、彼はこんなにも逞し
く成長し、玉緒が後を託したはば学の生徒会長も勤め上げたではないか。
 黙りこんでしまった玉緒に、雪隆はおろおろとしながらもじわりと腕に力を入れていく。
コート越しにでも伝わる女の体温は甘く、ここが冬の路上で有ることを忘れてしまいそう
になる。
 琉夏やコウにさんざんアドバイスを貰ったというのに、やはりここ一番では何も言葉が
出てこない。玉緒がそっと寄り添ってくれるだけで脳内も心臓も大変なことになっている
というのに、これ以上愛をささやいたり触れたりなど出来るわけがない。
「紺野先輩、あの、ちょっと早いですけど、これ…」
 片手は彼女を抱いたまま、コートの右ポケットから四角いケースを取り出す。一日中渡
すチャンスをうかがって触っていたから、少しラッピングがよれてしまっていた。
「え…?」
「誕生日、おめでとうございます」
 玉緒が受け取ったことを確認して、またそっと体を抱き直す。
 突然の贈り物に、玉緒の脳内は真っ白になった。思い直せば、彼は去年もその
前も誕生日プレゼントを寄越してくれたので当然と言えば当然の行動だったのだが、あま
りにもサプライズ過ぎて思考が追いつかなかったのだ。
「…うれしい…」
 だから、普段無意識に取り繕っている先輩の仮面がはがれ落ち、素顔でにっこりとほほ
えんでいたのかもしれない。手袋をはめたままの手では上手くラッピングをほどけそうに
も無いからとそのままぎゅっと握りしめる。
 その子供っぽいとも言える先輩の仕草に、青年はやられてしまった。見下ろす腕の中で
頬を染め溶けたように笑う彼女が可愛くて可愛くて、無意識に頬へ触れてしまう。
 生徒会長を二年も全うし、皆から信頼され、きりりと立つうつくしい先輩が見せてくれ
た甘さ。
「ありがとう…」
「…いえ」
 二人とも眼鏡の奥の瞳に普段の落ち着きは無く、お互いしか映っていない。自然と目を
閉じた玉緒に誘われるまま雪隆はキスをしようとした。
 が。
「あぶない!」
「へ?」
 唐突に現れた車は、まさか路上に人が居るとは思っていなかったのだろう。結構なスピー
ドで二人をかすめ、走り去ってしまった。ぎゅっと玉緒を抱きしめ塀に背を付けた雪隆は
ふと我に返り、あまりの距離の近さに真っ赤になってしまった。それは玉緒も同じで、プ
レゼントを抱いたまま素早く身を離してしまう。
「…―、か、帰ります…」
「…、そ、そうね、もう遅いわね」
 じゃ、とくるりと踵を返した青年は妙にぎこちない様子でがくがくと去って行く。普段
なら何度か振り返って手を振ってくれるのに、今日は全くそんなそぶりも無い。一応姿が
見えなくなるまで見送ると、玉緒もズルズルと塀に寄りかかってしまった。
「わたしは、なにを…」
 頬が熱い。真冬の路上だというのに、体がほてって思考が定まらない。このまま家に入
れば、きっと家族にからかわれるだろう。だから。と、手袋を外しちいさな緑色のラッピ
ングをほどいてみる。
 最初に貰ったのは眼鏡ふきという無難なもので、去年は隠していた玉緒の趣味がばれ
てしまい、はばたき市鉄のICカードキャラクター型お弁当箱と鉄道小説を貰ったのだ。
「かわいい…」
 薄紙に包まれていたものは、きれいな石が連なった華奢なデザインのブレスレットだっ
た。それは、生徒会長へでも親しい先輩へでもなく、女性への贈り物でしかも玉緒の趣味
によく合っていた。
 指先がかじかんでうまくつけられなかったが、軽く手首にはめてみる。服や装飾品にうとい
玉緒だったが、紺野家の玄関灯に透けるそれは実に愛らしく、ずっと身につけていたいよ
うな気にさせた。
「これ、…でも」
 ふと、心に暗雲が湧きあがる。彼のそばにいつも居る、愛らしい金髪の少女。あの少女
がこれを選んだのではないか、と疑るとすぐにブレスレットを外してしまいたいような気
持ちになる。あまりにも玉緒の趣味にピッタリでしかもデザインも良いとなると、雪隆一
人ではとうてい選んだようには思えなくなってしまうのだ。
 嬉しいのに、抱きしめられて舞い上がっていたのに、ほんの少しの疑念で心が凍るほど
の寒気がおそってくる。彼らが幼なじみで、友人だということはよくよく分かっているの
に不快感は治まらない。
「これが設楽の言っていた、コイゴコロって奴なのかな…」
 いつも鈍いだの何だのと言ってくる友人の顔を思い浮かべる。とりあえず彼女に話を聞
いて貰おうと、玉緒はコートの裾を払って玄関の鍵を取り出した。





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