新名掌編
夢現
夢を見た。
はばたき学園で、あの女の子と再開する夢を見た。なんて都合の良い夢だろう。
幻の世界だとは気付かずに、学内で再会した彼女と楽しそうに話す俺は幸せそうだった。
目が覚めて暫くは、本当に再開が叶ったと思い携帯を手にとって、彼女にメールでも送ろうかと指を動かした。
が、はたと我に返れば、彼女のアドレスどころか名前すらも知らない状態だと思い返し軽くベッドを叩く。
入学式の朝早々から何を妄想しているのかと自分に言い聞かせ、軽く頭を振ってベッドから起き上がる。
今まで何度も町で出会ったのだ、最近会えなかったのはただの偶然。去年あんなに出会ったのもただの偶然。
ゆっくりと構えていれば、今年中には又会えるだろう。
物分りの良いアタマは感情を理屈でねじ伏せた。
レッテル
見た目は小悪魔系と言うか、お洒落で可愛くて楽しいコト大好きに見える雪音だが内実は柔道部のマネージャー
をしっかり務め、サブカル的なものが好きだという凄まじいギャップを秘めていた。
入学式で再会した後、四月後半の部活動勧誘期間中に汗だくの柔道着男と校舎を歩いている姿を見たときは、
一つ年上だと知ったときと同じくらいに驚いた。街中で浮いて見えるほど可愛くて機転も利いて、話していて楽
しいコだと思っていたのに新名の毛嫌いする熱血に浸かっているのかと思うとぞっとした。
「ダセェし汗クセーし、なんでアンタが柔道部?」
あんまり驚いたから、放課後彼女をひっ捕まえて聞いてみた。きょとんとした雪音は、ノーメイクでもばさば
さ音を立てそうなまつげを何度か上下させ、こともなげにこう言い放った。
「嵐君に誘われたからよ?」
あ、嵐君てのは柔道部の部長さんで私のクラスメイトだよ、と補足をする声が新名の左耳から右耳に流れてい
く。誘われたからやる、とはなんとも原始的と言うか、これは一癖あるかもしれないと脳内で警戒音が鳴る。
「そうだ、新名君、見学に来ない?ちゃんと部室もあるし、いまなら嵐君の一番弟子になれるよ」
「パス、おれ熱血嫌いだし。それよりさ、今度どっか遊びいかね?」
まあ部活がどうであれ、彼女が可愛くて好みであることは確かなのだ。ここぞとばかりに押してみると、雪音
は新名を通り越して背後を見ていた。
「嵐君ー!」
「押忍。何だお前、新入生捕まえたのか?」
応えた声のほうを見ると、いつぞやの柔道着男が駆けて来る所だった。その暑苦しい容貌に近寄られるのも嫌
だと思った。
「じゃ、またね?」
「あ、新名君?」
部活の勧誘など真っ平だと逃げ出したその瞬発力と判断力が逆に、嵐の興味を引いたことなどその時の新名が
知る由もなかった。
カフェインをください
「新名くん、新名くん?」
ぽんぽんと肩を叩かれ、意識が一瞬戻る。閉じていた瞼を何とかこじ開けると、至近距離に雪音の顔があって
死ぬほど驚く。
「――っ!」
状況が分からずに混乱したが、心配そうな表情をさせたくなくて引きつりながらも笑顔を作った。
「寝てたのね?もう、倒れていたかと思ってびっくりしたじゃない」
「あー、ワリィ、っス」
そうだ、今は試験期間中で、でもどうしてもコンビニのバイトが休めずに睡眠時間が十分に取れていなかった
のだ。くらくらしながらも辛うじて土曜午前の試験を乗り切り、重くのしかかる睡魔に負けて試験結果も見ずに
柔道場で倒れこむように睡眠を貪った、はずだ。
「鍵はどうしたの?」
「窓が開いてたから、そっから入った…」
しかしまだ、しつこい睡魔は新名の精神を蝕む。体が重たくて、起き上がれない。
「ごめん、雪音…さん。なんか目ぇ醒める飲み物、ない?」
必死にそう伝えたが、彼女はふるふると頭を振った。
「部活は明日からだし、まだ時間あるから寝てたら?」
そんな声が聞こえて、雪音の温かな掌がくしゃりと新名の頭を撫でる。何度言っても直らない彼女の撫でぐせ
は、本当は心地良い。ただ年下扱いが嫌なだけなのだ。小さな子供ではないけれど、掌の体温に体中の力が抜け
る。
「みゆき…さ…」
「はいはい」
最後の最後まで手を伸ばそうとした新名に、つい笑みがこぼれてしまう。ごろりと横向きになって眠る彼は、
普段の格好付けた様子やわざと振りまく毒が抜け非常に幼く見えた。弱みと甘えを見せたがらない新名の寝顔が
可愛くて、明日からの部活動再開前に空気の入れ替えだけでもと柔道場に立ち寄ってよかったと思う。
自分の手を枕にして眠っている姿勢では手が痺れるだろうと思ったが、試験後なので鞄は数冊のノートしか入
っておらず枕になるようなものが何もない。
「新名君、ごめんね」
起こさないように気をつけながら彼の頭を持ち上げて、正座をした自分の膝に乗せる。
一瞬身じろいだものの、何度かごろごろと頭を動かした後、新名は又すうすうと寝息を立て始めた。
自分をコントロールする術に長けているとはいえ、まだまだ彼は子供なのだと思うとどうしても顔が笑んでし
まう。勿論雪音だって子供なのだが。
「お疲れ様」
セットもままなっていない、彼本来の髪の感触を楽しみながら雪音も軽く目を瞑った。
しずかなしずかな
海岸壁に座って、新名は釣り糸を垂れていた。秋の日差しは柔らかく、海は金色のひかりをちらちらと跳ね返
している。かぁう、かぁう、と鳥が鳴き、たまに背後をゆっくりと散歩をする人や犬を散歩させる人たちが通り
過ぎた。
くんと緊張した釣り糸に引きが有り、それに呼吸を合わせてリールを巻き上げると、掌ほどの魚がびちびちと
吊り上げられた。
「又釣れたの?」
「うん、今日はチョーシ良い」
手早く針を外す様子を、感心したように雪音が覗き込む。その手にはカメラが握られていた。
「じゃあはい、第三回釣れました記念」
いちにぃさん、との掛け声でシャッターが押される。新名の笑顔と銀色に光る魚が鮮やかに焼き付けられてい
た。
そして又、新名は釣りに戻り雪音は本を読み始める。
春に釣りが好きだと暴露してから、ちょくちょくこうやって海岸や川に出かける様になった。なにを話すでも
なく、新名は水面を見つめ、雪音は本や雑誌を読んだり写真を撮ったりして日がな一日を過ごす。
人といるときは相手をめい一杯楽しませ自分も楽しむ主義の新名としては、ありえないような過ごし方なのに
不思議とあっという間に一日が過ぎた。雪音も退屈することなく、ごろごろと新名に引っ付いたり離れたり、短
いフリルスカートをひらめかせながら海辺での時間を楽しんでいるようだ。今は近くにとまったかもめに、カメ
ラを構えたままじりじり接近している。
こんなに落ち着いた空気を共有できる相手にめぐり合えたことに、新名は心底喜んでいた。勿論、ナンパで出
会い楽しい時間を共有してきた少女達が、悪いとか劣っている訳ではない。ただ新名自身の根底にある、真面目
さや精神性とは相容れない子たちだったな、と雪音を前にして思ってしまうだけだ。
「何ぽやぁっとしてるの?」
かもめに逃げられたらしい彼女が、いつの間にか新名の傍に戻ってきていた。
「や、何でもないッすよ」
「誰も彼も空ろげなのは、秋の阿片を吸ったから〜って言ううたがあったよねー」
「何それ、俺がジャンキーだっての?酷いなー」
ノリとハヤリとレンアイだけじゃない、本当に話をしていて面白い相手。この曖昧な関係が恋でなくても、先
輩後輩の絆が切れても、一生何かしらの形で傍にいて話をしていたいと思える人。
雪音へ向かう感情はよりいっそう複雑に絡まりあい、新名の心に綾を織った。