バギー


『Pierrot and Circus girl.』





 朝、猛獣の雄叫びで目を覚ました。
 眉間に皺が寄る。わたしは動物園にでもいるんだっけ、と思ったけれど、そういえばここはサーカス団……みたいなものだった。

 昨日わたしの住む町を1発の砲弾で破壊した海賊団は多くの人を嬲り殺した後、金銀財宝とわたしを盗んで出航した。
 容姿端麗な両親から生まれたわたしは見事その遺伝子を受け継いだものだから、いつも見た目だけは褒められてきたのだ。
 まさかそれが原因で海賊団に連れ去られてしまうことになるとは。

 ベッドから降りると真っ白なシーツが少しずり落ちた。まだ少しぼんやりする頭でクローゼットを開ける。中にはショート丈の深紅のドレスが1着だけ掛けられていた。これを着ろということなのだろう。
 サテン生地のそれに袖を通して、顔を洗うために昨夜汲んでおいた真水を器に移し入れる。
 皿のようにした掌を水につければ、指先を刺す冷たさがいやに不快だった。




 どこに行けばいいのかわからずとりあえず甲板に出てみれば、赤鼻の男はすぐに見つかった。

「おう。昨夜はよく眠れたか?ナマエよ」
「ええ、まあ」
「別嬪な割に、相変わらず愛想がねェなァ」

 そんなことは昔から両親に幾度となく言われてきた。わたしは幼い頃から笑うのが苦手なのだ。
 男は白いグローブを嵌めた指を顎に添えながら、何やら訝しげな表情でこちらへ歩み寄る。まじまじとわたしの顔を見つめるその目が、ゆっくりと近づく。

「そのドレスはよく似合ってる……さすがおれの手配だ。だがしかしナマエ、化粧のひとつくらいしたらどうだ?」

 そう指摘され、自分の姿に目を落とした。
 今のわたしは艶やかなドレスにハイヒールパンプスという、まるでショーに出るような派手な格好をしていながら、髪は流したまま。その上すっぴんである。なんともちぐはぐな状態だ。
 どうやらそれがお気に召さなかったらしい。

「わたしの化粧品、みんなあなたが壊した家に置いてあったのよ」
「あァ……そりゃ悪かったな」

 男は思い出したように、そして悪びれもせずに言った。

「化粧品ならおれが持ってる。来い、特別にこのおれがしてやろう」
「え」

 掴まれた腕は立ち止まった足によって引っ張られ、つんのめった。
 振り返った男の顔をちらと見やる。
 「してやる」って、このピエロみたいな化粧をされるのだろうか。正直、それはすごく嫌だ。

「……あの、道具を貸してもらえたらわたしが自分でやるけど」
「おれに化粧されるのは不安ってか?」
「……」

 男の気分を損ねて殺されるのは敵わないし、かと言って化粧を任せて妙な顔にされるのも不安だ。答えあぐねていたわたしに男は眉間の皺をきつく寄せ、「バカヤロウ」と声を荒げた。

「こちとら毎日化粧してんだ。心配しなくても基礎くれェわかる。あとおれァ自分のモンを人に使われんのが嫌なんだよ!」
「……そう」

 返答を聞いても未だ不安は晴れないけれど、一先ずは男の言うことを聞くことにした。
 再び怒鳴られたくはなかったから、潔癖なのね、とは言わなかった。




「そこに座れ」

 男の部屋に連れてこられたわたしは言われた通り、豪華絢爛なドレッサーの前に腰かけた。きっとこういった調度品もわたしの町にしたように壊して奪ったものなのだろうとぼんやり考えた。

 男はファーのついた豪勢なマントをスタンドに掛け、続けて外したグローブを近くのテーブルに置いた。
 コットンを手に取り、化粧水を十分に染み込ませる。わかっていたけど、スキンケアもこの男がやるのか。

「ねえ、やっぱりスキンケアだけでもわたし自分で」
「アン?信用ねェなァ、オイ!いいから黙ってじっとしてろ」

 別に信用がないとかいう問題ではなく、ただ単に小っ恥ずかしいから嫌だったのだけれど。
 しかしそんな風に凄まれてしまえばもうわたしにその先を言うことはできなくて、大人しく目を閉じた。
 化粧水で冷えたコットンが肌を滑る。額までコットンを進めたところで、男が小さく舌打ちをした。

「髪が邪魔だな」

 そう呟いてわたしの前髪を指で掻き分ける。
 すると途端に動く気配を感じなくなったものだから、不思議に思って確認するべく目を開けると、男は眉根を寄せて、じっとわたしの額あたりを見つめていた。
 一体どうしたのだろうと一瞬考えてから、ひとつ思い当たる節を見つけた。わたしにとってあまりに当たり前のことのため、すっかり忘れていた。

 わたしの額……詳細には前髪の生え際に、昔両親につけられた無数の煙草を焼いた跡が残っているのだ。

 幼いわたしの額は両親の灰皿だった。周囲の目をひどく気にする2人だったから見える位置に痣などを作らせることは滅多になかったけれど、そのかわりにこういった隠れる箇所の傷痕は数え切れないほど存在する。
 思い出して思わず不愉快な悪寒が走りそうになるのと同時に、もう二度とあんな思いをしなくて済むのだ、なんて安堵から息が漏れた。

 わたしがこの歳になってもそんな両親から離れられなかったのには理由がある。
 これまで住んでいた町は小さくて町人同士の結束も固く、わたしが実家を出ればきっとすぐに噂になっただろう。そして世間の目が残された両親に向くことは十分に予想された。
 虐待がバレることを恐れた両親はわたしが実家を出ることを許さなかった。それでわたしはいつまでも両親の暴力から逃げられずにいた、というわけだ。

 そう考えると、相手が海賊とはいえこうして町を抜け出せたのだから、わたしはかなりツイてるのかもしれない。

 男が火傷痕を見つめたままずっと黙っているものだから不快にさせただろうか、と思いきや、眉間に一層皺を寄せて「コンシーラーなら消えるかァ……?」と小さく呟いた。
 どうやらわたしの傷痕自体には特に興味がないらしい。なんだか拍子抜けしたわたしは、もうすっかり思い出せなくなった「笑み」が込み上げるような心地がした。



「──よォし、これでいいだろう」

 フゥ、と男が満足げに息を吐いた。
 悪魔の実の能力で切り離された男の手が部屋の隅から姿見を運んできたので、わたしは促されるままその前に立った。

 鏡に映るその姿はさながらサーカス・ガールのようで、自身の見違えた様子に思わず胸を弾ませずにはいられなかった。

 赤をポイントに華やかに彩られたメイクは艶やかな深紅のドレスによく似合う。
 髪はメイクが済んだ直後「ついでだ」とアップに纏められたものだ。すっきりと、かつ華やかなそれに、改めてこの男の器用さを目の当たりにした。

 おとぎ話に登場する魔法にかけられたお姫様はきっとこんな気持ちなのだろうか。
 なんだか口元がひどく緩む。

「おォ、嬉しそうに笑いやがんじゃねェか」

 わたしの顔を見てそう言った男こそが、嬉しそうに目を細めて笑っていた。

 あの町にいたままなら、きっとこんなに派手で素敵な格好をすることはなかっただろう。
 あの時、この男が、連れ出してくれたから。

「ねえ、バギー船長」
「あァ?どうした、ナマエ」

 わたしが小さく零した呼びかけに、彼は眉をひそめながら振り向いた。

「明日もお願いしていいかしら」
「ハッ……気に入っちまったか?」
「えぇ、とっても」

 そんな返事に彼は目を見開いて驚きつつ、至極嬉しそうに「そりゃよかった」と言うものだから、わたしもつられて目を細めた。





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