秘密の場所
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宮城に出仕したきり戻らず、邸にいても滅多に触れ合わない皇毅と家人との稀薄な関係にお互いが慣れていた。
その上、葵邸には母屋と隔たれた西の対の屋と呼ばれる当主だけの館屋がある。
奥の館屋に籠り露台で一人で呑む彼に近付く者は怱々いなかった。
『妻』を迎えたその日まで
「皇毅様……此方でしたか」
しっとりとした声に反応し、上げる視線の先には柱の陰から覗いている妻の姿。傍へ行ってもよろしいですか?と問い掛けるように少し眉を下げている。
無言で指を倒すと嬉しそうに寄ってきて、ちょこんと傍らに座った。
皇毅が選んだ織色の絹を纏い着飾るその姿は、皇毅が邸にいる間にだけ見せる刹那のもの。
(美しい……)
素直に思い、楚楚たる妻を目で堪能する。
「皇毅様、お気に入りの場所に失礼致します」
「池を滑る涼風が上がるこの露台は静かに呑むにはいい処だろう」
酒杯を口に倒して梁に肘をつく。
昔、誰かに「肘をつくなんてだらしない」と叱られた記憶があるが忘れた方が良さそうだ。
「………お気に入りの場所って、秘密にしていたいものですよね?」
申し訳なさそうに微笑む玉蓮の頬を指の背で撫でる。
「お前にも秘密の場所とやらがあるのか」
教えろ、と柔らかい髪を指に巻き付けそっと引っ張っれば玉蓮は皇毅の懐にトンと頭を預けた。
「私にも大切な場所があります……でも、言葉にしたら無くしてしまいそうだから……秘密です」
静かに瞳を閉じて凭れ掛かり、胸を打つ鼓動に耳を傾ける。
規則的な優しい低音に玉蓮の頬がやんわりと緩んだ。
「ただ今の皇毅様は、……徐脈ですね…」
「だから何だ」
「ふふふ、お寛ぎのご様子です」
悪戯っぽく微笑み、ふう、と息をつく。
(……私の秘密の場所は、此処なんです)
誰にも教えたくない秘密の場所−−−皇毅の懐に収まり、ギュッと袂を握ると後ろから柔らかく抱き返された。
「………成程」
「え、?」
悟られてしまったかしら、と真っ紅な顔で見上げると皇毅の表情は微妙に複雑な色を含んでいた。
(どうしましたか……?)
声にならない思いを心中で叫び、掴んだ衣を揺すると寒色の双眸と玉蓮の瞳が合わさる。
ふ、と薄い唇に笑みを刻んで皇毅は残った酒を飲み下す。
「皇毅様は……秘密の場所を無くしてしまわれたのですか?」
「…無くしたが………また見つけた」
そうだろう?、と頬を寄せられる。
「今度は絶対、無くさないでください」
「お前もな……どうやら片方が無くせば自ずともう片方も失うもののようだ」
お互い秘密の場所を確認し合い、二人で夏の終わりの長夜をもう少し楽しむ事にした。
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