家に帰ったら妻が死んだふりを…
おそらく西偏殿にいるだろう妻を探して回廊を歩く皇毅は、奥へと延びる回廊の冷たい石畳の上に妻らしき人影が床に伏す姿を見つけ停止した。
どうしたことだ。
侍女もつけずに一人孤独に倒れている。一体何をやらかして倒れたのか想像もつかなかった。
しかし、皇毅は血の気が引く思いだった。
「玉蓮、……」
急ぎ走り寄ろうとするが、そこで更なる信じ難いものが目に飛び込んできた。
−−−−−チラリ、
走り寄ろうとする皇毅の姿を倒れている玉蓮がチラリ、と指の隙間から覗き見したのだ。
丁度いい具合に互いの視線が合ってしまった。
玉蓮は慌てて目を伏せてまた倒れている振りに戻る。
「…………」
どうしようもない猿芝居を見せられた皇毅は怒りを通り越しもはや白けて瞑目した。
家に帰ったら妻が倒れている振りをしている。
否、死んだ振りなのか。
なんだこの妻
鉄壁の無表情になった皇毅はそのまま立ち止まらず寄ると、愛妻を跨いで西偏殿に続く回廊へと向きを変えた。
先程肝を冷やしながら「玉蓮、……」と呼びかけてしまった自分に苛々していると、倒れていた玉蓮がムクリと身体を起こした。
そのまま観察していると、皇毅を探してキョロキョロを首を動かし股越されて遠くに行ってしまった事に気がつくとまた倒れた。
なんだあの妻
双眸を細め次にどうなるのか観察していると、倒れた玉蓮がまた起き上がり背中を丸めて西偏殿とは逆の東偏殿へと消えてしまった。
どうやら本日の奇行に対する説明を簡単にはするつもりはないようだ。
皇毅は御史台へ戻ろうかとも考えたが、また数日邸をあけてしまう為、このまま邸で過ごす事に決め自室へと向かった。
沓を脱ぎ捨て臥台の上で漢詩を広げていると香炉を携えた家令が無言で入室し、香を焚いてまた無言で行ってしまった。
玉蓮についてなにか報告があるんじゃないのかと喉まで出掛かったが、言葉にする前に消えてしまった。
機嫌の悪い家令と更に機嫌の悪そうな玉蓮の行動を思い返してみる。
鷹文が途絶えているのだから、何かあったに違いないのだが。
まるで見当も……
「………まさか」
一つだけ、思い当たる節かある。
凰晄がわざわざ『紅秀麗』の名を出して来たのには理由があるとすれば彼女に関することだ。
皇毅は手にしていた漢詩を卓子に投げ捨てる。
紅秀麗に関して申し立てがあるならば、おそらくまたしつこく倒れている振りをしてくるに違いない。
可憐な顔しといて中身は紅秀麗以上の図太さを持ち合わせている妻の奇行にまたもや付き合う羽目になりそうだ。
もはやどうにでもなれだった。
その日の夕餉を終えた皇毅は皇城からの召集がないのを確認すると湯浴みをして夜着のまま自室へ戻ってきた。
すると、また玉蓮が臥台の下で倒れている。
予想通りで嗤いそうになるが嗤うところではないので無表情のまま倒れる妻の前に立った。
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