不浄の海
「至極単純な事ですが、そんな宣言をされては、どんな高官であれ例外なく公に出来る妻は一人しか持てません」
だから何だというのか、妻は自分一人とすればいいだけの事。
それに三の姫は端から妾であれ自分以外の女を並べる事など許すつもりはなかった。
「何が問題だと言いたいの」
「察しが悪いですね……私には内縁ですが、既に妻がいるという事です」
三の姫の美しい瞳が見開かれ、その場の空気が嫌な音を立て揺れる。
しかし実際に揺れてるは三の姫の瞳だったのかもしれない。
皇毅はそんな彼女を気遣う素振りすら見せず四阿の縁で身を反りかえらせ、こめかみに長い指を這わせる。
「まぁ、貴女も内妾にくらいはしてあげられますが」
次の瞬間、指を這わせた皇毅のこめかみに激痛が走る。
三の姫が自身の扇を投げつけ、その角が皇毅のこめかみを直撃したのだ。
一瞬にして皇毅の額に鮮血が滴り落ちる。
「………」
扇を避けなかった皇毅はぽたぽたと襟口にまで落ちて来たものに目を向けた。
これでいい−−−
三の姫の怒り全てを自分に向けさせねばならなかった。
一欠片たりとも他へ向けさせてはならない。
四阿から遠く二人を眺めていた侍女達は絶句し腰を抜かす者もいた。
しかし玉蓮だけはサッと身を翻し、四阿へと走る。
「皇毅様!」
玉蓮の叫び声を聞いた皇毅は顔色を変え、滅多にない大声をあげた。
「凰晄!とめろ!!」
(三の姫の前に晒すな……!)
龍笛を持って戻った凰晄は急激な異変を察する。
しかし状況を把握しないまま玉蓮が出ていく前に掴まえて制止した。
玉蓮の声とその声を聞いた皇毅を目の当たりにした三の姫は内縁の妻が皇毅の狂言などではなく、偽りなく存在するのだと現実味を深める。
凰晄に抑えられた玉蓮は離して下さいと訴えた。
「皇毅様がお怪我を、皇毅様が」
「貴女の出る場所ではありません」
「私は医女なのに!離して」
必死に訴えるが凰晄は決して離さず玉蓮を邸の奥へ引きずって行く。
玉蓮が奥へ隠されたのを確認した皇毅は三の姫に向き直る。
「それで……?どうしますか」
返します、とでも言いたげに皇毅は足許に転がった扇をその足で蹴り、扇はバラバラと音を立て三の姫の足許に戻って来た。
「こんな、侮辱……、ただでは済まないから、わたくしの、お父様が……」
「宜しくお伝え下さい」
皇毅の眸は最初に彼女を迎えた時の無機質なものに戻っていた。
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