浮ついた世界


御史台長官室で殺人事件がおころうとしていたが、晏樹は皇毅が振り回す剣先を器用にかわし、積んであった書簡を顔前へ放り投げた。

放られた書簡が空中で二つに割れる。

バラバラ、と解体された巻物が床に広がると皇毅は「しくじった」と我に返って刀剣を鞘に納めて急いで書簡を拾い上げる。
見られては困る重要なものではなく、どうにでもなる部下の報告書だった事を確認して椅子に座った。

「旺季様が王になった暁にはお前なんかお払い箱だ。その時には絶対に刑死においやってくれる」

「ちょっと、何を寝言いってんの。誰が何になるって?」

困ったように晏樹は肩をすくめる。

「この室の壁には耳などついとらん。そろそろ紅州の鉄を動かす時期だろうからその詳細と手筈を聞かせて貰う。しかし内緒話をここで長々とされても迷惑なので今夜コウガ楼の離れ室をとっておけ」

壁に耳がついていたら二人仲良くクビが物理的に飛んでしまう内容を平気でベラベラと垂れ流す皇毅にさすがの晏樹も長官室の扉へ視線を向けた。

皇毅は御史台を完全に自分の牙城だと思っているようだ。

「何で僕がお使いかな。ただ皇毅が行きたいだけのくせに、気取ってないで自分で手配したらいいだろう」

「そこまで馴染みではない私では室を押さえられないだろうが。胡蝶はお前の頼みならば何でもきくだろうからお前がやっとけ」

お前が、と人に指を突きつける。

ともあれ門下省から呼び出さずに伝えたい事を言えたのでこれはこれで良かったのかも知れない。
晏樹が何故この室を訪れたのかなど、もはや知ったことではなかった。

話は終わりだとシッシッ、と指を跳ねさせる。

「否定しないんだね」

「何がだ」

「コウガ楼へ行きたいって事だよ。まぁ、皇毅も血が青かろうが人間だもの。こんな永久凍土とあの上から目線の家令がいる家との往復じゃ疲れるだろうから、たまには息抜きしないとね」

誰の血が青いだと。

返事を聞かぬまま晏樹は踵を返した。
聞かねばならない事は『鉄』の事だけではない。

『阿片』をどこで密造しているのか。
それを疑って刑部尚書が動いている事をどう考えているのか。

そもそも、阿片を何に使ってるのか……

晏樹は阿片中毒ではない。
自分ではなく誰かに使っているのだ。

売って大もうけしているわけ無いことを御史が命に代えて報告してくれた。

(嫌な予感しかしない)

皇毅の表情は一切変化しなかった。しかし心情は灰色に染まっていた。
どうしても見たい世がある。
けれどそこへ辿りつくまで、この世の色は灰色でしかなかった。

そんな今だから、思うのかもしれない。


極彩色の世界が見たい


現実の色を塗り潰す偽りの夢の世に浸っていたくなるのだ。

コウガ楼の妓女達の薄絹の色、
夕闇に浮かぶ紅色、桃色の風に揺れる提灯、

そう、ただ、自分が見たいだけだった。





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