ちぐはぐな音色
「紹介文に琵琶が得意とかなんとか平気で書いてあるが、あれから上手くなったのか?」
「いえ、別に……弾いてませんし。どうして琵琶が得意などと書いてあるのでしょうね。私の事を書くならまず医女であることですのに」
本気でそう思っているのだろうかと皇毅は呆れた。
貴族の妻になろうとする淑女が医女として働いていたなど致命的なのだが、きっとそれを言えばカンカンになるだろうから言わないでおいた。
「せっかく取り戻してやったのだ。調弦してあるので弾いてみろ」
「は、はい……」
三の姫は第四弦をわざと緩めていたが見事な演奏だった事を思い出す。
皇毅の前で弾いた事があった。
一度目は「ヘタクソ」と罵られ、二度目は御史台で朝を待つ間、まだ出会ったばかりで狼狽えながら弾いた曲に皇毅が笛を併せてくれた。
あの時にはもう彼の事が好きになっていたのだろう。
三度目の琵琶を弾けばまた何かが変わるだろうか。
あまり得意ではないが、母から貰った大切な琵琶を抱きしめて何を弾こうかと暫し黙考する。
「あまり難しい曲は弾けませんのでご容赦くださいませ」
念を押してからバラン、バラン、と奏でだす玉蓮の手に皇毅は双眸を鎮めて聞き入っているようだった。
琵琶の音色により室の空気が変わってゆく。
貴族の夫婦というものはこんな風にして夜を過ごすものだのだろうか。
きっと皇毅にはこんな関係を築ける女性と寄り添うのがお似合いでお互い心地好いのだろう。そんな甘美な間柄に憧れる。
すると皇毅が眸を開けて指を上げた。
「ヘタクソ」
「へ、へた…」
ガクリ…、
甘美な時間は皇毅の容赦ない一言であっけなく崩れ去り一度目に弾いた時分に逆戻りだった。
確かに聴かせる実力などないと返す言葉も出てこなくうなだれる。
「せっかく取り戻してやったというのに、そのヘタクソ加減はどうなんだ」
「どうなのでしょう……」
「私が龍笛を吹いてやるから音を合わせろ、このヘタクソ」
え、……。
このヘタクソとまで言われていじける一歩手前だったが、皇毅が笛を取り出し今弾いた曲を奏で出すと玉蓮も慌てて弦を弾いた。
氷の如く鋭く完璧な龍笛の音色に少し遅れてベヨン、ベヨンと続く琵琶。
それはあの時と全く変わらない二人のちくはぐな関係を音で現しているようだった。
それでも嬉しい、皇毅とまた合奏出来て嬉しかった。
琵琶が上手いから合奏してくれたのではない。
そう思えば皇毅の気持ちを知ることが出来て、ヘタクソでもよかったかもと思えてしまう。
−−−−きっと、心結では慕い合っている
翌朝、結局蜜柑の謎は持ち越されたまま皇毅は出仕し、傍に控えているだけの夜伽をした玉蓮は寝不足のまま回廊の床磨きに勤しんでいた。
本日も当主様の室から一緒に出てきた玉蓮に侍女は沸き立つが、昨日の一件もあり誰一人として『当主様の奥様に返り咲いた!』と騒げず玉蓮と共に床磨きをしていた。
「この仕事が一番腰にくるわよね…家の中では沓を脱ぐ習慣でもあればこんなに汚れないのに」
「昨夜はいきなりお蜜柑取ってしまってすみませんでした」
「本当ですよ!呪いの蜜柑泥棒よ!当主様が召し上がりたいなら仕方ないけど私、楽しみに……」
そこまでで侍女の言葉は止まった。
回廊から高い外壁の方を見たままゆっくりと指をさす。
「あれ、……何?」
玉蓮も指の先を見上げた。
外壁の外側に植えてある高い木に誰かがよじ登っている。
木登りでもしているのだろうか、それにしてもなんだか此方を見ているような気がする。
目を眇めた玉蓮は雑巾を落として驚愕した。
「秀麗様!?」
玉蓮の行方を探す秀麗がついに皇毅の根城を突き止めた瞬間だった。
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