沼の淵に佇む


昊に寒月が昇っていた。

それは漆黒の海に浮かぶ一粒の真珠の様で、豪華な回廊から眺めていると天井から垂れ下がる紗が波のようにそよそよと揺れた。

皇毅から贈られた真紅の珊瑚や白銀の真珠からは不思議な香りがした。きっとこれが海の香りなんだといつまでも楽しんでいた。

けれど贈ってくれた豪華な装飾品の数々よりも、宮城から届く文に綴られた皇毅からの言葉の方がよっぽど嬉しくて、その文は全て大切に宝匣にしまってあった。

その文が今はどうなっているのか分からないけれど……。

文に寄せられた皇毅の心が途切れてただの紙切れになってしまったのかもしれない。
文に綴られた言葉は海の底に沈んで残された真珠だけが寂しく海面に漂っている。そんな風に見えた。

この回廊の先にある試練に向かう準備をするように、玉蓮は昊に漂う月と風に揺れる紗を静かに魅入っていた。

後ろには妓女達が忙しなく行き交っていたが、玉蓮はすっかり妓女の成りをしていた為、誰一人声をかける者はいない。

妓女達にとっても官吏という高い身分は御贔屓となりたいお客様だろうから、回廊でぼんやり月を眺めているやる気のない仲間など構っている暇などないようだった。

「ああやって、月を眺めているだけで男心が掴めると思ったら甘いわよ!」くらいは通りすがりに思われたかもしれないけれど、そんな女ばかりの世界は後宮と少しだけ似ているのかもしれない。

妓女達が奥の客室に吸い込まれれると客間から管弦の高音が聞こえ始めた。ようやく宴が始まったようだ。

管弦の音に後宮にて駆り出された宴席を思い出す。
お酒が弱い上に、お酌役の女官として宴席に参加させられた時に味わったあの嫌な席の数々が、今向かいの客室で再現されている。

(そういえば、皇毅様と初めてお会いになったのも宴席だったわ)

顔を上げない謎の女官とご立腹の皇毅との最悪の出会い。
そんな最悪事件まで思い出すと悲しみを通り越して無性にムカムカと腹が立ってきた。

自分の人生は最初から波瀾万丈だったのだから、そう簡単に瓢箪から駒のように幸せになれるわけないんだと思えば納得できる。

どうせ賭博はもっと後になってから始まるのだから、今行っても不快な思いをするだけなので暫く回廊の隅っこに隠れていようと決め、外套を持って来なかった事を後悔しつつも灯籠の灯が届かない暗がりにちょこん、と座り込んだ。

「もし、お嬢さん?」

「…………」

「座り込んでいるそこのお嬢さん」

顔を上げると、お客らしき男が一人此方を覗いていた。
驚いた玉蓮がすぐさま立ち上がると男は安心したようにもう一歩近づいてきた。

なんだろうかこの人。

御史台に見つかったのかと警戒したが、玉蓮の警戒する顔はただの困った顔にしか見えなかったのか、男は破顔して手を差し伸べてきた。

「お姉さん方に意地悪されたのかい?どこの宴席に行くつもりだったのか教えてくれれば連れて行くよ」

差し伸べられた手を凝視する玉蓮だがじりじりと後退していた。
しかしどうしてだか男もじりじりと前進してきた。

「綺麗な人だ。名を教えてください」

「………は?」

ぽかん、と開いた口からは間の抜けた返事しか出なかった。





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