名前の由来
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名門貴族の子息が集まる書学院から戻った皇毅の息子が紙と小さな墨壺が備え付けられた筆を携えて父の室を訪れていた。
「ただいま戻りました父上。早速ですが……師から宿題が出まして、ご協力お願いします」
ぺこり、と下げられる頭を凝視しつつ皇毅は手許に置いた菊花茶を一口飲んだ。
香りを広げるかのように、初夏の涼やかな風が室に下がる紗幕を揺らす。
風味を堪能しながらも皇毅は感じている爽やかさとは程遠い口調で問いかけた。
「お前は自分で何の努力もへったくれもせず親を頼るつもりなのか」
不機嫌かつ呆れたような声色に息子はムッと口を歪める。
「今日の課題は父上でなければ分からないのです『自分の名の由来、または意味をまとめてくる』ですから」
「お前の、名の由来……」
皇毅はもう一度、中で菊花茶が揺れる器を唇へ運んだ。
筆を持って健気に宿題の答えを待っている息子と、椅子に凭れる皇毅との間に沈黙が降りた。
ぽくぽく、と過ぎ行く変な間に息子が痺れを切らして再び問い掛けようとしたところで漸く答えが返ってきた。
「…………生餃子だ」
−−−−は、?
「あの、……父上……今晩のおかずの話とかではなく……僕の名前の由来です……けど、」
「だから生餃子と言っている」
−−−−−−餃子!?
父上似の薄い眸をぱっちり見開いて息子は絶句。
あまりの珍回答に思考も停止。
構わず皇毅は『名前の由来』の話を続けた。
「お前を授かる以前、玉蓮は子宝に恵まれると云われた縁起物やら民間伝承をやたらと実行していた」
「そ……それ、僕の名前と何の関係が……」
「ある晩、玉蓮が寝所へ生の餃子を持ってきた。生餃子は『生孩子』と書いて子宝祈願にもなる。分かるか、お前の母に生の餃子を食わされたのだぞ……その不味さときたら…………薬草饅頭にもひけをとらない代物だった」
なんだソレ…………。
でも食べたのか、と息子は目をすがめる。
「それに因んでお前の名は私から『皇』を一文字授け、生孩子の『孩(ガイ)』を一文字とったものになった」
「そんな……」
馬鹿な。
息子は筆を下ろして俯いた。
妹の名は父上が好きな華の名前なのに、自分はなんと生餃子だったとは。
(なんて、適当な由来なんだ……こんなの宿題に書けない)
呆然とし礼もそこそこ肩を落として室を出ると、玉蓮が菊花茶の御代わりをお盆にのせて入るところだった。
今の話が聞こえていたのか眉が八の字に下がっている。
「母上……ただいま戻りました」
「お帰りなさい。その宿題のこと、私も話していいかしら。貴方の名前は私が考えたんだもの」
「え、母上がですか!?」
なんということだろう。
鬼父上ならまだしも、大好きな母上がこんな適当かつ宿題に書けないような名前をつけたとは。
息子はもう何も信じられなくなっていた。
ちょっと涙目にもなっていた。
「貴方がまだ私のお腹にいた頃ね、皇毅様は男の子と女の子の名前を二つ考えてくださったのよ」
嬉しそうに話す玉蓮は、懐かしい思い出に瞳を瞬かせていた。
「でもね女の子の名前はすぐに決まったみたいなのだけれど、男の子の名前でそれはお悩みだったわ。百枚くらい紙に名前を書いていたのよ」
「百枚……ですか。かなり優柔不断ですね……」
「違うわ。それくらい、百枚では足りないくらいの思い入れがあったのよ」
きっぱりと玉蓮に言われて息子は手にするまだ白紙の料紙を握り締めた。
「でもね、百枚書いても皇毅様は男の子へ御自身の字を授けて下さらなかったの。私はどうしても皇毅様から貴方へ一字頂きたかったから……『決まらないなら私が名付けます!』って申し出たの」
息子も何となく理解できる。玉蓮なら言いそうだった。
そして皇毅から『皇』の字を頂いて、さて次の字はと考えた時、玉蓮は皇毅と二人で生餃子を食べた夜を思い出した。
お子が欲しくて待ち望んで、心結の底から願い、食べた生孩子が忘れられない。
今でも、この先も忘れることなどないだろう。
そんな、想いだった。
「だから貴方を待ち望んでいた私達の心から、一字貰ったの」
−−−−私達のもとへ生まれてきてくれて、本当にありがとう
微笑む玉蓮に息子は顔を紅くした。
こんな恥ずかしい事を難なく言う。でもきっと本当のことなのだろう。
色々と名前を考えてくれた父上(決まらなかったけど)
字にそれぞれ想いを刻みつけてくれた母上
「ありがとうございます!母上がつけてくださったなんて大満足です!」
「ふふふ、宿題は後にして皇毅様と一緒に菊花茶をどうぞ」
戸口の話をすっかり聞いていた皇毅は、珍しく憎まれ口も否定もしなかった。
−−−−−しかしその夜、
南の対の屋にある自室で宿題に手をつける息子は頭を抱えていた。
(でもやっぱり結局、由来は生餃子なんだよな……)
今日の話を正直に書くか、それとも、もっとカッコいい由来をでっち上げるか……。
今日の宿題は百枚くらい書き直しそうだった。
了
[ 14/29 ]
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