跡継ぎの憂鬱


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葵邸南の対の屋


葵家の子供達が住まう館の室内で、皇毅の息子が蝋燭を灯しながら一人机案に向かっていた。

こんな夜半にはもう誰も訪ねては来ないだろう。
スリスリと墨をあたっていると不意に廊下から足音。

あれは母上でもお祖母様でも家人でもない。

(父上!!…………)

やばい

やばい!

息子は即行で広げていた料紙を畳もうとするが、すぐさま皇毅が前触れもなくバタンと扉を開けた。
こんな怖すぎる父上に反抗していつか室に鍵を掛けたい。

捕縛に踏み込んだ御史台官と処刑される罪人のような図で二人は固まっていた。

「な、……こんな夜中に何でしょう」

か細い声で疑問を投げかけると、父親が息子の室を訪ねるのに理由がいるのか、と厳しい言葉が返ってきた。やっぱりこの御史台官怖すぎる。

すると皇毅は黙って手を出した。

「持っているものを見せてみろ」

途端に息子は俯いて手にしている料紙を後ろに隠した。
やはりなと皇毅は椅子をぶんどり様子を窺う。

「お前が夜な夜な画を描いているようだと玉蓮から聞いてな」

「母上の気のせいです……」

「気のせいなら見せてみろ」

もう駄目だと観念してぐしゃぐしゃになっている料紙を差し出すと、皇毅は丁寧に机案に広げて紙を伸ばした。


広大な水田が描かれている。


いつか家族四人で田植え体験に行った官給田が、色を使っていないのに青葉の眩しさまで見えるようだった。

「田園風景か」

「………父上が意外にも田植えの達人だと判明した時の……その、思い出です」

達人と言われても皇毅とて田植えは初めてだったのに、他が下手すぎなだけだった。

「何故夜中にコソコソ描いている」

「……画を描くなど、下等な者がやることと、学友から聞きまして」

その言葉に皇毅は心底ガックリした。
良家名門の子息が集まる書学院に通わせた結果がこれときた。

おそらく高慢な餓鬼共の集いなんだろうとは思っていたが息子から出た言葉で確信した。

「百聞は一見にしかずという言葉を知っているか。この画が正にそうだ」

「父上……学友の言う事は本当なのですか」

「その学友とやらは画家を卑下する理由を述べてはいないだろう。それはそいつが答えを持っていないからだ。目下の者には威勢よくとも名門碧家の画の大家を目の前にして同じ事は言えないような輩だ」

息子はゆっくりと一つ瞬きをする。

いつか父の背を追って入朝したい。
学問に励み国を動かす事が貴族としての務めだと思う。

母は潰れかけた薬剤店の手伝いを減らして、書学院へ子供を通わせる名家奥様方によるお茶の集いに参加するようになった。

参加しておかないと何か不都合があるのかもしれない。

お茶の集いでどんな話をしているのか知らないが、たまに凹んだ様子で帰ってくる姿を見ると、申し訳ない気持ちで一杯になってしまう。

「母上は僕の為に色々我慢してくれているんです。だから、名門葵家の恥にならぬよう……僕は首席で入朝します」

「資蔭制に首席などない。親の脛かじっていた分、国試組と違って入朝してからの脱落ぶりが見るも無惨だ。お前の言う学友もその口だろうな」

「そうなのですか!?」

「それに玉蓮は『しゅん、』などと切ない眉毛しといて、気の合う名家妻友達見つけて一緒に薬剤店手伝わせているぞ」

「そ、そうなのですか!?」

ポカンとする息子に皇毅は口許を弛めた。

「世の中を見渡せ。正義が分かるだろう。正義を胸に秘めておけ。それぐらいが丁度いい」


悪を振りかざすのも、正義を振りかざすのも、見方を変えれば同じようなものだった。

大業年間や旺季の大乱

画員達が残した当時の昊の色を、音を、空気を、皇毅は鮮明に蘇らせることが出来る。


(この田園風景もまた然り)


「お前は画が上手いな。そこは私に似たのだろう」


息子は雷に撃たれたような顔をしたがそんな所も何だか似ていた。










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