影法師を追う


暗い室内に型どられた窓から旺邸の中庭が見える。

皇毅の視線は嘗て飛燕が手入れしていたその中庭で留まった。

(池がない…………)

思わず窓辺へ足を出しそうになるが、老家令の床を打つ沓音で踏みとどまる。
室から見える中庭には蓮池があったのだ。
彼女が大切に手入れしていた池に桃色の花が浮かぶと、あの窓辺から二人で詩を口ずさんだ。

水上に浮かぶ月に触れたいと池に入る彼女を追って眼前に広がったもの。
花びらが閉じた夜の睡蓮、不規則な波紋が揺れる水面、曇天の月も、そして彼女も、見るもの全てが美しかった。

しかしあったはずのものが土に埋められ、寂しく景色が様変わりしていた。
まるで、数少ない想い出に土を被せ埋められてしまったようだった。

もう、戻れない
やり直せない


窓の外を見ている皇毅に気がついた老家令は無意識に唇を噛んだ。
皇毅と飛燕が愛した蓮池だと知る家令には、池を眺めて戯れる者がいない事実が受け入れられなかった。

一人で池を見ているのは辛かった。脳裏に焼き付いた記憶が幻覚を起こす。
そんな日々が辛すぎた。

だから「池を潰し畑にしたい」と旺季に提案してしまった。
いつか、皇毅がこれを見てどう思うか。そんな事をずっと考えながら。

「蓮池を畑にでもしたのか」

「はい………大蒜でも植えようかと思いまして」

「お前がやったのか。飛燕が知ったらカンカンになるぞ」

老家令の下がった瞼がパッと見開かれた。

お嬢様は貴様に殺された!

何度となくぶつけた台詞が出てこなかった。
真っ黒い泥の溜まる井戸から澄んだ水と想い出が溢れるようだった。

澄んだ水の様なお嬢様。
その笑顔と、それを引き出す龍笛の音。

満月に光る水辺に浮かぶ睡蓮。


−−−ちゃんとそこに残っていたはずなのに、壊してしまった


闇を切り裂く皇毅の音色がもう一度聴きたい。

ポツリと、そんな事を思い、すがるように細く筋ばった手を伸ばそうとしたところで、皇毅は座り込む玉蓮の方へ向き直ってしまった。

「玉蓮、行くぞ」

妻の名を口にする皇毅に違和感が拭えない。
老家令が知る龍笛の音色に不協和音が混じるようだった。

(この女に、お嬢様の蓮池を見られなくて良かった。素敵な池ですね、などと喜ばれるなど、たまったものではない………)

二人が室から出ていった後も、取り残された家令はお嬢様の日誌を抱き、暫く蓮池があった場所を眺めていた。




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