月を遮る焔
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室を出た玉蓮は広い邸内に延びる簡素な廊下をとぼとぼと歩きながら、おでこに出来た瘤を撫でた。
たいした事ないのに、息の詰まる室を出る為の言い訳に使ってしまった。
(皇毅様………心配なさっているかしら)
申し訳ないと思いつつ、外の空気を深く吸い込む。
見上げると壁に切り取られた小さな昊。
ここは静かで穏やかだが、壁の向こうには別の世界がある。飢えや疫病、弱いものが踏みつけられる理不尽な現実。
皇毅や旺季、秀麗達の世界はきっと壁の向こう側。
玉蓮は言い表せない虚しさに苛まれ瞳を閉じる。
そのまま誰も通らない廊下にポツンと立っていると、邸の奥からギイギイと何かが風に揺れている音が聞こえてきた。
邸の何処から聞こえるのだろうと不思議に思い、音のする方へゆっくり歩いてみる。
回廊を曲がった奥、隠されたような室があり扉が風に揺れていた。
「あら、扉が………」
別段どうも思わず閉めようと扉に手を掛けふと視線を上げる。
そこには皇毅の室に飾ってある直筆の水墨画−−−まったく同じものが室内に飾られていた。
(皇毅様が懇意にされている旺季様へ贈って差し上げたのかしら)
辻褄は合うのに心の臓がドクン、ドクンと重たい鐘を鳴らす。
もっとよく見たいと室の中へ足を踏み入れた。
整頓された室には二枚の美しい屏風が立てられ、大きな机案の隅には化粧匣と簪入れが置いてあった。
此処は旺季の室ではない。
明らかに女性の室。装身具からして若くて品のある姫君がいるようだ。
室の暗がりに目が慣れてくると、視界が徐々に広がり奥に大きな書棚があるのが見え吸い寄せられるように置いてある書を見渡す。
『法学』『天文』『史学』『医学』『疫学』
多才な学者の書棚を思わせる書物が並べられ、入りきらないものは積まれていた。
試しに医学書を一つ抜きとると、玉蓮の知らない様々な文献が書き記されている。
もしこれを全て読破しているとすれば、旺邸の姫君は医術一つをとっても玉蓮よりも遥かに優れているだろう。
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