生きた昊もなく
−−−鉛入りの化粧道具
それは皇毅にとってさして珍しいものでもなかった。
それが巷で蔓延したとしても、死に至る程頻繁に白粉など顔に塗る者など庶民にはそういない。
(いるとすれば………)
皇毅は頤を持ち上げ、心配そうに昊を見上げる玉蓮に歩み寄った。
「先程、胡蝶とかいう名を出したが知り合いか」
「いえ……化粧売りを探していた時に偶然会った方で、その方も鉛の毒に気がついておいででした」
この世の人とは思えぬ美しい方だったのです、と玉蓮の脱線した話しは耳半分に確信する。
化粧をしないと生きていけない女。
短期間に鉛中毒に陥り倒れる女。
(妓女か…………)
コウ娥楼の妓女『胡蝶』に間違いない。
ついでに胡蝶の後ろには親分衆がついている。無法者と親分衆との抗争は、つまり鉛中毒に倒れた妓女の仇討ち合戦ということだ。
「………くだらんな」
つい、そんな感想が口から洩れた。
黴臭い綺麗事も人情話も心底うんざりだった。
−−−ペチン、
何だか間抜けな音が空気を抜けた。
皇毅の頬を玉蓮が平手で打った音だった。
「……………」
「くだらなくなど、ありません……」
思わず叩いてしまった玉蓮は自分の行動に驚いて掌を握り締める。
遠巻きに窺っていた家人達は衝撃に凍りついていた。
「……………お前、」
「……申し訳ありません。私はただ自己満足したいだけですから……だからもう連れて行って下さらなくて結構です。自分で参ります」
そう告げて踵を返し廊下を駆けてゆく玉蓮に入れ替わり、今度は家令の凰晄が眉を吊り上げやって来た。
来るや否や捲し立てる。
「あんな生意気な小娘ごときに何度フラれているのですか貴方は!『ぶたれたので離縁します』とネチネチ離縁状書きたければとっとと後を追って連れ帰ってきてから書いてください!」
脳裏で疾呼する声が回る。
−−−掃いて棄てた黴臭い『心』を、もう一度かき集めて追い掛けろ
それは旺季の声のようにも思えたし、書堂の師の声にも思えた。
馬の嘶きと蹄の音を聞いた皇毅は弾かれた様に後を追った。
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