葵の轍


朱色に耀く渓谷の如き屋根瓦に陽が落ちると、やがて小さな灯りがぽつり、ぽつりと浮かびあがる。

小さな灯火が、ぽつりとまた一つ。


暮れて尚、一層輝き天上と謳われた後宮も今はひっそりと成りを潜め飲まれそうな深い闇に溶けている。

紅貴妃に代わる揺るぎない妃嬪を後宮へ迎えなければ官吏達のくだらない覇権争いが巻き起こりそうだった。

夜の帳が下りる御史台長官室では僻地から戻った巡察御史が報告と弁明、打開案について長々と口上を並べていた。
『巡察を名乗った賊に州の常平倉を破られた』
この報告が一通り終わると、皇毅は無言で解雇印をドカリと書面に叩きつける。

「下がれ」

数刻続いた報告の中で皇毅が口にしたのはこの一言だけだった。解雇書面を前に御史は最後の言葉で食い下がる。

「しかし葵長官、常平倉に米などの備蓄は一切無かったのです。賊に破られはしましたが何も強奪されてはおりません」

「馬鹿めが!『常平倉が空』だと民に知られた事が強奪されるよりよっぽど不味いとまだ分からんのか!」

烈火の一喝に御史は瞠目した。

民を救済する為に開かれるはずの常平倉が空だということを知られた。
朝廷にむしり取られ続ける税は一体何処に消え失せているのだろうか、小さな疑念の灯火がつき、やがて大きな焔となることもある。

皇毅は怒りから沸き上がる目眩をなんとか抑えて冷徹な双眸を上げる。

「失せろ、手柄ばかり急ぐ能無しはいらん」

長い指を扉に向けると漸く巡察が書面を片手に室を去る。皇毅はすぐさま筆をとった。

常平倉を空にしたまま報告を上げない悪徳官吏の名が巡察からではなく盗賊から上がった。全く無様な成り行きだった。

酒が飲みたい一念でせっせと田植えに励むどこぞの稲作尚書の方が結果的にまだ立派かもしれない。

しかしこの件で一つ巡察の枠が空いた。

次に誰を据えようか、皇毅は数人の御史を吟味しだすが、ふと思う。覆面が鉄則の御史は意外であればあるほどよい。巡察ならば尚更。

(次に据えるのは、紅秀麗、榛蘇芳……より確実に化ける方だな)


後始末をつける為に一度視察に行かねばならないと考えているそばから次の急使が書状を届ける。




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