楯の番人
寒昊の庭院に面した長い回廊を渡る官吏達の足取りは一段と早くなっていた。
目をとめれば綿雪がちらちらと舞いだしている。
荘厳な永久凍土の御史台は薄気味悪いほどの静寂さを保ち、御史大夫室を行き交う御史達は余計な口は決してきかなかった。
室の大机案に座す皇毅は黙々と書翰に目を走らせていたが、不意に面を上げて大扉を見る。
三拍の後、音も無く扉が開いた。
(頭痛の種めが……)
込み上げる怒気を無言で抑え書翰を留めてある文鎮に手を伸ばす。
「ちょっとその文鎮どうするつもり?投げるならせめて筆にしてよね。当たったら頭カチ割れるよ」
「勝手にカチ割れてろ。何故こうも易々と御史台へ入り込めるのだ……衛士は何をしている……!」
入室した晏樹の巻き髪が閉まる扉の流れにふわりと浮いた。
「偉くなったよね、僕達も」
晏樹が温石の入った巾着をお手玉みたいに投げながら大机案の隅に腰を下ろすと皇毅の方は書翰を全て棚にしまい込む。
機密事項だと百篇繰り返しても暖簾に腕押し、糠に釘、晏樹に説教だった。
「皇毅は例の医女だが妓女だかとのオママゴトは順調かい?」
琥珀色の瞳が茶目っ気たっぷりに笑っているが、内容は全く笑えない。
どうしてこんなにもしつこいのだろうか。
これまでを鑑みても旺季以外の事でこんなにも晏樹が執念深くなるのは珍しい。
「お陰様で順調だ。そのうち祝いの餅でも配ってやるから黙ってろ」
「ふふふ、その医女って後宮にいた子だよね?その子さ、きっと…………」
「何だ」
−−−旺季様が進むべき道の邪魔になる
それは最後まで教えてやるつもりはなかった。
いつか皇毅も自ら気がつくだろうから。
皇毅は旺季の楯でなければならない。
悠舜も然り。
楯の番人である晏樹はもうすぐ訪れる大業の刻を見据えていた。
「探していた琵琶を見つけてあげたよ」
(玉蓮の琵琶か……)
しまった先を越されたと皇毅は目をすがめる。
「それを言いに来たのか」
「既に買い取られていたけれど、皇毅が直々に頭下げて取りに来れば譲ってあげてもいいってさ」
「……………」
顛末の何もかもが嘘臭い。
取りに行けば晏樹も目論見通りに動くのだろう。
コイツだけは侮っては駄目だと憎々しげに拳を握り締めた。
「そんな下らん撒き餌で俺が釣れるとでも思っているのか」
「琵琶は本物だよ。大切なんでしょ?気が変わったら声を掛けてね」
地顔の笑みを更に綻ばせ晏樹はゆったりと踵を返した。
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