「結局、高野とする時は、どっちが上だったんだ?」 食器を洗う俺の後ろから、缶ビールを持った桐嶋が何の脈絡もない話を振って、俺の肩に顎を乗せてきた。微かに耳元にかかる吐息が落ち着かなくて、鬱陶しくも体重をかけてきた桐島を払いのける。 「邪魔だから、どけ。…それに、そのことに関しては『ノーコメント』って言っただろ。蒸し返すな」 「そうだけど、来週のことを考えてたら、ちょっと気になって」 「来週?」 桐嶋は、缶ビールを一口飲んだ後で、ニヤニヤと楽しそうな表情を浮かべた。 …ああ、この顔、どうせろくなことでは無さそうだ。 「来週の土日、ひよが友達の家にお泊まりに行くって言ってるんだけどさ。あ、お前、勿論土日は俺の家に来いよ。猫も一緒でいいから。 ただ、前にお前が俺に突っ込んでもいいみたいなこと言ってたから、その日は俺たちどっちが上になるのかなあと思って。 お前、やっぱり次はタチやりたい?」 話を聞いている内にどんどん眉間の皺が深くなる俺の顔を見て、桐嶋が笑った。 「一回ヤっちまったんだし、今更そんなに照れんなよ」 「この顔が照れているように見えるか。というか、そういうことをキッチンで堂々と話すな。ひよに聞かれたらどうするんだ」 最後の一枚の皿を洗い終えて後ろを振り返ると、桐嶋は大して照れた様子もなく、右手で中身が少なくなったビールの缶を揺らしていた。切れ長の目を細くさせている様子は、どう考えても俺の反応を面白がっているようにしか見えない。 「ひよはまだ風呂だろ。…それに、前に俺が誘った時『ひよが居る日はやめろ』って言ったのはお前じゃないか。だから、ひよの居ない日を狙って事に及びましょう、というお誘いをかけているというのに。 …俺はあんまり気にしないし、ひよも大人の事情がちゃんと理解出来る賢い子だから、別にいいと思うんだけどさ」 「馬鹿か、駄目に決まってるだろうが。前にも言ったが、ひよの寝てる部屋の横でなんか出来る訳ないだろ。本当はソラ太が居る時も嫌なんだぞ」 「ああ、ソラ太はちゃんと寝室からは締め出すつもりだから安心しろよ。まあ、お前が見られてる方が燃えるって言うんなら、寝室の中に入れてやってもいいけど」 「……勘弁してくれ…」 呆れて嘆息する俺を、不意に桐嶋がじっと見つめてきた。ビールの缶をテーブルの上に置いて、顔を寄せてくる。俺がもう少し顔を突き出せば触れそうな位の至近距離に近付いた端正な顔に、桐嶋に初めてキスをされた時のことを思い出して、ぎくりとした。 …そうだ、こいつは街中でディープキスを仕掛けてくるような男だった。娘が傍で見ていようが、本当に気にしないかもしれない。 だが、まだ小学生の日和に、父親の、しかも男同士のそういう場面を見せていい訳がない。それに、そろそろ日和も風呂から出る頃合いだ。 「…おい、やめ…」 静止をかけようとしたが、桐嶋は触れるか触れないかの距離で、ただじっと俺の目を見るだけだった。 口を開けば、ふざけたことばかりが出る薄い唇は、今は閉じられたまま。 …何がしたいのだ、この男は。 そして俺は、一体どうしたいんだ…? 固まったままの俺に、やがて満足そうな笑みを一つ浮かべて、桐嶋はやっと顔を離した。 ―――その直後、ガチャッとドアの開けられる音がする。 「パパ、横澤のお兄ちゃん。お風呂あがったよー」 リビングにやって来たのは、件の日和だ。 「ちゃんと温まったか?」 桐嶋は、何事もなかったかのように、日和の頭を拭いてやっている。いつもの仲睦まじい親子の光景だ。 …そんな二人を呆然と眺めていると、日和が「どうしたの、お兄ちゃん?」と尋ねてくる。別に何でもないと答えたが、それを聞いた桐嶋は、優秀な答えを出した生徒を見る教師のような目をして、俺の耳にそっと顔を寄せて小声で呟いた。 「何かされるって期待してた?ひよが近くに居たらしないって言ったの、お前だろうが」 「………っ!」 「ひよ、次、俺が風呂入るから」 「はーい」 ひらひらと手を振って風呂場へと向かった桐嶋に向かって怒鳴り散らしたい気持ちを、肩を震わせて堪えていると、一体どうしたのかと日和が俺の顔を覗き込んできた。 「…あれ、お兄ちゃん、すごい顔になってるよ…?なんだか熱そう…」 日和に心配そうに見上げられて、漸く俺は自分の顔が真っ赤になっていたことに気付いたのだった。 2012.1.11 小ネタより移動 |