※高律が付き合っている前提のお話です 我ながら、随分とひねくれた大人になったものだと思う。 例えば十年前の自分は単純過ぎるくらい偽れない性格で、思ったことは注意していてもいつのまにかボロボロと口から漏れていた。嘘も隠し事も今以上に苦手で、何もかも顔に出ていたと自分でも自覚している。 あの頃の青臭い俺に戻りたいとは思わないけど、それでも過去の俺は今よりもう少し可愛げがあったのではないか。 挫折も何も知らなかった馬鹿正直な子供は、虚勢を張るくせに本音が言えない大人になってしまった。年を重ねる毎に変わっていった自分に、成長出来たかと少し満足もしているし、理想とずれた自分に変わってしまったことが悲しくもある。 けれど元は同じ人間なのだから、今の俺の中にも昔の俺は確かに息づいていて。今の俺にはとても言い難い本音が、ひょいと脳裏に顔を出すことがある。そして、それは油断をした時に現れる。 次の周期に向けて順調に発酵していくエメラルド編集部では、ピンクのファンシーな小物が次第に書類に追いやられていく。 そんないつも通りのエメラルド編集部で今日も今日とてノートパソコンに向かっていると、高野さんが突然後ろから耳元で囁いた。 「小野寺、お前今日仕事が終わったらうちに来いよ」 鼓膜の側で響いた高野さんの声に、思わず体から力が抜けそうになるのを堪える。厄介なことに、俺が耳元で息を吹きかけられるのが苦手だと知っている癖に幾度も繰り返されるこの誘い方も、俺にとっては日常風景の一部となっている。 「なんでですか」 「なんでも。今日は早めに仕事切り上げろよ」 「嫌です。明日も仕事ありますし」 高野さんの家に行って、すんなりと帰宅出来た試しがない。明日は早朝会議もあるし、今日は高野さんの部屋に行くのを断ろうと振り返ると、高野さんは楽しげに口元を緩ませた。 「嫌だって言っても、今日は無理やり引っ張って帰るからな」 「ちょっと、高野さん…っ」 抗議をしようと立ち上がって、ふと周囲からの視線に気が付く。周りを見やれば、俺と同じく仕事をしていた筈の木佐さんと美濃さんと羽鳥さんの手が止まっていた。 「『今日仕事終わったらうちに来い』ね。いいねぇ、お二人とも仲良くて」 ニヤニヤとした表情を隠そうともしない木佐さんは、さも面白いものを見つけたと言わんばかりだ。美濃さんも頷く。 「仲が良いのは、良いことだよね」 最近俺と高野さんが付き合っていると知ってから、この二人は何かとそのことをからかいのネタにする。木佐さん曰わく『後輩とのスキンシップ』で、美濃さんの真意はまだ読めない。 俺としては、高野さんとの関係を皆に知られているのはいたたまれないのだけど。この辺りで真面目な羽鳥さんが止めに入ってくれないだろうか。そう期待を込めて、未だ沈黙したままの羽鳥さんにも目を向けてみる。 (………いや、駄目だ。せっせとメモ帳に書き留めている………) 止めに入ってくれることは期待出来そうにもない。そう言えば彼の担当する吉川千春先生の今度の新作読み切りは、オフィスラブものだったか。読者アンケートで決まった内容だが、会社勤めを経験していない吉川先生のネームは難航していると小耳に挟んだ。 高野さんは素知らぬ顔で机に向かう。そもそも事の発端はあんただというのに、どうして関係ないような顔をしているんだ。一人で慌てて恥ずかしがっている俺が馬鹿みたいじゃないか………ああ、もう! 「絶対今日は、高野さんの家なんて行きませんからね!!」 編集部だけでなくフロア全体に聞こえる声で宣言した俺は余計に周囲の視線を集めてしまい、小さくなって座り込む羽目になったのだった。 そして、帰宅間際。宣言通り高野さんは、そそくさと自分の家に逃げ帰ろうとする俺の襟首を掴んで、高野さんの部屋へと引きずり込んだ。手際良く上着を脱がされ、ソファーに座らされる。 「すぐに出来るから、本でも読んで待ってろ」 頭をポンと撫でて、高野さんがキッチンに向かう。頭に手を置かれたのは久し振りで、何だか毒気が抜かれてしまった。 暫くすると、キッチンから良い匂いが漂ってくる。チーズとホワイトソースの匂い。一人暮らしを始めて何年も経つのに未だに手の込んだ料理を作れない俺には暫くご無沙汰だった匂いが充満する。間もなくして、キッチンから戻った高野さんがサラダと切り分けたバゲットがそれぞれ乗った皿をテーブルに置く。 「グラタンはもう少し冷ましてから持ってくるから」 「あの…高野さん、この料理……」 「お前、普段ろくなもの食ってないだろ。たまにはこうしてちゃんとしたメシ食わなきゃ体壊すぞ」 「よ、余計なお世話です!」 「本当のことじゃねーか」 「ご飯くらいいつもちゃんと食べてますよ」 「嘘付け。どんどん腰細くなっていってる癖に」 「…どこ見てるんですか、あんた」 …ああ、料理を食べさせるつもりだっただけなら、最初からそう言ってくれれば良いのに。さっき会社で妙に意識してしまった自分が滑稽だ。 高野さんと再び付き合うことになってからも、こんなことがままあった。わざと俺をからかって反応を見たり、逆に肝心なことを何も言ってくれなかったり。こんな調子だから、いつもお礼すら言いそびれてしまう。 もっと昔のように素直になれたらいいのに。きっと昔の俺なら恐縮しながらもちゃんと礼を言って、ドキドキしながら料理に舌鼓を打てるのに。 でも多分、高野さんは俺に何かしらの反応を返して欲しくてこういうことをするのだろう。高野さんと二人になると何を話して良いか分からなくなってぎこちなくってしまう俺のことを、高野さんは分かっている。 ちらりと高野さんを伺い見ると、少し目を細められた。 「それに、いいんだよ、今日は。時間がないからあんまり手の込んだ料理用意出来なかったけど、折角お前の誕生日だから何かしてやりたくってさ」 「はっ?誕生日?」 俺にとっては寝耳に水の言葉だ。しかし言われてみれば確かに、今日は三月二十七日。俺の誕生日である。 「…………………お前、もしかして今まで自分の誕生日忘れてた?」 「………はい………」 正直に頷くと、高野さんが大きく息を吐いた。 「なんだ、てっきり付き合う前みたいに、一緒に居るの照れて嫌がってるのかと思った。だから引っ張って来たのに」 「う…っ。でも、一応付き合いだして何ヶ月も経ちますし、今更照れてなんかは…」 「照れてるじゃねーか。昼間に会社で大声出した時といい」 「それは……俺、ああいうの苦手なんです」 「あんまりあからさまに避けられると、これでもちょっとは傷付くんだけど」 「そんなつもりじゃ…」 「だからさ、誕生日プレゼント」 グイッと高野さんの右手が差し出される。両掌を差し出すと、冷たい感触が落とされた。俺の鞄の中に入っているものと似た形の金属。 「これは、鍵…?」 「そう、俺んちの合い鍵」 そのまま開いていた俺の掌を握らされる。 「いつでも来ていいから、受け取って。もっと一緒に居よう、律」 「………………」 重なった高野さんの手は俺より少し冷たい。なのに熱く感じるのは、触れている部分から俺の体温が上がっていくせい。 ああ、こういう時こそ言ってしまえばいいのだ。あの時と同じ気持ちを、今伝えられたなら。 「高野さん」 「何」 「…好きです」 珍しく目を見開いた高野さんが、これまた珍しくくしゃりと顔を歪ませて笑った。 「俺も」 もうひねくれたことを言う余裕もなく、そのまま高野さんの胸に体を預けるだけだった。 「高律で律っちゃんのお誕生日を祝うお話」というリクエストでした。 この頂いていたリクエストのお話を、どうにかこの日の内にアップすることが出来て嬉しいです…律っちゃんお誕生日おめでとう! 素敵なリクエスト有り難う御座いました! 2012.03.27 |