漫画家という職業は、会社員のように酒の席に付き合わされるということはほぼない。 俺にとって飲むと云えば自宅で缶ビールの蓋を開けることで、ひきこもりがちな性分もあいまって、外に飲みに行くことも中々ない。だから、酔っ払いに遭遇する機会だってあまりない。 …けれどそんな俺が、今まで数える程だけど関わった酔っ払いを見て思うに、酔った人間というのは大体似たようなものだ。 まず、理性のたがが緩む。そのせいで普段は口を噤んでいる本音がポロポロ零れる。漫画などでもありがちなのが、上司への愚痴や不満を漏らしたり、酒の勢いを借りて秘めていた恋心なんかを打ち明けてみたり…ああ、けれどこれって自分の身に降りかかってくれば戸惑うけれど、人事なら笑い話でしかないよなぁ。それこそ俺も漫画のネタに使ってみたいかも。酔って普段より素直になった主人公に、どぎまぎする相手役……あ、でも俺の描く漫画って主要人物の殆どが十代の未成年者だから、酒をメインに扱った話って作りにくいな。エメラルドは結構自由に描かせて貰える雑誌だけど、一応看板作家の俺が、我を忘れるまで酔いつぶれる女子高生とか描いたらマズいよな。未成年者への飲酒を勧める表現とか言われたらどうしよう。「よい子はマネしないでね」とか隅っこの方に書いたとしても………駄目だろうなぁ…やっぱり。 それに、描いたとしても世に出す前にトリに「吉川千春の作風に合っていない」と却下されて、おまけに「作品の方向性を見失うな」と説教も付いてきそうだ。…確かに、リリカルセンシティブと評される俺の漫画の主人公が突如べろんべろんに飲んだくれたら、今まで築いてきた世界観も崩壊するだろうけど。 …ああ、そして大抵の人って、酔うと記憶力も鈍ると思う。自分が酔っている間のことをしっかり覚えているタイプの人も居るらしいけれど、俺も含めて俺の周囲は皆、記憶が曖昧になるか、綺麗さっぱり忘れてしまうタイプばかりだ。 例えば普段しっかりしてる優でさえ酔ってる時の記憶はどうしても胡乱なものだし、同じく普段落ち着いている俺の幼なじみも例に漏れず、そう…………。 ―――――ああっ、そうだった! 何で俺が酔っ払いについて徒然考えることになったかというと、俺に覆い被さったまま動かなくなったこの酔っ払いをどうしようかと考えていたからだった。 とりあえず、もう何度目になるか分からないけれど、また肩を揺すってみる。…やはり動かない。 なので今度は、夜中ということで少しボリュームは小さめに、けれどはっきり聞こえるように耳元で呼びかける。 「……トリー、起きろー…」 「………」 ついでにぺしぺしと頭を叩いてみたけれど、返事はない。 寝てしまったのかと思っていたけど、どうやら完全に寝入った訳ではないようだ。返事の代わりにもぞもぞと頭をすり寄せてきた。鼻先をくすぐったトリの髪の毛がむず痒い。 何だか犬にじゃれつかれたみたいでちょっと可愛いな…なんてうっかり思ってしまったけど、ほだされては駄目だ。動けるのならば至急どいて欲しい。 だって、今俺達が転がっているのは玄関だ。俺の上に乗ってるコイツには分からないだろうけど、玄関の床って固いし、冷たいし。抜け出ようと体を捻らせれば、板張りの床が体に当たって痛いのなんの。玄関は横になる為の場所じゃないとつくづく感じて、入稿の度に玄関先に倒れ込む己を少し反省した。 ―――ことの起こりは二十分程前だ。 風呂から上がった後、生乾きの髪をタオルでがしがしと拭きながらテレビを見て寛いでいた俺だったけれど、突然のインターホンの音にそれを中断させられた。 こんな時間に一体誰だろう。そう思いつつ画面を確認すれば現れたのはトリで、首を傾ける。いつもなら呼び鈴を鳴らすなんて間怠っこいことなどせずに、勝手知ったる人の家とばかりに上がってくるのに。 どうしたのかと問えば、「合い鍵を忘れた」と答える。ならばしょうがないかと玄関を開けてやれば、馴染みの姿がだんまりと立っていた。 「どうしたんだよ、こんな夜中に。俺、もう寝るところだったんだけど」 「……悪い」 「いや、別に怒ってはいないから謝らなくても…」 それきりトリはまた黙ってしまった。玄関に立ち尽くしたまま、ぼんやりと俺の顔を見つめてくる。 …かと思うと、不意にすっと距離が詰められた。 「ん、何………っ?」 前触れもなく唇が合わさる。口腔を貪るようなキスに、いつもとの違和感を感じた。 ちりっと舌に焼き付いた、酒の味。愉快なものではない。 足が立たなくなりかけた俺に気付いたトリが、体を床に倒してきた。その時にやっと唇が離されたので、覆い被さるトリの肩を掴んで、一応聞いてみる。 「……おい、トリ。お前、酔ってるだろう」 「……」 肩に置かれた手をそのままに、トリが俺の肩口に顔を埋める。もぞもぞと口を動かす気配がした。 「酔ってない」 (これのどこが酔ってないっつーんだ、どこが) ……そして、俺の体に重なるように倒れ込んだトリが、此方が呼んでも揺すっても動かなくなってしまったのだった。 なんとも中途半端に放置された俺は、さてこいつをどうしたものかと、かれこれ二十分悩んでいる。 いつもなら、こんなことをされれば「一体何するんだ」とか散々騒ぎ立てている。だけど、俺が文句を言う前にトリが動かなくなってしまったので、抵抗しそびれてしまった。 だらりと伸びているトリの体が重たい。床の冷たさとトリの体温との温度差が落ち着かない。 …ああ、なんで俺がこんな目に合わなきゃならないんだ。何だか、むかむかしてきた。無理やり引き剥がすことが出来ない自分にも、溜め息が零れてしまう。 俺は悪くない、悪いのはトリなんだ。 (………この、バカトリ……っ!) せめてもの腹いせにと、ぽかりと一発殴りつけた。 ―――すると、今まで無かった反応がやっと返ってきた。 「…………ん……?」 「起きたっ!?」 上体を僅かに起こしたトリが、二三まばたきをする。ぼんやりとした目の焦点を間近の俺の顔に合わせてから、呟いた。 「……千秋が居る……」 「…俺んちに来たのはお前だろうが…。まあ、いいや。起きたんなら早くどけよ」 「…………」 考える素振りを見せたトリが、暫くしてから額に口付けてきた。わざと音を立てたそれに、わなわなと肩を震わせた俺だけど、トリはしれっとしている。 「―――何するんだ…っ」 「して欲しそうな顔だったから」 「…んな訳あるか!こんなところで、そういう気分にもなれない!」 「…………………………」 「………な、なんだよ…」 急に何も喋らなくなったトリにたじろぐ。おもむろに喋り出したトリは、酔っている癖にやたらはっきり聞こえる声で言った。 「……わかった、場所を変えれば、そういう気分になれるんだな?」 「はあ…っ?」 立ち上がりかけたトリに、横からふわっと体を抱えられる。所謂お姫様だっこだ。二十九の男が、二十九の男に、お姫様だっこ。…あああ、酔っ払いって恐ろしい。 きっと少女漫画ならドキドキしている場面なのだけど、ふらつくトリの足元に別の意味でドキドキした。ヤバい。やっぱり、こいつ相当酔ってる…落っことされないかな、俺。 ………って、そうじゃなくって。 「おーろーせー!!」 「断る」 ―――結局、先に酔ったのはどちらだったのかと思う程まで、ぐずぐずにされて。 まだ酒くさい吐息を受けながら思う。 酔っ払いなんて、嫌いだ。 ポッキ様リクエストで「羽鳥が酔っ払って帰ってきて玄関に入るなり千秋をアーッな話」でした。 リクを頂いた際、楽しそうなシチュエーションにとてもニヤニヤとしてしまいました(笑)少しでも楽しげな雰囲気が表せていたなら嬉しいです。 リクエスト有り難う御座いました! 2012.1.12 |