ほかほかと湯気を立てるスープ皿の前で、ごくりと息をのむ少年が一人。白い肌を心なしかいつもより数段白くさせて、大きな目を細めて皿の上を凝視していた。 やがて意を決したように、勢い良くスプーンを伸ばす。掬った中味を口内に突っ込むと少年の整った顔は歪み、白い頬も紅く染まる。 彼がそうこうしている間に用意した水を差し出してやれば、すぐに奪い取られた。空になったグラスをドンとテーブルに置いた少年は、一息吐いて、一言。 「……やっぱり辛いんだけど、宮城」 「だろうな…」 予想していた通りの感想であった。 今日もバイトが長引いた忍が、慌ただしく帰宅してきた。 学部長に話をつけて無事に同居をすることになったとき、今までバイト代からいくらか親に家賃を払っていた忍は、これからは俺にちゃんと家賃を払いたいと言った。 俺は、「別に無理しなくていいから、気にするな」と応えた。 学生の忍より社会人の俺の方が収入が多いのは当然で、だから家賃を多く払うのも当然だ。今まで一人で暮らしていた時もこのマンションの家賃の支払いに困ったことはないし、これまで通りここの家賃は俺が全部支払ったっていい。 だが、忍はそれを聞くと怒った。子供扱いをするなと。 俺としては全くそんなつもりはなかったのだが、忍には自分が対等に扱われていないからだと思われたらしい。俺の反論は聞いて貰えず、バカにするなと鼻を鳴らした忍は少しだけアルバイトを増やして、前より忙しなくなった。それでも家賃の半額に足りない分は「絶対払うから、ツケで」とのたまう。 (こんなつもりじゃなかったんだけどな) 折角一緒に暮らすことになったというのに、結局一緒に過ごす時間が各段に増えた訳ではない。 …そもそも俺が何故一緒に住むことを提案したかというと、『一緒にいたいから』というごくごくシンプルな欲求のためであって、これでは本末転倒だ。 妙に意固地なプライドなんて張らずに、そこに居てくれさえすればそれで十分嬉しかったのに。忍はその辺りを分かっていない。まあ、まだまだ中身はお子様だからしょうがないかもしれないが……。 (………って、きっと俺がこういうこと考えてるから、忍は怒るんだろうな……) どうしても縮まらない年の差に時々忍が焦れているのも、俺がつい一線を引こうとしてしまうのも、多分お互いに気付いている。だから忍は怒るのだ、「子供扱いをするな」と。 非は俺にある。ならば、どうすれば良いっていうんだ? ぐるぐると思い悩んだ俺は、取り敢えずビールでも飲もうかと冷蔵庫を開ける。中では買い置きしていた缶ビールは隅に追いやられ、青々と大きなキャベツが鎮座していた。 忍の料理のレパートリーは相変わらずキャベツの油炒め一択で、忍が偶に料理をする時の為に冷蔵庫にはキャベツを常備するのが、いつしか俺達のルールになっていた。 (そうだ、たまには俺が夕飯の用意でもするか) 今日もバイトで帰宅が遅いであろう忍は、きっと腹を減らしている。 俺は冷蔵庫からやたらと大きなキャベツを取り出した。 「何してんだよ、宮城?」 帰宅するなり忍は、キッチンに立つ俺を見て怪訝な顔をした。次いで俺がかき混ぜている鍋に気付くと、目をぱちくりとさせる。鍋の中では、冷蔵庫に残っていた食材を突っ込んだスープが、ぐつぐつと音を立てていた。 「何って…大したもんじゃないけど、たまには俺が何か作ろうかと思って」 お玉に掬ったスープを一口含む。少し薄いかと思い、胡椒の瓶を手にとる。 忍は何故か呆然としつつ鍋を見つめていた。 「俺…アンタは料理を作れないと思ってた」 「料理っていう程の物じゃないけど、そういやお前に何か作ったことは無かったかもな」 炊飯器で米を炊くくらいはしていたが、忍が居るときはいつも忍が率先してキッチンに向かいキャベツと格闘していたから、俺が料理をする機会はめっきり減った。俺はいつもそれを後ろからヒヤヒヤと見ていただけで。 胡椒の瓶を一振り、二振り。もう丁度良い具合になったかとキャップを締めかけて、忍が俺を睨み付けているのに気付いた。幼い顔で悔しげに噛み締める唇が赤い。 「なんであんたは何でも出来るんだよ…」 「へっ?」 「どうせ俺はガキだし、学生だから金だって満足に稼げない、宮城はもう大人だから一人でも大丈夫なんだってわかってる。でも、だからアンタはずるい!」 忍が詰め寄るのに、俺はポカンとしているだけだった。なんで忍が怒るのかが、よくわからない。 息を荒くした忍は、くるりときびすを返した。 「もういい、寝る」 「おい、忍…」 ぐいっと腕を掴んで振り返らせると、忍の目元が歪んでいる。 だから、どうしてお前が泣きそうにならなくちゃいけないんだ。やっぱりよくわからなくて、苛つく。 「俺がお前に何かしたら駄目なのかよ」 「………っ」 「金のことも、俺は最初から無理しなくていいって言ってるだろ。今は焦らなくても、ツケでも出世払いでもしてくれたらいい」 忍がぶんぶんとかぶりを振る。 「でも、アンタばっかりずるい。負けた気がする」 「だから、その『ずるい』っていうのが分かんねーよ。勝ち負けじゃねーし、お前が焦って俺に合わせる必要はない。俺はお前が追いつくのをずっと待てるから」 「!」 肩をぶるりと震わせた忍がやっと押し黙ったかと思うと、真っ赤になった顔を隠すように俺の胸に飛び込み、勢い良く抱き付いてくる。なりふり構わずしがみつく、コイツのこういう所が俺には眩しい。 …だが、勢いがあり過ぎてつい後ずさりをしかけて、火の点いたままの鍋の存在を思い出した。 「おい、あぶな……っ」 ぐらつく体が鍋の方に傾くのを留めようと、体勢を立て直した。取り敢えずコンロから離れようと、ぎゅうぎゅうとしがみついたままの忍を離そうとする。しかし、ありったけの力でしがみつく忍の腕は離れない。 ―――そのときだ、ずっと手にしていた胡椒の蓋が、ぱかりと外れたのは。 『あ、』 ぱあっと粉が舞う。 狭い瓶から解放された胡椒の粒は、一部がむずむずと俺の鼻をくすぐって、残る大半は音も立てず鍋の中に着地した。スープの上にこんもりと浮き上がった胡椒の小島は、俺達が呆気にとられているうちにどんどん沈んで見えなくなっていった。 『………………』 スプーンを運ぶ毎にどんどん紅くなる顔が気の毒になり、グラスの水を足す時に一応声をかける。 「……おい、そんなに辛いんだったら、無理して食べなくても……」 「食べる」 ほぼ胡椒の味しかしないであろうそれをまた口に含んで、しかめ面になる。お坊っちゃん育ちで舌が肥えている忍には、不味い料理を食べることは苦行だろう。 「アンタが何か作るのって貴重だし」 「そうですか…」 だから、いつもはお前が俺に料理をさせる隙を与えないからで。 「嬉しい」 忍が咳き込みそうになりながらもポツリと呟いた言葉は、やたらハッキリと聞こえた。 「宮城が俺の為にしてくれることは、何でも嬉しい」 そう言って、またスープを一掬い。黒い粒ばかりが散ったスープは、見た目にも不味そうだ。 「でも、辛くて食えたもんじゃねーよ」 「だろうな…」 「嬉しいけど」 駄目出しをしながらも、忍は一口一口ゆっくりと食べていく。 いつの間にか忍は頬だけでなく目まで真っ赤にしていて、潤んだ瞳は決壊寸前。 それでも辛いと嬉しいを交互に繰り返すこいつが愛おしくて。惹かれるままに頭をくしゃりと撫でてやると、スプーンの動きが漸く止まった。 スズキ様リクエスト「宮城と忍の話」でした。リクエスト有り難う御座いました! トリチアで千秋がデレる話か、どちらかということでしたので、宮城と忍の話を選ばせて頂きました。どちらを選ぶか凄く悩んだので、いつか千秋がデレるお話の方も書けたなら…とコッソリ思っています。 純情CPでリクエストを頂いたのは初めてで楽しかったです。純情キャラもみんな大好きです! 2012.04.27 |