ふゆのまぼろし | ナノ

今日の待ち合わせ場所は、以前二人で行ったファーストフード店。今日がクリスマスイブということもあってか、俺と同じように人待ち顔をしている客も多く居た。
俺の待ち人は、まだ来ていない。
すっかり中身がぬるくなった紙コップのコーヒーを一口含み、雪がちらつきだした外に目を向けた。一時間程前から降り出した雪は、勢いこそ酷くはないもののまだ暫くやむ気配がない。
この雪で足元が悪くなっていないだろうか。もしかして寒かったから、風邪でもひいていないかな。昨日電話で話した時にはそう思えなかったけれど、でもやっぱり少し心配だ。きっと彼は辛い時に辛いと口に出さない人だから、体調を崩しても平静を装って無理をしてしまわないかな。
そんなことを考えていたら、窓ガラスの向こうに思い浮かべていた姿が現れた。店内に入る前にコートに付いた雪を払い、自動ドアをくぐるのは、見間違える筈もない、俺が三年間ずっとずっと見つめていたあの人。

「嵯峨先輩!」

俺に気付いた先輩は、軽く手を挙げてこちらに向かってくる。僅かに口元が綻んだのを見て心臓が高鳴った。
いつからだったろうか、こうして自然に笑ってくれるようになったのは。
私服の嵯峨先輩を見るのはまだ数度目だ。いつも学校で会っているし、先輩の家に行く時も下校時ばかりで、俺も先輩も大抵制服姿のままだった。
その見慣れぬ格好にも胸の音が一層うるさくなるので、自分の服の心臓の辺りをぎゅっと握り締めて、こっそり静まれと唱えた。



今日が嵯峨先輩の誕生日と知ったのは、二学期の終業式の日に一緒に帰った時のこと。
『俺、クリスマスイブが誕生日なんだよ。だから、イブは一日お前と一緒に居たいんだけど』
そう先輩に言われて、体中からぶわっと熱が溢れるような心地がした。先輩の誕生日、俺が一緒に居ても良いんだ。
付き合っていると明言したことはない。けれどクリスマスイブ、そして誕生日という先輩にとって特別な日に、一緒に居ることが許されるなんて。それって、俺は先輩にちょっとでも好かれている…なんて、自惚れてもいいのかな。
頭の中が嬉しさでふわふわ舞い上がって、ともすれば浮き足立つ心が今も押さえきれなかった。



「ごめん、待った?」
俺の向かいに座った嵯峨先輩は、店内に掛かった時計に目を向けて言った。待ち合わせ時間よりは十五分も早いので、先輩が謝る必要はない。
「いえ!さっき来たばかりですからっ!」
ぶんぶんと手を振って否定をした。
先輩と会うのがあんまり楽しみで、つい早めに家を出てしまったのだ。俺が勝手に早く来ていただけで先輩は悪くないのに、謝らせてしまうなんて。
勢い良く振った手に、紙コップが当たってしまった。先程の一口で完全に空になった紙コップが、カランと転がって床に落ちそうになるのを、先輩が受け止める。中身が軽い紙コップを手にして、先輩が訝しがった。
「…やっぱ、結構待ってたんじゃねーの?中身、空だろ」
「うっ、その……」
トレイの上に紙コップを置いた先輩に、何だか申し訳ない気分になって白状をした。
「す、すいません!先輩に会えるのが楽しみ過ぎて、家を早く出ちゃったんです!」
それだけ言って俯いて、膝の上で握った自分の拳を見つめた。
ああ、駄目だ、顔が熱い。俺って鬱陶しくないか。嵯峨先輩は、こうして待たれるの好きじゃないかもしれないのに。

くしゃっ

ぐるぐると落ち込んでいたら、突然頭に触れた感触に呼び戻された。顔を上げようとしたのだけど、先輩の大きな手が動くのに抗うことも出来ず、上目でちらりと先輩を伺い見る。
まるで慰めるみたいに、愛おしむみたいに、俺の髪を撫でる先輩の手。

「………あ、あの……?」
「ああ、」
じわじわ顔に集まる熱に、先輩の少し冷たい指が心地いい。されるがままになっていると、やがて先輩がぽつりと呟いた。
「なんとなく、こうしたくなったから」
そう言った先輩の目は、とても優しい目で。その瞳に映る俺は、間抜けな顔をして金魚みたいに口をパクパクとさせていた。
ゆっくり髪をなぜる先輩のことが好きだと思った。好きで好きで好きで堪らなくて、涙が出そうになった。



………その後は、ケーキ屋に寄って予約していた小さなホールケーキを受け取って、先輩の家に向かった。
ケーキを食べて、プレゼントを交換して。ありきたりだけれど俺にとって特別な、先輩と過ごすクリスマスイブはあっという間に終わってしまった。
帰るのが名残惜しくて、けれど冬休みの間にまた何度も会えるからと先輩が言ってくれて。それが嬉しくて、やっぱり離れ難かった。



元旦には先輩から年賀状が届いた。
『年賀状、送ってもいい?』
そう言った先輩に住所を教えた際、『あれ、お前って織田って名前じゃなかったっけ?』と首を傾けられた。思い返すと、初めて会話をした時の俺と先輩は自己紹介なんてしていなかった。会話の手順をすっ飛ばして『好きです』と言った自分が居たたまれなさすぎて、どこかに埋まってしまいたい。お互いに図書カードで相手の名前は知っていたし、先輩は俺のことを『お前』とか、俺は『先輩』とか読んでいて、名を呼ばなくとも会話が成立してしまっていたので、今まで気づかなかったのだ。

初めて貰う、先輩からのハガキだった。俺と先輩の間の、こうして手にとれて形に残るもの。ああ、確かに此処にある。
どんどん増えていく先輩との初めてが嬉しくて、嬉しさのあまりにハガキを握り締めないようにしながら、ハガキの表を見てみる。
プリントアウトされた今年の干支と、片隅に「今年もよろしく」という簡潔なメッセージ。
あ、図書カードの字と一緒だ。…なんて、当たり前のことも嬉しくて。
俺は、もう一度宛名に書かれた俺の名前を見ようと、ハガキをひっくり返そうとした。





―――――そこまででプツリと場面は終わる。
そんな、幸せな夢を見たんだ。









「…………おい、小野寺、起きろ」
耳にすっと届いてきた低音と、頬をなぞる冷たくて柔らかいもの。それが声の主の親指の腹と気付いたのは、微睡みから抜ける途中だった。
「大丈夫か、お前…?」
気遣うように顔を覗く高野さんが、よく分からない。なんで高野さんはこんな心配そうな顔をしているのだろう。
普段は横暴で鬼編集長で容赦ないくせに。どうしてこういう顔をしてみせる時は、ひどく優しそうで、少し切なそうな表情にも見えるのだろう。
「泣いてる」
高野さんに言われて、今俺の頬を濡らしているものの正体が、涙だと気付いた。
冷たい頬を、親指が拭う。
「怖い夢でも見たとか?」
「………」
口調だけはからかう調子で、でも心配してくれているのが分かる台詞に、俺は何も言えなかった。



違う、とても幸せな夢だったんだ。
あの頃の俺が先輩と過ごしたかった、くすぐったい日々は、俺が描いていた幸福な恋そのもの。
だからこそ、叶わなかった故に互いに付いた傷が浮き彫りで、泣きたくなったのだ。
だってあんまりじゃないか。夢の中の俺はおめでたい位に素直で幸せそうだったのに、本当の俺は描いていた幸福を蹴飛ばして、大好きだった先輩と離れることを選んでしまうのだから。
……いっそ悪夢だったら良かったのに。そうしたら、こんな涙すぐに止まって、悪い夢を見たと忘れようと出来るのに。



高野さんが髪に触れてきた。
あ、もしかしてこれは夢じゃなかったのかな。優しく頭を撫でる高野さんの手は、夢の中の先輩と同じ手付きだ。寝ている間も、撫でてくれていたのかもしれない。
その手に身を委ねるように、目を閉じる。

けれど、あの頃の言葉少なだった先輩はもうどこにも居ない。ここにいるのは、高野政宗。あの頃の先輩には、ごめんも好きも、もう何も伝えられない。
あの頃の俺もどこにも居ない。今ここに居るのは、素直になれなくて、いつもひねくれている、可愛げのない小野寺律。
あの頃の夢は、あの頃望んでいたようには、叶わない。わかっているんだから。

夢見た幸福の形は眩しくて、もう少しだけ高野さんの胸で泣いた。











「嵯峨律でクリスマスくらいまで付き合ってたらのif話」というリクエストでした!二人でクリスマスをして誕生日祝って、お正月には年賀状が届いて…という設定も頂いておりました。
もしも嵯峨律が別れていなかったらを自分なりに考えてみたのですが、夢オチしか思い浮かばなくて…ラストに勝手に現在の高律も入れてしまいました。す、すいません…!;
ですが、嵯峨律もこっそり大好きなので、この度は書く機会を頂けて楽しかったです。
リクエスト有り難う御座いました!
2012.02.09
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