悪戯心の日 | ナノ
「よぉ、トリ。見ろよ、これ可愛くない?」

仕事を終えて夕食の食材を買い、いつものように吉野の家を訪れると、やたら大きなぬいぐるみを抱えた吉野に出迎えられた。



「………なんだ、それは」
「ハロウィン仕様ティンクルだって。今日、優と画材を買いに行った時に見つけて、つい買っちゃったんだ。なんと全長130センチ!」
黒い帽子に箒を持った兎のぬいぐるみを持って、満足そうに吉野が言う。嬉しそうにぬいぐるみに顔を埋める姿は、来年三十になる男にはとても見えないし、違和感なく似合ってしまうのも恐ろしい。
そんな吉野を見て、ふと、ある問題に気が付いた。

「…おい、こんなでかいぬいぐるみ、一体この家のどこに置くんだ」

アシスタントを何人も呼べるようにと選ばれた、一人暮らしには有り余る広さの吉野の家だが、実は物で溢れかえっている。クローゼットや収納スペースには、あらゆるジャンルの漫画や資料、そして今日のように衝動買いされたぬいぐるみなどが詰め込まれていて、全長130センチのぬいぐるみをしまう場所などない。
ぬいぐるみだから部屋に飾れば良いのかもしれないが、一つ飾り出すとどんどん居住スペースが浸食される恐れがあるので、吉野には床に物を置くことは禁じている。…まあ、どれだけ言っても衣服や靴下は平気で脱ぎ散らかすのだが。

「ああ、どこにしまうか考えてなかったなぁ。トリんちに置いちゃ駄目?」
「………………」
「…駄目ですよね、はいはい、分かってます。だから、そんなに睨みつけんなよ。
…ったく、最近お前怒りっぽくないか…?」
「誰のせいだと思ってるんだ」
ぶつくさと文句を言いながら、吉野がぬいぐるみをソファの一角に座らせる。
「取り敢えず、ここがティンクルの仮の宿な」
ポンポンと兎の頭を撫でる吉野を見ながら、クッション代わりにされて、やがてクタクタになるであろうティンクルの末路を想像した。



それから食事の支度をしていると、暇だったらしい吉野が後ろから話しかけてくる。手伝いをする気もないのに料理をする俺の様子を興味津々に覗き込んでくるのはよくあることで、今日も「どうしてトリは料理する時とかはこんなに器用なのに、絵は下手くそなんだろうなあ」と首を傾げていた。余計なお世話だ。
「暇なら皿でも並べていてくれ」
「はいはーい。…ところでトリ、今日ってハロウィンだよな?何かハロウィンらしいご飯とか用意してないの?」
「晩飯にかぼちゃの煮物も作るつもりだが」
「煮物って…色気ないなあ。まあ、トリの作る煮物美味しいから、嬉しいけど」
「今日がハロウィンということを、お前に言われてから気付いたからな。だから何も用意してない」
吉野がハロウィンをしたいのだと知っていたら、もっと事前に準備していたのだけど。せめて、それらしい菓子でも買って帰ること位は出来たのにと、惜しく思う。
職業柄、イベント事にいつも興味を持ってはいる吉野だけど、締め切りに追われるばかりだから自分の誕生日すらも忘れていたりして、イベントをゆっくり楽しめる機会は中々ない。
そんな吉野に季節感を忘れさせないよう、印刷所が休みになるので俺達も実質休みである盆暮れ正月は勿論、クリスマスやバレンタインといった家族持ちや恋人同士にしか縁のないようなイベントまで、毎年何かしらの口実を作って一緒に居た。
夕食の後に出す小さなケーキや、原稿の合間に差し入れとして渡すチョコレート。毎回どれも大袈裟な位に喜んで食べていたので(単に食い意地が張っていただけな気もするが)習慣となっていたのだが、ハロウィンは失念していた。俺と吉野、どちらの実家でも、クリスマスやバレンタインは祝ってもハロウィンを行う習慣がなかったからかもしれない。

「ふーん、何も用意してないか。…それじゃあ、敢えて言ってみようかな」
「?」
「トリックオアトリート!」
「…菓子は持っていない」
「じゃあ、悪戯だな?」
それこそ悪戯っぽい笑みを浮かべた吉野は俺がそう答えるのを予測していたようで、ニヤリと口の端を上げて、瞳を輝かせる。
嬉々として取り出したのは、サインペンだ。
「額に肉って書くのと、ほっぺたに十字の傷を入れるの、どっちがいい?」
………色気がないのはどっちだ。
「やめろ、俺は明日も仕事だ。どんな顔でいようと文句を言われないお前とは違う」
咎めるように言えば、吉野が顔を膨れさせる。
「いいじゃんか、やられた奴が嫌がる位じゃないと、悪戯になんないだろ」
「…お前の悪戯の程度は、二十年前から進歩してないな。確か昔、千夏ちゃんにも同じことをして、大喧嘩してなかったか」
「えっ、そうだっけ?よく覚えてるなあ、トリ」
吉野は昔から些細な悪戯ばかりして、その度にすぐバレて母親に叱られていた。……顔に落書きをした妹に三倍返しで報復されて半ベソをかいていたことは、本人はこのまま忘れていた方がいいのだろうか…。

さて、じゃあ次は何をしてやろうかと目をくりくりと動かす吉野を見て、俺の方にもむくむくと悪戯心が沸いてきた。俺自身は幼い頃から吉野のストッパー役ばかりしていたから、幼稚な悪ふざけに便乗する回数も少なかったのだけど、悪戯をする吉野の気持ちは分からないでもなかった。
困った顔が見たいのだ。自分がした行動に慌ててうろたえる、そんな様子にほくそ笑むのが、可笑しくて楽しくて仕方ないのだろう。

「…トリックオアトリート?」

らしくない台詞を言った俺に、吉野が目をぱちくりとさせる。
「へっ?」
「だから…菓子か、悪戯か?」
「…俺、今、お菓子持ってないんだけど…」
「じゃあ、悪戯で」
先程の吉野の台詞を真似て、告げた。
間髪入れずに顔を近付ける。舌を割り込ませようと吉野の唇をなぞれば、こういう時だけやけに素直な吉野が、固く結んでいた口を和らげさせた。湿った音をさせてやっと互いの唇が離れた頃には、息も絶え絶えといった様子だった。

「……腹減った」
袖口でごしごしと口を拭って、不満そうに吉野が言う。こういう触れ方をした時に吉野が照れくさそうにそわそわと落ち着きを無くすのもいつものことで、腹が減ったという不器用な照れ方にだって嬉しくなってしまう俺も、どうしようもない。
「もうすぐ出来るから。
それを食べたら、お前からの悪戯もちゃんとして貰う」
わざと熱を込めた視線で言えば、「…俺、悪戯っていったらあとはピンポンダッシュくらいしか思い付かないんだけど」と言ってのけた。
「小学生か、お前は。
……頼むから、もう少し色気のある悪戯にしてくれないか」
「かぼちゃの煮物に言われたくないね」
軽口を叩く吉野と視線が合って、くすっと微笑まれた。



色気より食い気が勝る現状だけど、甘ったるいイベントは来年に持ち越すことにする。
来年のハロウィンは何をしようか…そんな事を考えながら、俺は本日二回目の悪戯を吉野に仕掛けるのだった。











千秋が持ってるティンクルは、一応DVD五巻のハロウィンティンクルのつもりでした。
2011.10.31
2011.11.1修正
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