犬と暮らそう | ナノ
あいつを動物に例えるとしたら、犬かな。

作家との打ち合わせからの直帰で、珍しく定時と変わらぬ時間となった夕刻の帰りすがら。前を歩く少女が犬の散歩をしているのを見てふとそう思った。
少女が犬に散歩をさせていると言うよりかは、犬に散歩をさせられていると言う方がしっくりきそうな程大きなゴールデンレトリバーは、まだ幼い彼女を守るようにゆっくりと歩んでいる。
そのつやつやとした毛並みに、いつもやたらとキラキラとした笑みを振りまく恋人を連想したのだ。

九歳年下の俺の恋人、雪名皇。

いつでも呼びかければ「はい!」と爽やか且つ快活に返事をする雪名は、尻尾があれば振っているのではないのかと思うほど嬉しそうだったりする。
最近少しわかってきたのは、雪名は意外と機嫌が顔に出るということだ。嫉妬をすれば唇は引き結ばれ、楽しい時にはさも楽しげに目が細められる。
この年齢の時の俺って、こんなにも素直ではなかった。…いや、今と大差なくひねていた気もする。だから、そんな雪名の表情一つ一つがやたら眩しく思えた。

整い過ぎていっそ近寄りがたい顔立ちも、一度綻ばせれば親しみ易さが現れて、相手を怯ませたりなんてまずしない。
女好きのする顔だけれど、気さくな態度で好かれやすい雪名は同性にやたら妬まれることもなく、男女共に友人が多い。

………しかし、そんな非の打ちどころのない、絵本の中の王子様みたいな外見の雪名を犬に例えるなんて。出会った頃には思いつきもしなかった。
けれど、互いの家を行き来するお泊まり会から同棲へと昇格して、今日で十日が経つ。その十日で俺が抱いた感想は、あいつは人懐っこい犬みたいだということだった。



そんな仕様のない物思いにふけり歩いていたら、いつの間にか自宅の玄関の前に着いていた。
ノブに手をかけると、どうやらドアは開いている。室内からは鼻孔と食欲とをくすぐるカレーのにおいがした。
「お帰りなさい、木佐さん!」
カレーの鍋をかき混ぜながら、頭だけこちらに向けて雪名がにっこりと笑んだ。所帯じみたキッチンに似合わない煌びやかな笑顔に、いい加減見慣れている筈なのにくらりとする。
書店のバイトが無い日は、雪名はこうして先に夕食を作って待っていることが多い。今日は早く帰宅出来たけれど、帰宅が遅くなる日の方が多いから、先に夕飯を食べてもいいと言っているのに、「木佐さんを待つ時間も楽しいですから」と取り合わない雪名は、今日ものんびりと俺の帰宅を待つつもりだったのか。予想外に早い俺の帰宅に、一瞬驚いた素振りも見せていた。
そんな待つことを苦にしない雪名が、さながら忠犬ハチ公みたいにも思えて胸をくすぐったりする。…いや、そんなこと言わないけれどさ…。

「お手」
「はい?」

…あ、しまった。犬みたいだとか考えていたら、本当にくだらないことを口にしてしまった。雪名がきょとんとしているじゃないか。
ぱちくりと瞬きをした雪名は、けれどすぐに俺の左手をとり、持ち上げる。
顔を寄せ、音を立てて口付けた。
さながら王子様が姫の手の甲に贈るキスのよう。けれど殊更ゆったりとした動きは、優雅と言うより焦れったい。
雪名の予想外の行動に、目を瞬かせるのは今度は俺の方だった。

「な、何してんだ、お前…」
「お手を拝借してます」
「……それは見ればわかるけど」
「なんで『お手』と言われたのかは、よくわかりませんけど、木佐さんに『お手』と言われたなら、俺は木佐さんの手をとりますよ。だって、木佐さんの手に触る格好の口実ですから」
俺の左手の甲を上に持ち上げていた雪名の右手がするりと動いて、互いの指が絡まる。毛を逆撫でられたみたいにぞくりとした。
「でも、『お手』って…。木佐さん、俺は犬じゃありませんよ?」
雪名がまた、にこやかに告げた。

ああ、やっぱりこいつって犬じゃなくて、見た目も気質も王子様なのかな。こっぱずかしい仕草も台詞も、様になっているし。

………いや、しかし。何に例えようと雪名は雪名か。
俺の雪名への気持ちが他の何にも例え難いように、雪名に当てはまる一語を選ぶのは難しい。
王子様であり、犬であり、コイビト。それもこれも、雪名。



相変わらずにこにこしている雪名に、じわじわと熱を帯びる指先。
あ、もう我慢出来ないかも。俺だってたまには、例えば犬のように、本能に忠実になってみたい時もあるんだから。

「雪名、する?」
「?何をですか」
まだ絡まった指を解いて、空いた右手で雪名を引き寄せる。せいぜい含みを持たせた顔で見上げた。
「ドウブツ的なこと」
ぱちりと形の良い目を見開いてから、合点のいった雪名が嬉しそうに言った。
「木佐さんがしたいなら」
よく言うよ、今、目がきらりと光ったくせに。



因みにこの犬は、しつけが届いているので噛み癖はないけれど、若さゆえに走り過ぎるのがたまに傷。経験値は俺の方が多いのに翻弄されっぱなしで、オッサンの体力ではついていけないこともあったりして。
だから、最初のリードは俺が握らねば。まずは未だ大人しく待っている唇に噛みついた。










わんこ攻めな雪名を書こうとしたのに…あれれ。
密かに猫を飼おうと繋がっているという自分設定のお話だったりしました。
2012.02.17
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