「作家さんからお土産を貰ったんだ。みんな、ちょっと一息つかない?」 いつものように食えない笑顔を浮かべた美濃の言葉に、机に向かっていたエメラルド編集部のメンバーが顔を上げる。 朝から書類の山と格闘している身としては、疲れを和らげる甘味は有り難いものだ。俺も他の奴らも休憩を挟むことに同意すると、羽鳥が給湯室に向かって、手早く全員分の茶を煎れてきた。あまりの手際の良さに思わず感心してしまったが、兎にも角にも、丸川書店エメラルド編集部一同はしばしの休息をとることとなったのである。 美濃が渡してきたのは、信玄餅だった。串に刺して持ち上げると、たっぷりと掛けられたきな粉がふわふわと舞う。黒蜜の仄かな甘い香りが漂ってきて、鼻孔をくすぐる。 ふと視線を向けると、小野寺が今まさに信玄餅を口に入れようとしていた。はらはらと零れ落ちるきな粉を逃すまいと、急いで口の中に放り込んだ小野寺は、咀嚼して顔を綻ばせた。どうやらこの信玄餅の味は、小野寺の気に入るものだったらしい。 もぐもぐと口を動かしながらも、子供のようにがっついた食べ方をした自分が恥ずかしかったのだろうか。きょろきょろと周囲を見回して誰にも見られていないか確認し、見られていないことが分かると、小さく安心した様子で再び皿に向き直った。 ………まあ、俺は見てたんだけど。眼鏡のレンズに隠れて、俺の視線の先が分からなかったらしい。 菓子ひとつで顔を緩ませる小野寺のふとした拍子の表情は、十年前のままだ。バカみたいに好き好き連呼していたあの頃のように、目はキラキラと輝いて、頬は桜色になる。理性や羞恥で固まった殻を全て取り去って、剥き出しの好意が露わになった小野寺律は、こんな顔なのかもしれない。 お坊ちゃん育ち故か、よく噛んで食べることが体に染み付いている小野寺は、まだ食べ終わらない。 ふと、悪戯心が芽生えてしまう。小野寺が飲み込もうとした寸前に、敢えて少し熱を持たせた声で話しかける。 「好きなんだな」 「ごふっ…」 小野寺は、よく俺の言葉に過剰に反応する。大した意味を持たない言葉にも勝手に想像して、照れたりムキになったりする。 俺が「好き」という台詞を言うのは、二人きりの時、それも睦言が圧倒的に多いので、過敏に反応してしまうのだろう。 苦しそうに胸を叩いた小野寺に、補足をしてやる。 「餅が」 「…あ、あぁ…餅、ですよね……」 きな粉が喉に残っているのか、軽くけほけほと咳き込みながら、さっき羽鳥に渡された湯のみに手を伸ばす。 「俺も好きだけど」 「げふっ、げふん…っ」 今度は茶を吹き出しそうになり、むせかえっている。 …だから、そんな風に過剰に反応するから、もっと困らせてやりたくなるのだが…まあ、その辺りは小野寺は当分わからなくてもいい。 「餅がな」 「………っ」 涙目で此方を睨み付ける小野寺だが、生憎俺には効果はない。寧ろ煽られている気にすらなるのだから、逆効果だ。 「つーか小野寺、お前さっきから意識し過ぎじゃないか?」 「ごほっ、ごほっ…っ」 反論しようと口を開いたらしかったが、今度は茶が器官に入ったらしく、激しく咳き込むことになった。 (………おもしれー…) 再会した当初は随分とひねくれた奴になったものだと思っていたのだが、こうして素直に反応する小野寺を見ていると、人間の本質はそう簡単には変われないのかもしれない。こいつも、多分俺も、きっと元来の性格の根本は変わっていないのだ。 子供じみたたわいないからかいを仕掛けた自分に内心少しだけ驚きながら、俺もすっかりぬるくなった湯のみに手を伸ばした。 (はーい、羽鳥せんせーい、高野クンが小野寺クンのこと苛めてまーす。小野寺クンがかなり苦しそうなので、助けてあげてくださーい) (何故俺に振るんだ、木佐。…それに、小野寺には悪いが、高野さんに余計なことを言ってやぶ蛇になるのは御免だ) (そんなこと言って…羽鳥は律っちゃんが可哀相じゃないわけ?見てみなよ、あの赤いのか青いのか分かんない顔色。 …でも、俺も今のニヤニヤしてる高野さんに声かけるのやだし…やっぱり俺の代わりに、羽鳥が高野さんを止めてよ) (自分が嫌なことを人に押し付けるなよ…) (まあまあ、あれは高野さんなりの愛情表現なんだから。温かく見守ろうよ?) (…つまり、お前は小野寺を助ける気はないんだな、美濃) 2011.10.12 |