※二人が付き合う前な設定です 吉野が馬鹿に大きくて重たげな箱を持って俺の家を訪れたのは、夏の盛りも過ぎた午後のことだった。耳元で鳴る目覚まし時計のようにジリジリジリジリとやかましい蝉の鳴き声に混じって、ピンポンと軽やかに呼び鈴の音が跳ねたのを覚えている。 読みかけの本にしおりを挟んでからドアを開けると、汗でTシャツをぐっしょりと湿らせた吉野に「早く開けろよ」と文句を言われた。 「あー、やっぱクーラーの効いた部屋って気持ちいい〜。そうだトリ、のど乾いたからなんか飲み物ちょうだい。あとこれ、お土産な」 部屋に入りテーブルの上にドカリとぞんざいに箱を置いた吉野は、ソファーに勝手に腰掛けてくつろぎだす。俺のことを幼なじみの腐れ縁だと公言する吉野に、ここが一応他人の家だという遠慮は全く無い。 この無防備で無神経な甘えも『幼なじみ』の特権だから嬉しくないわけではないけれど、だからこそこんなに苛つくのではないだろうかとも思う。想いを隠してもう何年か。気持ちに気付かれたくない反面、全く気付く気配のない想い人に、安堵と同じくらいの苛立ちが積もってきたのもいつからだったろう。 とりあえず今の俺のむかつきをわかりやすく伝えてやるべく、汗で湿ったその顔面にせいぜいぞんざいな所作でタオルを投げつけてやった。うわっ、となんとも間の抜けた声が上がる。 「ああ、タオルかよ、サンキュー。……っていうかこれ、あれっぽくね。ボクシングでセコンドがタオルを投げつけるやつ」 「バカ言ってないでとっとと汗拭け。また身体冷やして風邪ひくぞ」 聞きわけの無い頭をタオルの上からガシガシと掻いてやると、ひゃっひゃと妙な笑い方でくすぐったそうに体を捩られた。……やはり、むかつく。これを可愛いと思ってしまう自分にも呆れる。 「…ところで、あのでかい箱は一体何なんだ。来月のネームがやっと出来たのか?」 「ネームがあんなにでかい訳ね−だろ。それにネームはまだ出来てない!」 「威張るな、そんなことで。締め切りまであと何日だと――」 「はいはい、わかった、わかりました。ネームはします、今日帰ったらしますー!それよりこの箱だよ、箱」 吉野が立ち上がり蓋を開ける。中を覗きこめば、箱の中いっぱいにずしりと重たそうな緑と黒の色の果実が鎮座していた。 「これを食わないと夏が始まった気がしないよな」 「盆も過ぎて今更『夏が始まった気もしない』もないだろう」 箱の中にあったのは、最前からの吉野の得意げな表情にもまあ合点のいく、ちょっとそこらでは見ないような大きさのスイカだ。 「こんなにでかいもの食いきれるのか」 「え、だってトリ好きだろう、スイカ。食えるって」 お前に俺の何がわかるのか。俺が誰を好きなのか、もう何年も気付いていないのに。 吉野が上機嫌な様子で丸い果実を撫でる。 「やっぱ一度切らないと冷蔵庫に入りきらないかな。じゃあ包丁借りるな」 危なっかしい手つきで切っ先を突き刺そうとする吉野から包丁を奪い、仕方ないのでスイカの解体作業を手伝うことになる。 近付いたら感じるスイカの青臭さと、吉野の汗のにおい。ああ、もう夏も終わるな、と不意に思った。 ざっくりと四等分に切り分けたスイカは冷蔵庫に全ては入りきらず、入りきらなかった分はすぐに食べてしまおうということになった。 吉野と向かい合って口に運ぶスイカは常温で生ぬるく、そして舌の隙間にこびりつくように甘い。吉野が果肉にかじりつきながら、「これでも旨いけど、やっぱ冷えてた方が旨いよな」とぼやく。 「じゃあ冷蔵庫に入るサイズのスイカを買ってこい。なんだってこんなバカでかいのを買ってきたんだ」 「だってお前好きじゃんか、スイカ。だから、いっぱい食べれるのがいいかなーと思って」 「俺がいつそんなことを言った…。むしろ種が煩わしいから食べるのが面倒な食べ物だと思ってる」 だから、どうして吉野の中では『俺がスイカを好き』ということになっているんだか、よくわからない。 俺の本当に好きなものには気付きもしないくせに…いや、隠しているからそれで良いのだが。やはりこいつのこういうところが、むかつく――― 「でも、それでも好きなくせに」 「は…?」 一瞬、何のことを言われたのかわからずギクリとした。 正面を見れば、口の周りをべとべとにした吉野がにっと笑う。吉野の頬にいつのまにか貼りついていた黒い種が、その拍子にぽろりと落ちた。――ああ、スイカの話か。 「ガキの頃とか、よく一緒に食ったじゃん。トリと食べると無くなるのが早かったからさ、だから好きなんだろうなあと」 「…それは、お前がスイカ好きだったのもあるんじゃないのか」 「まあ、それも大いにあるけど」 吉野が子供の頃と変わらない顔で、口を大きく開いてスイカにかぶりついた。 ――確かに吉野の言う通りなのだ。そこかしこに散った種が煩わしいと思っていても、その実の甘さが欲しくてまた手を伸ばしているのだから、つまり俺はどうしようもなくそれが、 「……確かに、好きかな」 「だろ?」 頷いて、赤いそれを一口含む。やはりぬるい、そして甘ったるい。そう思いながら、またスプーンで種を取り出す。 土に埋めるつもりはない、だから芽の出ることもない、後はもう捨てるだけの種がまた皿の中に溜まっていった。 2013.8.28 |