キシキシ、カサカサ。吉野が気まぐれに買ってきた税込み百五円のプラスチック製の笹が、クーラーの風に乗って安っぽい音を立てて揺れる。そこに吊された短冊の文字も一緒に揺れる。 『先生が締め切り前に原稿を上げてくれますように』 アシスタントの誰かが書いた願い事も心許なく揺れて、実に不吉だと思った。 「……どうしてこんなものを買ってきたんだ」 色紙をハサミで切って七夕飾りを作っていた吉野が、えーっと声を上げる。 「だって今日は七夕じゃん。七夕といえば、笹と短冊だろう?」 「それはわからなくもないが、八日になると片付けなければならないものを、どうしてわざわざ買うのかわからない。無駄だろう」 安い買い物だけれど、どうにも無駄遣いに思えて頂けないと思うのは俺が貧乏性だからなのか。 「無駄って言い切るなんて。トリには夢が足りないよなあ、うん」 無駄に偉そうに言ってのけた吉野が小さな紙の束とペンを押し付けてきた。紙の上は何も書かれていない、まっさらだ。 「………なんだこれは」 「トリも書きなよ、願い事」 にいっと笑った吉野の顔が、目映さで真っ白に見えた。 ……願い事。さて、なんだろう。 逆らうのも面倒だからと受け取って、それから油性ペンのキャップを開けることも出来ないまま、もう数分が経ってしまった。 願い事、願い事。パッと思いつかないのは現状に満足しているからなのか、願いを求める前向きさが足りなくなったからなのか。前者だと思いたい。 白い紙の向こうに、足の多すぎる烏賊のような紙細工を作って満足げな吉野の姿が見えた。───そういえば、吉野は短冊に何と書いたのだろうか。 「吉野」 「ん、何?」 「お前は短冊に何を書いたんだ?」 …聞かれた吉野は、驚いたらしく大きな目をパチパチとさせた。 「そういや俺、何も書いてないや」 「イベント事には真っ先に食らいつく奴のくせに珍しい」 「だって、改まって願いってパッと思いつかなかったんだよ。漫画家になりたいっていう昔からの夢も叶っちゃったしさあ………」 うーんと唸って俯せた吉野だが、次に顔を上げたときにはもう目が輝いていた。 「あっ、そうだ!トリ、ペン貸して」 俺の手からペンを奪った吉野が、何やら紙に書き出していく。 紙面にはこう書いてあった。 『トリの卵焼きが食べたい』 「……………こんなもの、直接本人に言った方が早いだろ」 「それもそうか。じゃあ、トリ。卵焼き作って?今すぐ」 調子良く強請る吉野が少し苛つく。隙だらけの手からペンを取り返して、俺も短冊に願いをするすると書き出した。 『吉川先生が締め切り前に原稿を上げますように』 「………アシスタントの子と同じこと書いてる……当てつけか。つーか、それこそ本人に直接言えよ……」 「お前は何度言っても、何度デッド入稿で死にかけても、なかなか締め切りを守れないからな。天に祈るだけで叶うのなら、いくらでも祈ってやる」 「べ、別に、守りたくなくて守ってない訳じゃ」 「…言い訳はもう聞き飽きた」 白紙をもう一枚取り出して、ペンを滑らせる。 『卵焼きは明日の朝でいいだろう』 短冊を見た吉野がえー、と不満を言う。子供のようにふくれた顔だ。…しかし、そんな顔も可愛いと思ってしまうから、しょうがない。 紙上でペンがするすると滑った。 『キスしたい』 ────びくりと肩を震わせた吉野が、思い出したようにいつもの調子で騒ぎ出すまで、ゆうに五秒かかっただろうか。 「ああ、もう!……いちいち聞くなっ、書くな、そんなこと!」 途端に赤く染まった吉野の頬を見て密かに口角が上がる。確かにこういうのは遠くの誰かに伝えるのではなく、目の前のその人に直接『お願い』するものなのだろうな。 用済みの紙きれは手の中で丸めて、屑箱へと放った。 願いは少しずつ近付いていって、叶った。 2013.7.15 memoから移動 |