酒は情けの露雫 | ナノ
「トリぃ」
「……………何だ」
「別にぃ〜?用はないけど、」

……何となく呼んでみたかっただけだから。
そう言って、へらりと笑って俺の肩にしなだれた吉野の顔は、アルコールの熱に浮かされて今日はいつも以上に緩みっ放しで、そんな締まりのない顔も殊更可愛いと思ってしまった自分の重症さに頭を抱えたくなった。





―――――俺がこの酔っ払いの相手をする羽目になったのは、今から小一時間程前のことだ。
仕事から帰宅すると、玄関には俺のものではないが見慣れたスニーカーが一足置いてある。部屋の中に入れば、予想していた通りスニーカーの持ち主である恋人が、蓋の開けられた缶ビールを握り締めてテーブルに突っ伏していた。どうやら一人で飲んでいたものの、いつの間にかうとうとしてしまったらしい。

……それにしても、どうして吉野は、大して酒が強い訳ではないのに、こうもビールを飲むのが好きなのだろうか。
思えば、ここ数年の吉野は、自宅でくつろぐ時にはビールを必ず常備している。ひきこもりで体力がないはずなのにどうやって運んで来たんだと、問いたくなる程に大量の酒類を俺の家に持ち込むこともしばしばだ。以前俺の家に「いい酒が手に入ったんだ。お前も飲もうぜ」と重たそうに一升瓶を抱えてやってきたこともある。勧められるままに飲んでみれば、「もっと味わって飲め」と叱られた。アルコール度数の高い酒を少し飲めば直ぐに頭がふわふわとした心地になる吉野の方にこそ、味が分かっているのかと問いただしたいものだが、酔っ払いに何を言っても無駄なのでその時は黙っておいた。

…兎に角、このまま寝ては風邪をひく。乱暴に肩を揺すると、吉野が鬱陶しそうに顔を上げた。
「………ああ、トリじゃん…お帰り」
「……ただいま。吉野、寝るならベッドに行け」
「寝てないよ、まだ…」
確かに完全に寝入っては居なかったのか、寝起きの悪い吉野にしては覚醒が早かった。
「それに…俺はお前を待ってたんだからな」
「何故だ?」
「何故って…お前、俺のコミックスの累計一千五百万部のお祝いするって言ってたじゃん。けど、ここの所お互い忙しくてなかなか出来なかったろ?だから、祝われに来てやった」
「は?」
言われてみると、そんなことを言った気もするが…。
「さあ、飲もう!」
記憶を辿ろうとする俺にお構いなく、吉野は上機嫌な様子で缶ビールの蓋を開ける。テーブルや床に転がった空いた缶を見やって「この上まだ飲むのか」と呆れてみせたのだが、やはりというか、まるで聞きはしなかった。こういう時の吉野は大抵、人の話を聞かないのだ。





…そんなこんなで、俺が帰宅した時には既に出来上がっていた吉野は、小一時間もするともう完全に酔っ払っていて、一人で起き上がるのも億劫で俺を背もたれにしているのだった。

「もう止めておけ。二日酔いになるぞ」
「うー、…何かあっつい…」
「だから、さっきから飲み過ぎだって何度も言っただろうが。今、水を…」
キッチンへと立ち上がろうとしたのだが、腕を引かれて結局留まることになった。背もたれは勝手に動くなとでも言いたいようだ。
「いーじゃん。最近、外に飲みにいくことも少なくなったし、たまには思いっ切り飲みたいっていうか…」
そう言ってまた缶に伸ばそうとした手を即座に叩くと、不服そうに頬が膨れる。行き場のなくなった自分の手をぼんやりと見つめた後、酒のせいで赤くなった目尻で睨まれた。
「…つーかさ、お前の方こそ、俺以外の奴と飲む時はあんまり飲み過ぎんなよ」
「一体何なんだ、急に…。心配しなくても、最近は誰かさんのせいで仕事が忙しくて、酒をゆっくり飲む暇もない」
「………でも、こないだ上司と飲んだ時に、お前の顔色が変わらないから面白がって死ぬほど飲まされたって言ってたろ」
「仕事だからしょうがないだろ。好きで飲んでいた訳じゃない」
俺は酒にはかなり強い方なのだが、過度の飲酒を好む訳ではない。寧ろ、強いからこそ、つい飲み過ぎてしまわないように気をつけてはいるつもりだ。
だが、俺の答えは気に食わなかったようで、口をへの字にされた。
「でも、だめ。トリを玩具にしていいのは、俺だけなんだから」
駄々をこねるように言った吉野は勢い良く俺の首に腕を回して、ぎゅうぎゅうと抱き締めてくる。
…ならば今の俺もやはり、玩具にされて弄ばれているということなのだろうか。こうもベタベタと触られると、反応を試されて、遊ばれている気がする。

「どけ。暑苦しい」
「…うーん、トリの体、冷たくて気持ちいいから、やだ…」
腕の力を抜いた吉野が、そのまま俺の膝の上に腰を下ろす形となった。今度は俺の胸に倒れ込む。
「俺は冷却材か…。いいから離れろと…」
「トリはさ、」
顔に当たったシャツのボタンの固さに身じろぎをして、漸く俺の肩を枕にすることに落ち着いた吉野は続ける。

「トリは、俺のものなんだから。他の誰にも弄らせてやらない」

………ああ、もう。だから、そんなお気に入りの玩具を取り上げられた子供のような顔で言うな。
お前が居ないと今の俺がなかったというのは、いくら鈍感なお前でも分かっているだろうに。

「…俺はお前のものだって、前にも言っただろう」
「……そうだっけ……」
ぼんやりと小首を傾げる吉野に微笑する。
「言ったよ。お前に聞こえてなかっただけで」
「…そういうの、言った内に入んない…」
「じゃあ、今言ってやる。俺はお前のものだから」
軽く目を見開いた吉野は、そっか、とくすぐったそうにはにかんでから、また俺の肩に頭を落ち着ける。暫く動かなかったので寝てしまったのかと思い顔を覗こうとしたのだが、突然起き上がってぽつりと呟いた。

「………………なあ、トリ………」
「ん?」
「……気持ち悪い……」

たった一言でいい雰囲気を打ち壊した恋人を、すぐさま洗面所に突っ込んだ。





…この調子だと、明日の朝は二日酔い確定だろう。
真っ青だが人心地ついた様子の吉野は、今はベッドを占領している。暑いのか一度寝返りを打った際に布団を蹴ったので、しっかりとかけ直してやった。

(………宿酔いが治ったら、覚えていろよ…)

すやすや眠る恋人の顔を見下ろして、今夜一番大きな溜め息を吐いたのだった。











さき様リクエスト「酔った千秋に絡まれてムラムラする羽鳥」のお話でした。
実はリクエスト頂いた時からこのがっかりな千秋のオチにしようと決めていたのですが…自分で書いておきながら、多分これ羽鳥は結構がっかりしてると思いました…す、すいません、色々すいません、でも書いていて楽しかったです。
リクエスト有り難う御座いました!
2011.11.27
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