漫画家という職業をしていると、日付や曜日の感覚がなくなる。カレンダー通りの休みはとれず、いつも自分の都合の良い日に休んでいるから、自分の締め切りまでのカウントダウンはしていても、今日が何月何日何曜日なのかと問われればすぐには答えられない。 けれども、ここ一年ばかりの吉野は毎週金曜日が訪れるのを心待ちにしているから、曜日を間違えることは少なくなった。 会社員なので基本的には土日が休みな羽鳥が、いつもより長く吉野の家にいられる日。 その日が来る度に、そうか、今日はもう金曜日なのだと、少し嬉しく思うのだ。 今晩も、いつものようにスーパーの袋を持った羽鳥が吉野の家を訪れた。 勝手知ったる人の家。冷蔵庫に手際良く食品をしまっていく羽鳥は、吉野よりもこの家のことを把握している。 そんな羽鳥を特に手伝いもせずぼんやりと眺めていた吉野だが、どことなく羽鳥が疲れた様子をしていることに気が付いた。いつもの羽鳥なら隙なくスーツを着ているのに、くたびれているようで違和感を覚えたのだ。 「トリ、なんか今日疲れてないか?」 「…週末に仕事を残しておきたくなかったから、少し無理して終わらせてきた」 「ふーん、なんで?」 吉野の問いに、羽鳥が僅かに言いよどむ。 「…今日が、金曜日だからだ」 「?」 金曜日だからなんだというのだ。今日は特に用事があるわけでも何かの記念日でもない、何の変哲もないごく普通の平日の筈だ。無理をする必要もない筈だが。 「…ま、いっか。じゃあお前、明日は仕事ないんだよな?」 会社員なので基本的に土日は休みだが、いつも作家との打ち合わせや出張が入ったりするから、羽鳥に何も予定のない日は珍しい。 「他の作家関連のものはな。吉川千春関係の仕事は持って帰ってきたから、メシ食った後でやるぞ」 「えーっ、仕事あるんじゃんかー」 「文句があるなら、もう少し締め切りを守れるようになれ」 「………」 悔しいかな、守ることの方が珍しい締め切りのことを口に出されれば、何も言い返せない。せめてもの抵抗で恨めしげに羽鳥を見た吉野だが、どこ吹く風といった様子の羽鳥を見ても余計に悔しいだけだった。 「…先に、風呂入ってくる」 「了解」 吉野が風呂から出ると、リビングには羽鳥の作った夕食が並んでいた。吉野の好きな卵焼きもちゃんと並んでいて、思わず顔が綻んでしまう。 「俺も風呂に入ってくるから、先に食べていていいぞ。腹減ってるんだろ?」 「うん、じゃあ、お先に…頂きまーっす!」 嬉しそうに口に箸を運ぶ吉野に、羽鳥は小さく微笑んで部屋を出た。そんな羽鳥の後ろ姿を見て、吉野は思う。 ……やはり、今日の羽鳥は何処か様子が違わないだろうか? 先程は疲れていると言ったけれど、それだけではなくて…。 (なんとなく、機嫌がいい…?) いつもの羽鳥なら「姿勢が悪い」だの「食いながら喋るな」だのと、小言が絶えないというのに。この小言が柳瀬に小姑と言われる所以のひとつなのだが、吉野の世話を焼きすぎて母親のようだと言われるのを不満に思う羽鳥に、この文句は地雷である。 しかし、やっぱり羽鳥の機嫌がいい理由が思い付かない。吉野が忘れているだけで、今日は何か特別なことでもあるのだろうか? ぐるぐると考えていたものの、わからないものは気にしてもしょうがない。 吉野は気を取り直して、羽鳥の作った夕食へとまた箸を伸ばした。 雑誌の付録やコミックスの色校のチェックもすんなり済めば、今日はもう寝るだけだ。吉野がベッドでゴロゴロとしていると、リビングの片付けを終えた羽鳥が寝室にやって来た。 「吉野、明日のことなんだが…」 「明日?なんかあったっけ?」 頭に浮かんだのは、今日気にしていたいつもと違う羽鳥の態度。もしかして、何か特別なことがあるのは、今日ではなく明日のことだったのだろうか。 「いや、何もない。だから…」 「だから?」 「明日、どこか行かないか?」 「へ…」 「持ち帰りの仕事も殆ど終わらせたし、明日は一日空いているからな。前に見たいと言っていた映画を見に行ってもいいし、画材を見に行きたいとも言っていただろう」 その理由は、もしかして…。 「もしかして、今日仕事終わらせてきたのって…明日俺と一緒にいるため、とか?」 眉間に皺を寄せた羽鳥だが、こういう時に羽鳥が黙っているのは肯定の意だ。 胸の奥がじわじわと熱くなる。 明日は、羽鳥と一緒にいられる日。何の変哲もない日だけど、そんな些細なことが嬉しくて。 「トリ、手」 「手?」 「たまには手を繋いで寝ないか」 幼い頃みたいに、手を繋いで並んで寝たい。互いの存在を感じながら眠りにつきたい。 吉野の言葉に一瞬キョトンとしてみせた羽鳥だが、いつものしかめ面を和らげて吉野の手をとった。そのまま引き寄せて、手の甲にキスをする。 「なっ…、何してんだお前はっ」 「手を繋ぐだけで済むと思っていたのか、千秋?分かっていないな」 羽鳥が、はあ、と大袈裟に溜め息をついてみせる。 「いやいやいや、なんでそうなるんだよ!…それに、明日出掛けるんなら体力残しときたいっつうか…っ」 ギャーギャーと喚いた吉野だが、羽鳥の唇に口を塞がれて、それ以上の文句の言葉は継げなくなった。 ―――そして翌日。吉野は枕元の目覚まし時計を見つめて呆然としていた。 「俺の見間違いじゃないなら、今の時間ってさ…」 「夕方の四時だな」 さらりと言ってのける羽鳥が憎ったらしい。 「だーかーらーっ、なんでいっつも起こさないんだよ、お前はーーー!!」 「…すまん」 「謝ればいいってもんじゃねー!」 「じゃあ、一体どうすれば気が済むんだ」 今日は一日羽鳥とゆっくり過ごそうと思っていたのに。羽鳥としようとしていた予定を実行するには、もう時間が遅過ぎる。今日は大人しく家で過ごすしかあるまい。 「もう、いいよ…」 「じゃあ仕事するか?来月のネームのことだが…」 また、仕事なのか…。この仕事の虫と、仕事のことを一言も話さないで済む休みは、来ないものだろうか。 がっくりとする気持ちを抑えながら、吉野は次の週末に想いを馳せるのだった。 匿名様リクエスト、トリチアで「金曜日の夜に明日は休みだから一緒に居られて嬉しいなって思いながら、一緒に手を繋いで寝る」話でした! 折角なので金曜日の夜にアップしたかったのですが、一日遅刻して土曜日のアップになってしまいました…(苦笑) 皆様、良い週末を〜^^ リクエスト有り難う御座いました! 2011.10.01 |