まだ俺が吉野より背が低かった頃、吉野の家でおやつを食べた時のことだ。 椅子に座らされた俺と吉野と千夏ちゃんに「三人で仲良く食べなさい」と頼子さんが皿の上に出したのは、小さな子供三人には少し多過ぎる位の量のポッキーだった。 頂きます、と手を合わせてポッキーを取ろうとした俺は、競い合うように食べる吉野と千夏ちゃんに唖然とする。俺は一人っ子だから、それまでおやつの取り合いなんてしたこともなくて、我先にとポッキーを口に突っ込む吉野達に圧倒されてしまったのだった。 その内に、皿の上はあっという間に空になる。 「こら、あんた達!仲良く食べなさいって言ったでしょ。芳雪くん、殆ど食べてないじゃない」 「あっ、ごめんなさい…」 「ああ、ごめんな?」 母親に指摘されて余所者の俺の存在を思い出した千夏ちゃんは顔を赤らめて俯いたが、指に付いたチョコレートを赤い舌で舐める吉野には全く悪びれた様子はなく、あっさりと謝ってみせる。甘い菓子を食べて充足感に満ちた吉野は、ハイエナのように菓子を攫っていった癖に、まるで天使のような笑みで黙り込んだ俺の顔を覗き込んだ。 ―――そんなに美味しかったのなら、躊躇わずに手を伸ばして、俺も食べてみれば良かったな。 少しの後悔と羨望を感じながら、吉野の唇の端に残ったチョコレートをぼんやりと眺めていた。 「どうしたんだよ、これ」 「…急に食べたくなった」 テーブルの上にどっさりと置かれた菓子の箱の数々に、吉野が目を疑う。 いつも食材を買っているスーパーのお菓子売り場で目についたものを手当たり次第に籠に突っ込んだのだが、普段の俺には珍しい行動で、吉野が訝しげにするのも尤もだった。 「俺がスナック菓子とか買ってきたら小言を言う癖に、自分は良いのかよ」 「それは、お前がちゃんとしたメシを食わずに、菓子ばかり食べるからだろ」 いつものように小言を聞き流した吉野は、新製品の菓子を手にして俺の顔を伺い見る。目の前に置かれた餌が食べたいけれど、待てと言われてウズウズしている犬のようだ。 「……食っていいぞ」 「やった!」 嬉々としてパッケージを破る顔は、幼い頃とまるで変化がなかった。 チョコレートと細かく砕かれたアーモンドのポッキーをくわえた吉野が、口数が減った俺に漸く気付き「どうかしたか?」と尋ねる。その拍子にアーモンドの欠片が零れ落ちた。 「…今日、昔の夢を見た」 「ふーん?」 相槌を打ってからもう一口食べ進めて、またアーモンドがポロッと落ちる。これは後でテーブルを拭かねばなるまい。 「夢の中のお前は、口の周りにチョコレートをベタベタ付けながら、おやつを食べていて」 「……いくつの頃の話だよ…」 吉野は短くなったポッキーの残りを口の中に入れて、気まずげに視線を泳がせる。 「とても美味しそうに見えたから」 「…だから食べたくなったとか?」 俺の発言が意外だったのか、ぱちぱちと瞬かれる。 「こんな思い付きの行動なんて、トリにしては珍しいな」 何故か悪戯が成功した子供のように楽しそうな顔をして、もう一本ポッキーを手に取った。 ―――――唇の端には、チョコレートが付いている。 「………そうだ、思い出した」 「?」 手を伸ばして、吉野の唇に付いたチョコレートを指の腹で拭う。濡れた唇が、ぴくりと動いた。 「俺はあの時、お前の口に付いたチョコレートに腹が立ったんだ」 「……なんだそりゃ?」 「人の分までうまそうに食い尽くした割に、どうにも味わって食べていない気がしたから」 「…そりゃ悪かったけど、もう時効だろう…。しかし、よくそんな昔のこと細かく覚えてたな、トリ」 当時を思い出して眉を寄せた俺に、吉野が呆れて嘆息する。 ―――俺が吉野との思い出を忘れないのは、変わってないせいだ。吉野のあどけない表情も、そんな吉野をずっと見つめていた俺も、記憶のアルバムのどのページを開いても同じ構図で、一度紐解けばつい昨日のことのように振り返ることが出来るから。 吉野がポッキーを食べるのを再開する。 先程吉野に触れた指先を舐めてみると、チョコレートの甘味が僅かに舌先に広がった。 「吉野」 「…何?」 「うまそう」 きょとんとした吉野が、開封されたポッキーの袋を差し出す。 「……お菓子が?」 「菓子も」 頬に手を添えて、今度は吉野の唇を舌で直接なぞる。予想通り、甘ったるい味だった。 2012.1.11 小ネタより移動 |