終点 2 | ナノ

その違和感の正体に俺が気付いたのは、じめじめと暑苦しい夏の日のことだった。
何故かご機嫌斜めの千秋から電話があり、まもなく俺の家にやってきた。
「ビールとつまみ買ってきた。飲もうぜ!」
子供の頃、妹とおもちゃの取り合いをして負けたときと同じ、不貞腐れたような顔。俺は苦笑して千秋を家に入れる。
「随分と沢山買ってきたな。また羽鳥と喧嘩でもした?」
羽鳥と喧嘩した千秋が俺のところに逃げ込むのも、いつものパターンだ。俺を頼ってくれるのは嬉しいけれど、口を開けばトリトリとばかり繰り返されるので複雑だ。
「う……っ。と、とにかく、飲もう!今日、泊まっていってもいいだろ?」
「別にいいけど…」
………こいつ、俺がお前のこと好きだってこと、ちゃんとわかってるんだろうか。

千秋に『優は誰かと付き合わないのか』と言われ、遂にカッとなって『俺が好きなのはお前だ』と打ち明けたのはつい先日のことだった。
優は気の合う幼なじみで、一番の親友。そう公言していた千秋だから、俺の告白にそれはもう驚いて、信じられないと目を丸くしていた。千秋にとっての俺も、かつて俺が思っていたように、空気みたいな存在だったのだろう。
急に意識してギクシャクしだした千秋が気の毒になり、しばらく時間をあげるからとこれまで通りに接することに決めたのは自分だが、俺の告白など忘れたように振る舞う千秋に苛立ちを感じる。
それでもいいかと思いかけている俺は、結局千秋に相当甘い。……でも、それでは前に進まない。

「……いいけど、交換条件」
「ん?なんだよ」
「スケッチさせてよ、ヌードスケッチ」
「ぶはっ!!」
むせてゴホゴホと咳をする千秋に、少しだけ溜飲が下がる。口の端についたビールの泡を拭いながら、「なんでいきなりそんなことを言うんだ」と、目だけで咎められた。
「嫌なら上半身だけでもいいけど」
「………どっちにしろ、やだよ」
さっきむせた千秋は目を赤くして、はあ、とため息を吐く。そんな千秋にとっては何気ない仕草に、俺はあの中学一年の夏の日と同じ想いが沸き立った。

千秋の全てをどうにかしたい。

「……ちょっ、優っ?」
油断していた千秋の肩を押せば、薄い身体は簡単に畳の上に倒れた。驚いた千秋は、大きな丸い目で俺を見上げる。その顔に余計煽られるなんてこと、やっぱり千秋は気付いてないんだろうな。
「やめろよ、優。俺、こういう冗談好きじゃないんだけど」
「俺もこういう冗談は好きじゃない。…けど、これは本気だから」
「え……っ?おい、やめろ………優ッ」
半開きの唇に、自分のそれを合わせる。夢にまでも見た千秋との初めてのキスは、さっきまでのビールのせいで最初はひんやりとしたけれど、柔らかくてまさしく夢のようだった。
一度離して、今度は白い首筋に口付ける。前から綺麗だと思っていた千秋の身体の箇所の一つだ。
びくりと肩を震わせた千秋は、喘ぎの代わりに口を僅かに動かした。

『トリ』

ガン、と頭を殴られたような衝撃。本当に千秋に殴られたのだと思い至るまで、数秒かかった。
子供の頃から千秋とくだらない喧嘩は何度もしたけれど、一度だって殴り合いの喧嘩はしたことなかった。俺が悪いときも、千秋が悪いときも、最後はいつのまにか笑っ
、またいつものように遊び始めていた。
その千秋に、殴られた。
「ごめん、優……。俺、お前とはこういうこと、したくない」
ぐい、と、さっきビールの泡を拭っていたよりもぞんざいに口元を拭われる。
「なんでだよ…っ。羽鳥なら、いいっていうのかよ!」
「いや……その、」
口ごもった千秋は、頬を赤くして黙ってしまった。今日見た千秋の表情で、一番赤い。
白く塗られた白い画用紙が、分かりやすく真っ二つに破かれた。

……もしかして、千秋と羽鳥は付き合っているのか。

呆然としていると、縁側からドタバタと音がして、闖入者の来訪を伝えた。息を切らした羽鳥芳雪は、焦りながらもご丁寧に靴を脱いでから上がり込んできて、千秋の姿を見て激昂した。
「千秋!!柳瀬……お前、千秋に何をした!?」
さっき千秋に殴られたよりも強く、羽鳥に拳を振るわれる。口内に滲んだ鉄の味が、これは事実なのだと主張した。
「トリ、やめろ!」
「なんでお前はこいつを庇うんだ!」
「庇うっていうか……ああ、もう。やめろってば!」
羽鳥の腕を掴んで、千秋が必死に羽鳥を止める。すぐ近くで何やら言い合っている二人が、とても遠くに感じられた。千秋の一番近くにいたのは俺のはずなのに、いつの間に千秋はこんなに遠くに行ってしまったのだろう。
「………お前ら二人とも、帰れ」
「お前、何をしゃあしゃあと……!」
「わかった、帰るな。優、……その、また連絡するから!」
更にいきり立つ羽鳥の背中を押して、千秋が部屋から出て行った。俺は千秋に返事をしようとしたけど、胸が詰まってとっさに声が出なかった。

一気に静かになった部屋の中。散らばったビールの缶を拾おうとして、描きかけのスケッチブックに目が止まった。

「なんで………ッ」

白かった画用紙が、ぽつぽつと湿る。零れた涙のせいで、スケッチブックの中の千秋がどんどん滲んでいった。

「────なんで、俺じゃ駄目なんだ………っ!なんで、羽鳥なんだよ!!」

一人で叫んでも、答えはない。
画用紙はそのうち、歪んで波打った形のままで乾いていった。













2013.4.1
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