葦(よし)の髄から天井覗く 2 | ナノ

一之瀬絵梨佳が吉野屋を訪れたのは、それからおおよそ一月後のことだった。千秋がまたも熱を出して寝込んでいたとき、屏風のくせに外を出歩くのが大好きな木佐が、梅の蕾が大分膨らんできたと話しにきた日だ。
「もう春だなあ…桜の前に、梅で花見をするのもいいかもしれない」
「木佐さんは本当に花見が好きだよなあ」
「そうそう、毎年この時期がくるのが楽しみで。俺は花見で浮かれた人間の背をとんと押して、川や堀に突き落とすのが好きなの」
にいっと笑ったこの木佐という妖は、かなりの面食いなのだが、かなりの悪趣味でもある。
──ともかくそういうくだらない話をしていたときに、何やら店先がざわついていることに千秋達は気付いた。
「どうしたんだろう。騒がしいな」
布団からそろりと抜け出し、ふすまを少しだけ開いて店先を覗き込む。
奉公人たちがそわそわと遠巻きに見ているその視線の先には、見慣れた手代と、見慣れない女が何やら話していた。
「トリと……誰だろ、あの人」
「なんだ、千秋、知らないの?噂の浮世絵古町だよ」
千秋の独り言にすぐさま答えたのは、千秋に続いてふすまの間を覗いた木佐だ。
木佐に言われて今度はまじまじと見てみた女は、なるほど確かに浮世絵古町と呼ばれるに相応しい華やかな顔だちだ。鮮やかな紫の着物がよく似合っている器量良し。噂に聞いていた通りの女だった。
(トリと並ぶと絵になるなあ)
身の丈が大きい羽鳥と並んでも見劣りしない、しゃんと姿勢の良い、いかにも活発そうな女。寝込んでばかりの千秋とはまるきり違う。
くすくすと笑んだ一之瀬が、羽鳥の着物に手を伸ばす。どうやら糸くずか何かがついていたらしく、細い指からひらりと落ちていったそれを見て、羽鳥も笑い返した。
(………なんで笑ってるんだよ)
その横顔に、もう何度目かは知れぬけれど、頭の中が熱くなって。
いつかの羽鳥が律のことで笑っていたときと同じだ。季節は一巡したのに、千秋は何も変わっていない。
視界が歪む。おかしな様子の目をこすったら、手の甲が濡れていた。
「────千秋?」
どうして自分は泣いているのだろう。頭はやはり熱いし、胸も苦しいし。そうだ、これはきっと病に違いない。
「……部屋に戻ろう」
木佐に自分の顔を見られぬよう、急いでその場を立ち去ろうとする。
…が、自分の足にもつれて、躓いた。
「うわ…っ!」
「千秋っ!?」
べしゃりと顔面を床板に受け止められながら、こんなことで意識が遠のいていく貧弱な己の身を千秋は呪った。



「――――……?」
目を開いて、まず視界に入ったのは見慣れた自分の部屋の天井。ちらりと視線を横に向ければ、いつかのように眉間に皺を寄せた男が枕元にいた。
「目が覚めたか。部屋で大人しくしていたはずのお前が、なんであんなところで躓いているんだ」
「トリ……」
しかめっ面を崩さない羽鳥が、額に手を当ててくる。指先の冷たさに一瞬肩が震えて、ようやく己の身体の熱さを思い知った。どうやらまた熱をぶり返していたらしい。
「今日は薬を飲んで大人しくしてろと言っただろう」
「ちゃんと部屋で大人しくしてたってば」
「あんなところで転けて、目を回していたのに?完治するまでじっとしていないから、いつまで経っても治らないんだ」
溜め息を吐かれて、濡れた手拭いを額に当られた。羽鳥は本当に世話焼きなのだ。
何故だかまたもじわりと目が滲んできたので、置かれた手を急いで振り払い、布団に潜ろうとする。羽鳥に泣いているところを見られたくはない。
しかし、その払った手を羽鳥に捕まれて叶わなかった。向かい合った妖の眼が真っ直ぐに刺さる。
「この間から一体どうしたんだ、千秋。熱以外にも、どこか悪いんじゃないのか?」
「…………」
どこが悪いかなんてわからない。自分の方こそ知りたいくらいだ。
少なくとも羽鳥は何も悪くないから、真剣に心配している風の羽鳥の態度が辛い。何も喋らない千秋に、羽鳥はもう一度ゆっくりと語りかけた。
「千秋、」
その声を聞いたら、もう駄目だった。遂にぼろぼろと涙を零し始めた千秋に、羽鳥はぎょっとして目を見開く。
「千秋……?」
「くるしい」
すがりつくように羽鳥の着物を掴んで、きゅっと握った。
「お前が誰かといるのを見ると、胸の奥が苦しいんだ」
「は……」
千秋の顔を覗き込む羽鳥は、意味が飲み込めないとばかりに切れ長の目をぱちくりとさせる。
「俺だってどうしてなのかわからないけど、でも、とにかくそうなんだ」
きっかけはなんだったのだろう。羽鳥が自分のことを好きだと思ったから?そうだ、それ以来どうにも気持ちが落ち着かない。
けれどそれだけではなくて、つまらない焼き餅をやいてしまうのは何故だろう。
「───とっくに知られていて、それで態度が妙なのかと思っていたが」
千秋の両肩を掴んだ羽鳥の手に、ぐっと力がこもる。
「俺はお前が好きなんだ。他の何よりも」
心の臓がどくんと鳴る。もう一粒雫が零れて、その拍子につっかえていた胸の奥がすとんと降りた。
───ああ、そうか。きっと自分も、羽鳥のことが。
「千秋、お前は?」
「お、おれ、は………」
言い終える前に頬に手を添えられて、羽鳥の顔がゆっくりと近付いた。ぼうっとして身体が動かない。そうして唇が触れる寸前、

「───この、不届き者が……っ!」

……ぱしんと、勢いよく襖が開かれた。
「優!?」
どしどしと大きな足音を立てて部屋に入ってきた柳瀬は、羽鳥の胸ぐらを掴んで、これでもかと目をつり上がらせる。
「悪寒がして来てみれば……。お前、千秋に何をしている?」
柳瀬は犬神という強い能力を持った妖である。とても勘が良く、そして鼻が利く。ばつが悪そうな顔をしている羽鳥と柳瀬は、そのまま言い合いを始めてしまった。
いきなりの闖入者に目を白黒させている千秋の頭上から、あーあ、という声が聞こえた。
「止めるなよ、柳瀬。せっかくこれからいいところだったのに」
屏風の上から顔を覗かせた木佐が、不満を露わに口を曲げている。
「木佐さんっ?み、見て…っ」
「おや、千秋とは短くない付き合いなんだから、 俺の本性を忘れたとは言わせないぞ?俺は屏風のぞき。屏風の向こうから誰かの閨を見ているのが大好きな妖なんだから」
「な、な……っ」
狼狽える千秋を、木佐はけらけらと笑い飛ばした。
「おや、羽鳥の奴。あんなに眉間を寄せていると、そのうち両の眉がくっついてしまうぞ」
木佐の視線の先の羽鳥は、すごい剣幕の柳瀬にうんざりとした様子だ。
「………トリはいつでもあんな感じの顔だと思うけど」
自分で認めるのも悔しいが、羽鳥に説教ばかりされているので、自分の印象に残っている羽鳥の顔の大半もそのときの顔なのである。
「はあっ?見せてやりたいよ、お前がそっぽ向いている時に見せる、羽鳥のにやけた面。羽鳥はあれで格好付けだから、お前の前では精々固い顔を作るように努めているのさ。それはもう、気持ち悪いくらいなんだからな」
「……へ?」
振りかえって見た羽鳥は、青い顔でこめかみをひくつかせていた。羽鳥は齢千年の妖。柳瀬ほどではないが、人よりも断然耳が良い。
「………本当に、お喋りの過ぎる屏風だな。いっそ黙らせてやろうか」
「うぎゃあっ、羽鳥、水をかけようとするな!俺は屏風だから、火と水が大っ嫌いなんだ。この、鬼!」
「知っているからやろうとしている。それと、あいにく俺は鬼ではない。単なる獣の妖だな」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ木佐に、それを睨みつける羽鳥、未だ目を吊り上げたままの柳瀬。千秋は悪戯を思いついた顔で笑った。
「なあ、トリ」
「?」
「にやついてるって本当?」
「…………」
見上げる千秋に堪え切れず、羽鳥はそっぽを向いてしまった。
春と言うにはまだはやい午後。ふわりと風が吹いて、何かの白い花びらが縁側から舞いこんだ。











やち様リクエスト『しゃばけパロの続き』でした。
二人の日常話(の中にちょっと進展も…)ということでしたので、ちょびっと進展させてみました。自分の中では、しゃばけパロはここまでで一区切りだと思っています。
一番最初にパロを考えた時、こうして続きを話にして書き起こそうとは思っていなかったので、書く機会を頂けて楽しかったです。
リクエストありがとうございました!
2013.07.15
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