溢れんばかりの | ナノ

プライドの高いヒロさんは、俯くことは好まない。だから病院の待合室で顔を傾けて、ぽつりぽつりと愚痴を漏らしていたヒロさんを見た時には、ハッとさせられた。
約束を破ってがっかりさせたのも、一緒に居たいという我が儘を飲み込ませてしまうのも、全部俺のせいで、そして俺のためだ。

すぐに側に行きたい。謝りたい。話がしたい。触れたい。
そう思って駆け寄ろうとしたのに、既にヒロさんに伸ばされていたのは、俺のものじゃない別の誰かの手。
やめろ、その人に触れていいのは俺だけだ。
俺だけなんだ。

スッと伸ばされていた手を強引に掴んで阻む。いきなりやって来た俺に驚くヒロさんと、手の持ち主。
「…お前、いーとこで登場するよな」
ヒロさんに手を伸ばそうとした津森先輩が平淡な口調で言った。後ろから先輩の手首をぐっと掴む格好になっていたので、無理な体勢と握った力の強さに「つーか、痛いんだけど、野分」と顔をしかめられる。
先の言葉が、いいところで邪魔をしてくれたなと言っているようにも取れて、内心不愉快だ。邪魔で結構、邪魔をしているんだから。俺の恋人に気安く触れないで欲しい。
ムスッとした俺や、まだ驚いた表情のままのヒロさんを尻目に、おどけたような笑みを一つ浮かべて先輩は去っていったけれど……何となく、嫌な予感がした。




「はぁ…」
「さっきから何なんだよ、野分。人の顔見て溜め息吐きやがって」
「いえ…なんでもないんです」
そう言って、再び朝食に手を付ける。ヒロさんも納得いかなそうにしながらもマグカップに口を付けた。
クリスマスプレゼントとして渡した揃いのマグカップは、毎朝のコーヒーのお供に使われることになった。でかでかと描かれたハートマークに最初は嫌そうな表情が隠せていなかったけど、それを口元に運ぶ度に少し照れくさそうにするヒロさんが見れて俺は満足だ。そういう照れてる顔が見たかったから、こんなコテコテのプレゼントにしたのだし…なんて、本人に知れたら殴られそうなので、俺だけの密かな秘密だけど。
眉間に皺を寄せて口を引き結んで、でも頬に朱が差していることに気付いていないヒロさんは可愛い。本当に可愛い。だから。

(…可愛いから、心配なんだよな…)

本人に言ったら馬鹿じゃねーのと鼻で笑われるか、これまた殴られるだろうけど、ヒロさんは自分がどんなに可愛いか分かっていないから、俺は気が気でない。
普段のヒロさんはしっかりしているから、妙な輩が寄ってもあまり心配はしていない。けれど落ち込んだヒロさんには隙が出来るから、それが心配なのだ。
俺がヒロさんを好きになったのはヒロさんの泣き顔に一目惚れしたからで、前に職場の上司に迫られていた時にもやっぱり涙が浮かんでいた。この前先輩が手を出そうとしたのも、きっと憔悴したヒロさんが可愛く思えたからなのだろう…昔の俺みたく。
隙を見せるのは俺だけにして欲しい。けれどヒロさんを落ち込ませたのは俺で、至らなかったのは俺だ。ヒロさんに文句を言われる謂われはない。
それに、そんな可愛いヒロさんが好きだから、やっぱりそのままで居て欲しい。
―――対策は分かっている。変わるべきは、きっと俺。

「じゃあ、俺、そろそろ行くから」
「はい…あ、ヒロさん、忘れ物」
立ち上がったヒロさんの顎を掴んで、テーブルの上のマグカップを倒さないように優しく、でも少し強く引き寄せる。
「…行ってらっしゃい」
耳朶まで真っ赤になって暫く黙り込んだヒロさんが、やがてわなわなと肩を震わせた。
「だーかーら、お前は何処までベタな新婚夫婦ごっこがしたいんだ!このペアのマグカップと言い、毎回の行って来ますとお帰りなさいのちゅーと言い…」
「えーっと、行き着く所まで…?何処まででも行きたいです」
「……お前は一体、何処に辿り着いたら満足するんだ……?」

俺がヒロさんを大切にしているということがわかるように、もっともっと愛するだけ。
怒られても、呆れられても、もっともっともっと、際限なく注ぎ込むから。











2012.12.20 小ネタより移動
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