今日の朝食兼昼食は、空腹に絶えかねてキッチンの棚の奥を探ったら出てきたカップ麺。 それでも腹を満たすには足りなくて、食料の買い出しに出かけることを決意したのが、午後の一時くらいだったか。 スーパーマーケットのあった気がする方向へふらふら歩いて、いつまでたっても辿り着かないことに気付いたのは、それから数十分後。 迷い込んだ道の先にのぼりが何本も立てられていて、その奥の鳥居に目がとまった。 どうやら神社があるらしい。 実家を出て、この地に一人暮らしを始めてから、数年が経つ。そこらじゅうに白い紙垂がいくつも踊っていたので、どこかで祭りをやっているのだろうとは思っていたが、こんなに近くに神社があったとは知らなかった。 すぐそばの電柱の少し低い位置に貼られていたチラシには、秋祭りの知らせという大きな文字と、あの神社のものと思しき神社の名前。 ああ、きっとあそこのことを指しているのだな。 一人納得した俺は、赤いのぼりに誘われるようにふらふら神社に足を踏み入れる。物珍しげにキョロキョロと周りを見回せば、静かにざわめき活気づく光景が広がっていた。 屋台の骨にのれんを付けている青年たち。何やら道具を抱えて忙しなく動く巫女。神楽が行われる予定なのだろう、神社の端にあった簡易ステージでは、龍がくねくねと動きを確かめている。 舞台裏を覗いてしまったような背徳感と、高揚。 そういえば俺、祭りの準備を見るのは初めてかも。子供の頃に来たときは、確か………。 そのままぼんやりと見続けていたら、不意に服の裾を引かれた。 いつの間にやら、俺のそばには十歳くらいの少女が立っている。頭のてっぺんで伸びかけの髪を一つに結んだ少女は、少しだけ申し訳なさそうな顔で笑った。 『ごめんなさい、まだ準備中なの。だから、またあとで来てね』 先ほど電柱に貼ってあったのと同じチラシを手渡した彼女は、ぐいぐいと俺を鳥居の外に押し出す。まるでガラス戸を閉められたみたいに区切られた向こう側から、少女が忙しそうに駆けていくのを見送った。 …とにかく、このままここにぼうっと立っていてもしょうがないか。来た道を戻ろうとすると、さっきの電柱が目に入る。 もしかしてこの電柱のチラシも、あの子が貼ったのかな。彼女の目線と同じくらいの高さの紙切れに目を見ていると、じわじわと興味がそそられてくる。 夜になったら、またここに来てみようか。 一人で?…それとも、誰かと?それならば、あいつを誘ってみようか。 ポケットから携帯電話を取り出して、勢いに乗せてボタンを押す。一番に思い浮かんだ最も気安い相手に、手早くメールを送信した。 『今夜、近所の神社でお祭りやってるみたいなんだ。トリ、一緒に行かない?』 「イカ焼き、たこ焼き、お好み焼き。焼きそばに、焼きトウモロコシだろ。わたあめにリンゴ飴にチョコバナナにカステラに……ああ、やっぱりフランクフルトも食べたいかも」 一歩足を踏み出す毎に、食べたいものを一つずつ指折って数える。俺の隣を歩くトリが呆れて溜め息を吐いた。 「そんなに買っても、食いきれないだろうが」 校了明けということもあってすんなり帰れたと言うトリは、俺の突然の誘いに渋面ながらも急いで来てくれた。そのことがちょっと俺の機嫌を良くしていたりもする。 「うーん、そうかなあ。だってお前も一緒に食べるだろ?」 「俺はそんなにいらない」 「ええっ!?せっかくお祭りに行くっていうのに…じゃあ、お前、何しに来たわけ?」 「…全く、普段面倒くさがって食事を抜くこともあるくせに、こういうときは本当に食い意地が張っているよな…」 そこかしこに吊られた提灯にゆらゆらと照らされて、トリの眉間の皺に影が少し伸びた。 いざ辿りついた、昼間の神社。 町の小さな神社だし、敷地内と周辺の道路にぎゅうぎゅうと詰まった屋台の数はさほど多くはない。なんとなく予想はしていたけど、俺の希望の食べ物は全ては扱っていなかった。 だけど、どんどんと太鼓の音が聞こえたり、近所に住んでいるのであろう子供たちが負けじと元気に声を上げていたりと、結構なにぎわいを見せている。 とりあえず目に入ったたこ焼きを購入して、口に放る。手元ばかり見て歩いていたら行き交う人にぶつかりかけて、トリの眉間にまた影が落ちた。 「迷子になるなよ」 「ならないって。ここ、そんなに広くもないし…あ、」 あっちでは飲み物が売ってる。何か飲もうかなとふらりと足を前に出して、また人にぶつかりかけた。トリが手首を掴んでくる。 「ちゃんと周りを見て歩け。危なっかしい」 「………」 「聞いているのか、吉野」 掴まれた手首。人波の中。前を歩きだしたトリ。 唐突に思い出した。そういや前にもこんなことがなかったっけ。 記憶を辿って浮かんできたのは、今より小さいトリの背中のシルエット。 ―――そうだ。ずっと昔にも、トリと二人で秋祭りに行ったことがあったんだった。 確か俺達が、昼間に会った少女よりもう少し幼かった頃。この神社と広さのそう変わらない、実家の近くの神社の秋祭り。 道中の俺は今日と同じように、やりたいことを指折り数えていた。 『トリ、俺、たこ焼きとわたあめとフランクフルト食べたい。あと、射的とくじ引きもしたいし、それから…』 『そんなに小遣いないだろ』 もっともな指摘に頬を膨らませているうちに神社に辿り着く。 普段は静かな神社にわらわらと集まった人、人、人。美味しそうな食べ物のにおいがあちこちから、見た目に楽しい玩具がそこここで顔を覗かせていて、俺はすぐに人波に飛び込む。 真っ先に目に付いた水風船の屋台を覗いて、綺麗だなとかトリに話そうと振り返ると、いつの間にかさっきまでそばにいた筈のトリはいなくなっていた。 すると、さっきまでの好奇心はしゅるしゅると萎み出して、急に心細くなる。 どうやらはぐれたみたいだ、どうしよう。周りも知らない人ばかりだし。 しばらくその場に立ちつくしていたら、突然ぐっと手首を掴まれた。 『いた』 少し息を早くしたトリだった。 当時のトリの背はまだ俺より僅かに高いくらいで、だから表情もずっと近くに見える。怒っているような、呆れているような、安心しているような、いつものトリ。 『お前、急にいなくなるんだから』 『う、ごめん…』 『もういいよ。ほら』 差し出された掌に、何も考えず自分のそれを重ねる。触れた部分があたたかくて、ほっとした。 そしてそれからは、はぐれないようにと手を繋いで屋台を物色したのだった。 (すっかり忘れてたなあ) トリと祭りに行った思い出なんていくつもあるけど、手首を握るトリの掌はいつでも同じようにあたたかい。 今更ながら実感して、胸の内がくすぐったくなってきた。もうすこしこの温度を確かめてみたいな。 指を潜り込ませて、手を繋ぐ。固い指と柔らかい掌を合わせて生まれるのは、離しがたいぬくもり。 そうして見上げたトリは、切れ長の目をこぼれんばかりに大きく見開かせていた。……そこまで驚かなくても。 「なあ、トリ。もう帰る?」 「お前、色々食いたいものがあるんじゃなかったか」 「そうだけど、なんかもう満足した」 「お前は一体何をしに祭りに来たんだ…」 そう言われても、初めから明確な目的なんて無いので困る。 でも、満足はした。俺はもしかして、ここに忘れ物を取りに来たのかもしれない。これまでもあったし、これからも起こりうる思い出の忘れ物。きっとまたいつか二人で秋祭りに来ることもあるだろうという、根拠の無い確信を得られた。 「屋台もいいけど、トリの作るごはんが食べたいなと思って。なあ、これからトリんち行っていい?」 「別にかまわんが…」 「じゃあ、決まり」 トリの手を引いて、鳥居をくぐる。区切られた外は意外と静かで、冷たい風が頬を撫でていく。 肌寒さにトリへの距離をもう一歩詰めて指を絡めたら、何か悪い物でも食べたのかと訝しげな顔をされた。 とき様リクエスト『トリチア、秋祭りに参加。千秋がトリに甘える話。』でした。 私は子供のときに、お祭り=別世界みたいだなあとかぼけっと考えていたことがあって、そういう雰囲気を表したいな―と思いながら書いていて、こんなお話になりました。秋らしさが少しでも出ていれば嬉しいです。 リクエストありがとうございました! 2012.11.06 |