仕事を終えて吉野の家を訪ねてみれば、今日は珍しく吉野が玄関で出迎えてきた。 しかし、玄関に駆け寄ってきた吉野はいつもより元気がない様子だった。言うなれば、街中で突然親とはぐれた迷い子のように途方にくれた顔をしていて、吉野にはあまりにも似合わないその表情に、思わず心配になってくる。 「…どうしよう、トリ、俺………」 すがりつくような上目遣いで見上げられれば、俺には放っておける筈もない。取り敢えず、何故吉野の元気がないのか理由を尋ねてみることにした。 「何かあったのか、吉野。言ってみろ」 「ザ☆漢の限定フィギュア、なくしちゃったみたいなんだ…」 …そう言って不安げに揺れる潤んだ瞳を見て、苛立ちと共に日頃の仕事の疲労がどっと呼び起こされ、目眩がする。 ………………前言撤回、こいつの心配など、するんじゃなかった……。 感情に任せて無防備な頭を一発叩けば、吉野は「いったー…いきなり何すんだよ、トリ!」と、いつも通りの調子の声をあげた。 「―――いや、あのさ。俺も自分なりに探したんだけど、全然見当たらなくってさ…」 先刻の俺の攻撃がまだ効いているらしく、赤くなった額をさすりながら吉野が云うには、なくしてしまったゲテモノ料理人ザ☆漢十四巻限定版特典フィギュアは、つい四五日前まではリビングのテーブルの上にちゃんとあったらしい。しかし、一昨日のデッド入稿時のドタバタで、いつの間にかフィギュアが見当たらなくなったそうなのだ。 「心当たりは全部探してみたんだけど…トリはどこかで見なかった?」 「知らん。そんなに大事なものなら、きちんと管理しろ。大体、普段から片付けをしろといつも言っているだろう」 「そうだけど…」 吉野は俺の言葉にしゅんとしながら、溜め息混じりに漏らす。 「せっかく、優に貰ったのになぁ…」 …例え今の吉野の切なげな表情が、柳瀬を想ってのことではなく所在が分からなくなったフィギュアのことを想ってだと頭で理解していても(柳瀬にとっては残念なことに、こいつはそういう奴だ)柳瀬に対する嫉妬心が拭えない。 …大体、吉野は何故柳瀬のことを「優」と呼ぶのに、俺のことは「トリ」なのか。 俺の知る限り、柳瀬は「優」と呼ぶのを許している相手は、吉野以外には居ない。 一方俺は、あの花火大会の日以来一度も「芳雪」と呼んで貰っていない。学生時代からのあだ名である「トリ」の方がすっかり定着していて、呼びやすいのだとは分かってはいる。しかし、古い友人や高野編集長、いつの間にか担当作家達にまで浸透してしまった「トリ」という呼び名は特別な呼び名だとは思えなくて、吉野と恋人になってからはそのことがより歯痒くなった。 …俺だって、誰にでも下の名前で呼ぶのを許す訳ではないのだが。俺が吉野に名前で呼ぶのを望むのは、駄目なのだろうか。 「…トリ、どうした?急に黙り込んで。あ、もしかして、やっぱり心当たりでもあったとか?」 不意に声をかけられて、ぐるぐると飲み込まれていた後ろ向きな思考が中断させられる。吉野の方を見てみれば、ソファのクッションの下を見て「うーん、ここにもないな〜」と唸っていた。 長年執着し過ぎて嫉妬や独占欲でドロドロに濁った俺の恋心とは真反対の、くだらないことで無邪気に一喜一憂出来るムカつく位に脳天気な顔。 俺の気持ちをわかっているのかいないのか、呆れるほど無防備だ。 ―――現に今だって、軽く肩を押せば、不意を付かれた吉野は簡単にソファへと倒れ込んだ。 「…トリ?」 目を見開いて驚いていたものの警戒はしていない吉野の様子に、また胸中がざわざわとする。吉野の顔を見下ろして暫く黙っていたら、吉野は訝しげに見上げてきた。 「………なんか、また一人で勝手にぐるぐるして沈んでないか?お前」 はあ、と溜め息を付く吉野を見て、もしや呆れられたかと思ったのだが、吉野に呆れた様子はなく、困った奴だなと苦笑いを浮かべていただけだった。 「何考えて落ち込んでんだか知らないけど…俺は、いつも通りのトリが一番いいから」 だから、早く元気出せよ? そう言って俺の頭を撫でてきた。あ、これ、まるでガキの頃みたいな慰め方だよな、と言って、はにかみながら。 ―――わかっていない。 吉野は俺のことなんてわかっていない。俺が何を考えて、何に落ち込んでいたかなんて知らない。 それでも、どうして吉野の何気ない言葉で、俺の心は晴れていくのだろうか…。 「千秋…」 顔の横に手を付いて体を近付ければ、ある程度予測はしていたが、吉野は大袈裟に騒いできた。 「うわ、ちょ…トリ、盛んなっ!そういう元気を出せと言いたかった訳じゃねー! それに俺、まだフィギュア探してる途中なんだから…っ」 「盛るとはなんだ、発情期の犬猫じゃあるまいし。…まあ、これからしようとしていることは一緒なんだが」 「開き直んなっ」 「煽ったのはお前だ」 煩い口を黙らせようと唇を寄せれば、照れくささでキョロキョロと視線を逸らながらも受け入れようとし… 「って、あ゛あ゛ーーーーーーっ!!」 突然飛び起きてきた吉野を避けることが出来なかった。俺の鼻に丁度吉野の頭が直撃し、頭突きをくらわされた格好になり…率直に感想を言うと、痛い。 吉野はそんな俺には構わず、今俺達が居たソファのすぐ隣のテーブルの下を覗き込んで、何かを引っ張り出した。それは、件のザ☆漢のフィギュアで。 「あった〜、俺のザ☆漢限定フィギュアーっ!さっきソファの上から見えたんだよ。そっか、いつの間にか、こんなとこに落ちてたのかー。ちゃんと探した筈だったのになぁ」 よかったよかった、とさも嬉しそうに言う吉野に、思わず唖然とする。 ―――断じて良くはない。 どうしてこんな間抜けな理由で、恋人に頭突きをくらわされなければならないんだ、俺は…? 「…吉野」 「ん、なんだよトリ〜?今俺スッゴく嬉しいんだけどさぁ………ひっ!?」 振り返って俺の顔を見た吉野が、凍り付いた。 「取り敢えずそこに座れ、話がある」 「………………ハイ」 ―――そのあと、部屋の整理と持ち物の管理はきちんとしろという説教を小一時間程した後に、たっぷりとお仕置きをしたのは言うまでもない。 2011.09.20 |