朝陽を受けて輝く露に、じわりと大きくなっていく葉や枝振り。鉢植えの水やりは、習慣になれば中々に楽しい作業だ。…元々こういう単調な作業が好きという性分もあるのかもしれないが。 水をやらねば枯れてしまうし、やり過ぎても根が腐る。ふと、この鉢を買ってきた吉野の顔を思い出し、そろそろあいつの食事を作らねばならない時間だな、と気付いた。 日当たりの良いリビングの一角に置かれているこの鉢植えは、幼なじみで担当作家で今は恋人である吉野が、まだ恋人ではなかった以前きまぐれに買ってきたものだった。この鉢を自分の部屋に飾る段になった時、ひきこもりでひょろりと細い吉野が大きな鉢植えを引きずる姿は、実に危なっかしかった覚えがある。 『なんでこんなにでかい鉢植えなんか買ったんだ』と問えば、『なんとなく』という答えになっていない返答。 これまでも似たような理由で漫画やら何やらを衝動買いしてきた吉野だが、植物ばかりはいただけない。 『いいじゃん、なんか見てたら癒されるし』 『よくない。自分の食事すら忘れるような奴が、植物の世話なんて出来る訳ないだろ。枯らせてしまうだけだ』 『うーん、でもこれはあんまり水あげなくても大丈夫なやつで…。ああ、それにさ、』 大きな目をきょろりと動かして、見上げてくるのは清々しいまでにからりとした笑顔だ。 『俺が忘れてても、トリがちゃんと水あげるだろうし、枯れないよ』 なんで俺が…と言いかけて、やめた。きっと吉野の家に鉢植えがあれば、俺はなんだかんだ言いながらも世話をしてしまうのだろう。吉野に食事を作って、原稿を急かして、洗濯をして…その習慣に、これからは鉢植えの水やりが追加されるだけ。 あきらめ混じりの溜め息を吐くと、肯定と受け取った吉野は無邪気に笑ってみせる。反対に、大きな鉢の中の木は、物言わず佇んでいるだけだった。 …こうして、その頃はまだ枝振りの小さかった鉢と、吉野の笑みにほだされて、吉野の家のリビングの一角に鉢植えが置かれることになったのだった。 「結構大きくなったよな、この木」 不意に後ろからかけられた声に振り返ると、回想よりはほんの少し大人びたように見えなくもない吉野がいた。 この鉢植えを吉野が引きずってきてから、もう二年経っただろうか。その間に恋人という肩書きが追加されるとは、あのときは予想だにしなかったし、今でも信じられないと疑うときがある。 「毎日こうして水やってると、なんか愛着わくよな。地味に大きくなってるし」 「水をやってるのは主に俺だがな」 「う…、スイマセン」 疑う要因は、いつまでも変わらない吉野のせいもあるけれど。鈍感なくせに時々あからさまに照れたりもする吉野とは、恋人らしい甘ったるい雰囲気に浸ることも殆どない。 …それにしても。 「お前が、この木が大きくなっていることに気付いていたとはな。買ったきり興味をなくして、気にしてないものだと思ってた」 「失敬な、これでも気にかけてるよ。お前が水やってるの、いつも見てるから」 大きな葉の一枚をそっと撫でて、吉野が言う。 「それにさ、いつからかこいつが視界の端にいるだけで、なんか安心するっていうか」 乾いた土の色を変えて、じわじわと水が染みていく。張り巡らされた根にまで、ちゃんと届いているのだろうか。 気まぐれな雨のように、吉野からの報いはいきなり降ってくる。そのちょっとした一言で、鉢に水をやってきて良かったと思える自分が、少し現金だとも思う。 だが、しょうがないではないか。俺だって水がなければ生きられないのだから。 「ところでさ、トリ」 「何」 「俺にもごはん、ちょーだい」 「………」 きゅう、と鳴る吉野の腹の虫の音に、呆れと愛おしさがこみ上げて、何とも言えない気持ちになった。 なんだかんだ言って、きっと明日も明後日も、俺は吉野のもとを訪れるのだろう。 水が必要なのは、鉢だけではないのだし。 2012.10.31 小ネタより移動 |