気分次第の気の持ちよう | ナノ
※木佐さんが女装しています。



喧騒から戸一枚隔てたドアの向こう。ちょっとトイレへと言って通路に抜け出して、やっと大きく息を吐いた。さっきまでぐいぐい飲まされていたせいで酒くさい。
頭を少し下げて今の自分の服装を見ると、改めてなんとも少女趣味な格好だと思った。
フリルで縁取った袖、これでもかと大きなリボンの付いた胸元、視界の端に覗くくるくるしたウィッグの毛先。人形が着ていればさぞ愛らしい衣装なのだろうが、袖を通しているのはいい年したおっさんという事実は誰よりわかっているので、ちらちらしたレースの白は寒々しいばかりだ。
―――ああ、なんだって三十過ぎた男がこんな格好しなければならないのか。
理由はただ一つ、上司命令だからだ。



有り難くないことにいつものごとく、井坂さんの思いつきで親睦会と称した飲み会が開かれることになったのは、今週頭のことだった。
ただ、いつもと違うのは、その井坂さんの思いつきに、ある無茶振りが付け足されていたこと。
『そうだ、エメラルド編集部の奴ら全員、女装して来るとかどうだ。衣装はこっちで用意してるから、誰がどれを着るかはくじ引きで決めてさ。面白いだろ?』
見てる方は面白いだろうが、やる方は面白くない。喜んで女装をするような奴は、もともとそういう願望がある変態くらいではなかろうか。
だが、揃って渋い顔をしたエメラルド編集部の面々に、井坂さんはけらけらと可笑しそうに声を上げるだけであった。どうやら拒否権はないらしい。

…そして、いざ当日。
事前に割り振られた衣装を手に固まっている羽鳥や高野さんを横目に、俺はさっさと着替えてしまう。仕事と割り切って明るく振る舞った方が、後々引きずらなくていい。だが、自分で言うのもなんだが、鏡の向こうの自分はどこの少女かと見紛うほどに違和感がなく愛らしいと言ってもいいほどで、こっそりと落ち込んだ。
もたもたしていた律っちゃんにセーラー服を押しつけていると、そんな混沌とした部屋に井坂さんがやってきて、高野さんと羽鳥の手にした衣装を見て顎に手を当てる。
『あー…高野や羽鳥は気持ち悪いから、やっぱ着なくていいわ。お前らの場合は普通にスーツとか着てた方がウケがいいよな』
なんだそれ。
じゃあ俺も脱ぐ、と言ったのだが、井坂社長は『お前と七光りはそのままで。面白いし』とのたまう。やはりさっさと着るものではなかったか、くそ。

――その後、遅れてやってきた美濃が見たのは、泣きそうな顔でセーラー服を着ている律っちゃんと、そんな律っちゃんをここぞとばかりに笑いとばす高野さん、ふりふりした衣装を纏い乾いた笑いを浮かべる俺と、何も言わずぽんと肩に手を置いてきた羽鳥であった。



いざ親睦会では、女の子たちのテンションの上がりようは凄まじかった。
酒が入っていたからもあるのだろうが、かわいいかわいいと近所の犬でも撫でるようにべたべた触ってくる。あまりに鬱陶しいのでつい辟易して、彼女らの前に律っちゃんを差し出して「ちょっとトイレ」と言って抜け出してきた。
これも仕事、ひいては出世につながるかもしれない、うん。そう自分を慰めようとしても、もう一人の自分が「何をバカなことしてるんだ」とちくちく囁いてくるので、疲れてしまうのだ。

……まあいいや、一休みも兼ねて本当にトイレにでも行くか……と数歩歩んでから、自分がどんな格好をしているかにはたと気付いた。
装飾過多のフリルに、ひらひらのスカート。この格好で男性用トイレに入ったら変質者だ。かといって女性用にも入れない。
(………こっそり引き返して、着替えるか)
酒の席のおもちゃは、律っちゃん一人で足りるだろう。俺はもう散々遊ばれたし。
こっそりと着替えを取りに踵を返したところで、ここで聞くはずの無い声が聞こえた。

「……木佐さん?」
「へっ???」

振りかえると、見慣れたはずなのに一向に慣れずに見惚れてしまう恋人の姿があった。
暫くお互いの都合が会わなかったせいで一週間ぶりに会う雪名は、パーカーにジーンズというなんてことない格好でも、やたらとキラキラして見える。
(な、なんでコイツがここに……っ?)
しばらく長いまつげをぱちぱちとさせていた雪名は、どかどかと距離を詰めてきて俺の両肩をぐいっと掴む。
「やっぱり木佐さんだ!え、なんでそんな格好してるんスか!?すげー似合ってます!!!」
「え…っと、」
「このふわふわしてそうな素材とか木佐さんに合ってますよね。そうだ、写メとか撮っていいですか!?」
「それはやめてくれ…」
心なしか瞳までキラキラしてきた雪名に、先ほど女の子たちに可愛いとか言われたのの比ではない位にドキリとした。
(なんか雪名、楽しそう…?)
そんな雪名に圧倒されていると、雪名の後ろから「皇?」と声がかかる。どうやら雪名の連れの者らしい。
「どうしたの?知り合い?」
ひょこっと顔を覗かせたのは、至って普通の大学生くらいの年頃の女の子。俺と目が合うとぺこりと会釈してくる。まがい物にはない、染みこんだ愛らしさだ。
「ああ、うん。先に戻ってていいよ」
「わかった、じゃあね」
自然だと思った。くるりと立ち去る彼女の少し泳いだスカートも、彼女となんてことない会話を交わす雪名の姿も。
見ていられない。
「それで、木佐さん…………木佐さん?」
俯いて視界に入るのは、寒々しいレースと味気ない店の床。そこにぽたぽたと水滴が落ちて、色が変わっていく。
「やっぱりお前、女の子の方がいいんじゃ…」
「木佐さん……?」
ああ、俺、何言ってんだろ。きっと全部酒のせいだ。三十のおっさんがこんな馬鹿馬鹿しい格好してるのも、何故か涙がほろほろ流れてくるのも。
妄想が止まらない。雪名がさっきあんなに楽しそうだったのは、俺が女の子の方が嬉しかったから?だって、その方が都合がいいんだろう?

…どれくらいそうしていたか。俺にとっては大きい時間でも、慌てて拭った掌の湿り具合によると、それほどでもないらしい。
雪名が低い声で言った。
「―――すいません、俺、もう我慢できません」
「え」
怒っているのだろうか、呆れているのだろうか。眉間を寄せた雪名が溜まりかねたように口を開く。
「ああ、もう!木佐さん、なんでそんなに可愛いんですか!俺、帰ります。木佐さんも、帰りましょう?」
「はあっ?」
喋る勢いそのまま、ひょいと体をかつぎ上げられる。そのまま歩み始めたので、じたばたと抵抗したが雪名は離さない。
「ちょっ、何すんだ、バカ!おろせ!」
「えっ、だって木佐さん酔ってるし、このまま連れて帰ろうかと…」
「確かにちょっと酔ってるかもだけど、このまま帰れる訳あるか、こっ恥ずかしい!それに俺、財布とか携帯向こうに……」
ぎゃあぎゃあと言い合っていると、今度は俺が来た方の後ろから声が聞こえてきた。

「おい、木佐。営業の女達が、お前の戻りが遅いって―――…」
滑舌の良い低音には聞き覚えがある。
恐る恐る後ろを振り返ると、眉間にくっきり皺を寄せた横澤さんがいた。

『…………………』

なにやってるんだ、こいつら。横澤さんがそう問いたげなのは思い切り渋い表情からも読み取れるし、そう言いたくもなる気持ちもわからなくはない。俺も今の状況をどう説明すればいいのかわからない。
とりあえず下ろせと四肢を動かしたが、雪名は俺を肩の上から下ろしてくれない。まったくいつもの調子でお喋りを始める始末だ。
「あ、横澤さんじゃないですか。こんばんは」
「こんばんはじゃねーよ。なんでお前がここに居るんだ、雪名」
「大学の教授と同じ専攻のみんなで飲み会だったんですよ」
「木佐も。いつの間にかいなくなったと思ったら、何してんだ、お前」
「よ、横澤さんっ、これは、その、違うんですって…!」
「?違うって何がどうですか」
「お前なあ…っ!」
きゃんきゃんと言い合っていると、横澤さんが大きな溜め息を吐く。何も説明出来ていないのに、何もかもわかったその上で呆れているような長い溜め息だった。
「………あー、なんとなく事情は察したからもう帰っていいぞ、木佐。政宗には適当に言っといてやるから。お前の手荷物もとってきてやる」
すたすたと来た方へ戻っていった横澤さんは、俺の鞄と着替えを持ってすぐに戻ってきた。
「ほら。じゃ、お疲れさん」
ピシャリと締まる戸の音が残る。通路には、再び俺と雪名の二人きり。

「ああああ…」
横澤さんがどう察したのかはわからないが、いずれにせよ居たたまれない。頭を抱え込んでいると、感心したような雪名の声が降ってきた。
「やっぱり横澤さん、良い人ですよねー」
「…………もういい、帰る……」





いつもの服に袖を通すと、何だか酔いも醒めてきた。
鏡の向こうには、なんてことない童顔が映る。これが現実。それ以上でもそれ以下でもないのに、さっきはなんで涙が出たのやら。
「やっぱり、いつもの木佐さんのほうがいいですね」
繁華街をとぼとぼ歩いて駅に向かう途中。見上げた雪名の横顔は、ネオンの光が瞬いてちかちかして見えた。まるで別世界での風景みたいだけど、ちゃんと隣にいる。
「俺が最初に可愛いなって思ったのは、今の木佐さんですから」
「……あっ、そう」
それだけで気分が上向くのは、我ながら単純だ。でも、少し単純なくらいでいいのかもしれない。
やはりまだ酔いは残っているのか、にこにことしている隣の男に飛びついてみたくて。けれど、往来ではそんなこと出来やしないから、早く家に着くようにと歩を速めた。











ユナ様リクエスト『木佐さんが仕事で止むを得ず女装して雪名に見つかり、雪名があまりに嬉しそうなので、やっぱり女の子がいいかなと勘違いして身を引こうとして最後は甘々』でした。
自分なりに料理したらこんな感じになりましたが、少しでもユナ様のリクエストを叶えられていれば嬉しいです…!
リクエストありがとうございました。
2012.10.03
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