※性的表現がありますので、ご注意下さい。 いつものように優がふらりと俺の家を訪れてきたのは、日も暮れかけた頃のことだ。 俺は進まないネームと向き合うのにうんざりしてシャーペンを転がしていたところだったので、優の来訪は嬉しいタイミングだった。 「アシスタント先で貰ったんだけど、食べきれないからお裾分けに来た」 そう言って優が見せた箱の中身は、どこかで見たような可愛らしいクマの形のシュークリーム。蓋を開いただけで、なんとも甘いバターの香りが鼻孔をくすぐる。 「うわあ、うまそう…!なあ、優。これ、今すぐ食べない?」 「言うと思った。じゃあ、千秋、コーヒー入れて。俺は皿を出すから」 「うん!」 煮詰まったネームなんて、未練もなく放り投げ。甘く焦がしたシュークリームとブラックコーヒーで、遅いおやつタイムと相成った。 のろのろしたコーヒーの湯気を視界の隅に、柔らかいシューにかぶりつく。溢れるくらいたっぷり入ったクリームが指に付いたので、そのまま舐め取ったら優にくすりと笑われた。 「お前は本当、子供みたいな奴だな。見てて面白いよ」 「なんだよ、それ…馬鹿にしてるだろ」 「してないよ。羽鳥みたいに面白みのない堅物よりは、俺はいいと思うよ」 心外とばかりに見開かれた目に嘘はなさそうだ。どうやら本気でそう思っているらしい。一応誉められたので喜べばいいのか、トリのフォローをしておくべきなのかわからず、とりあえず苦笑を返しておいた。 「つーか千秋って、羽鳥みたいな奴と三十年近く一緒に居て、よく飽きないよな」 「うーん、飽きるとか考えたことないなあ。ずっと一緒に居て当たり前だったし」 「ふーん、つまんねーの。ここで千秋が『正直羽鳥にはうんざりしてる』とか言えば、面白いのに」 「いつも同じパターンの繰り返しだしなあ…」 むしろ、うんざりしているのはトリの方な気がする。締め切りを破る度に、いい加減に学習しろと長々と説教をされるし。俺はトリに大きな不満は無いけれど、トリの方は俺への文句を無数に溜め込んでいそうだ。 「千秋が羽鳥に飽きたら、俺がいつでもお相手してやるよ。マンネリは退屈だろう?」 悪戯っぽくつり目を細めた優が俺の顔に手を添える。親指の腹が、つっと頬を撫でていった。 「クリーム付いてたぞ」 「…あっ、ああ、サンキュ」 汚れた指をティッシュで拭う優はあっさりとしたもので、何故だか拍子抜けしてしまった。優の告白をキッパリと断ってから随分と経つというのに自意識過剰だが、キスでもされるかと身構えてしまったのだ。 シュークリームの包まれていた紙をぐしゃぐしゃと丸めていると、キィ…とドアが開く音がする。噂をすれば何とやら、いつの間にか眉を吊り上げたトリが立っていた。顔が整っているだけに、機嫌の悪そうな表情だとやたら凄みがあって怖い。 「―――あれ、トリ?今日は来ないって…」 「打ち合わせが予定より早く終わったんだ」 ダイニングテーブルの上にスーパーの袋を乱暴に置いたトリは、優をじとりと睨みつける。 …なんでトリは、来て早々イラついているのだろう。虫の居所でも悪いのだろうか。 「……何のつもりだ、柳瀬」 「別に?何もしてねーって。いちいちピリピリされてもウザいんだけど」 「何もしてない、だと?」 「だから、差し入れ持ってきただけだっつの。お前、余裕無さすぎなんじゃねーの?あんまり嫉妬深い男は嫌われるぞ」 煩わしさを露わにした顔で立ち上がった優は、荷物を手にしてさっさと玄関に向かう。 「じゃあ、俺、明日は早いから帰るわ。またな、千秋」 「えっ、ちょ、優……っ」 パタンと軽い音を立ててドアが閉まったが、この妙に重たい空気の中に置いて行かないで欲しい。 そろそろと後ろを振り返れば、トリはやはり怖い顔で黙っている。……ああ、なんだってこんな気まずいムードなんだ。 「差し入れって…」 「あ、ああ、うん!クマシューだってさ。かの人気小説家も食べたとか食べてないとかって噂で、甘いカスタードクリームが評判………んっ?」 まだ中身の残ったシュークリームの箱を指差して説明をしていたら、いきなり胸ぐらを掴まれた。噛みつくようにキスをされ、口腔に潜り込んできた舌のせいで次第に力が抜けていく。胸ぐらを掴んだはずの手はいつの間にか背中に回されていて、俺がもがけばもがくほど抱き寄せる力も強くなり、より奥まで掻き回される。 「ん、んん……ッ」 長いキスの合間、鼻にかかったような声をあげてしまう。ぴちゃぴちゃと湿った音が生々しくて耳を塞ぎたくなったが、体に力が入らないので叶わなかった。 やっと唇が離されたとき、息も絶え絶えな俺と対照的に、トリはしれっと涼しい顔をしていた。 「なるほど、確かに甘いな」 「なっ、なにすんだよ……っ」 「何って、見た通りのことだが」 「なんでこんなことすんだよって聞いてんの!いっ、いつもは、こういうことしねーじゃん」 「……いつも、か」 こめかみをぴくりと動かしたトリは、おもむろに自分のネクタイを緩める。そのゆっくりとした動作に、何故だか嫌な予感しかしない。 「な、なんだよ……」 疑問に答えてくれることはなく、トリは強引に俺を床に押し倒した。 「いた…っ」 固いフローリングに背を打って顔をしかめた俺に、トリはまだ何も言わない。片手で俺の両手を縫い止め、もう片方の手だけで器用にネクタイを結んだ。 「おいっ、何すんだよ、トリ……っ」 頭の上で纏められた両手首は、ちょっとやそっとじゃ解けそうにもない。 「――――いつも通りに飽きたんなら、たまには趣向を変えてもいいだろう?」 「はっ?……って、おい、やめ……っ」 Tシャツをめくられ、胸の尖りを指で摘まれる。トリに触られるまで意識をしたこともなかったその場所が硬くなっていくのを自覚して、いたたまれなさに逃げ出したくなった。だが、縛られた両手首と、俺の上にいる男がそれを許さない。太いけれど細かに動く指でいじったり、舌で転がしたりと、いくら制止の声をかけても止まるはことなかった。 「あ……ッ」 下肢に伸びた手が、今度は熱を持ち始めていた昴りへとのびる。 「あっ、やだってば……、トリっ」 容赦なく追い立てる動きに、涙と熱がこみ上げて、はじけそうになる。それでも黙ったままのトリに、過去の記憶が呼び覚まされた。 ―――優を好きな筈なトリが、俺を抱いている。やめろと言っても止まりはしない。夢ならばいいのにと思っても、内からのひきつるような痛みと紛れもなく熱い人肌が、ひっきりなしに現実感を運んできた。 何故、トリはこんなことをしてくるのだろう。俺は優の身代わりなのか。トリにとって、俺は誰かの代わりに出来る存在でしかなかったのか。 訳がわからないまま、困惑と羞恥でぐちゃぐちゃになった意識の中、見上げたトリの顔は歪んでいた。 泣きたいのはこっちの方なのに、どうしてお前の方が泣きそうな顔をしているんだ。ああ、もう、それが何より気になってしょうがないじゃないか。 「…………吉野っ?」 さっきよりも柔らかくなった声で名を呼ばれ、顔に手が添えられる。トリに頬を撫でられて気付いたが、どうやら俺は泣いていたらしい。自分の手の甲で拭おうとしたが、今、俺の両手は頭上で縫い止められているので、陸に上がった魚みたいに少し動いただけだった。 「……すまない。嫉妬していたんだ」 俺の顔を覗き込んできたトリは、回想と同じく顔を歪めていた。 「俺はいつもお前に同じことばかりしてしまうな」 自嘲気味に笑ったトリも、無理やり抱いてきたあの夜のことを思い出しているのだろうか。 さっきまでの勢いはどこへ行ったんだとばかりに、急激に落ち込み始めたトリは表情を暗くする。なんだかムカムカしてきた俺は、無防備な頭に肘鉄をくらわせてやった。 「…………っ」 ちょっとやり過ぎたかもしれないが、これくらいやらないとトリはわからないだろうから言ってやる。 「俺がいつも通りがいいから、いつも通りでいいんだよ!トリがいつもと違うと、俺が落ち着かねーんだから」 暫くぽかんとしていたトリは目を細め、わかったと頷いてネクタイをほどいた。 「じゃあ、これならいいか?」 (………そういう顔で聞くんだもんなあ) 返事の代わりに自由になった腕を回して、トリの体を引き寄せる。ほっとしたように抱き返してきたトリに、俺も安心してやっと一息吐けた。 いつものトリだ。 (―――……流石にこれは、漫画のネタには出来ないよな〜……) 仕事部屋の椅子にだらりともたれ、羽鳥が置いていった替えのネクタイをくるくると弄びながら溜め息を吐く。机の上には、この間から全く進んでいないネーム。何か材料になるものはないかと最近の記憶を辿って、思い出したのがこのネクタイだった。 だが、エメラルドは正統派少女漫画雑誌なのでネクタイプレイがどうのとか描ける訳がないし、描いたとしても担当のトリに見せられる訳もない。 もう一度溜め息を吐きかけたところで、視界が陰る。 「どうしたんだよ、千秋。ネクタイなんか見てぼーっとしちゃって」 「ゆっ、優!?」 いつの間に来ていたのか。後ろを振り返ると、見覚えのある箱を持った優が俺の手元を覗きこんでいた。 「クマシュー買ってきた。こないだのカスタード味プラス、イチゴとチョコレートと、期間限定・大納言小豆&抹茶クリーム味。どれがいい?」 「え…っと、カレーとか…?」 「ねーよ、そんなシュークリームは」 とっさに飛び出たとんちんかんな選択肢は一蹴され、優の視線がストライプ柄のネクタイに止まる。 「……ん?このネクタイ、もしかして羽鳥のか?」 「そ、そうそう、ちょっと借りたんだよ!今度のネームで相手役にネクタイでも付けさせるかなって思って」 「ふーん。俺はまたてっきり、ネクタイプレイにでも走るのかと心配した」 「ま、まさか…っ。そんな訳ないだろ!?少女漫画だぞ、俺が描いてるの」 図星を指されてついギクリとしたが、優はそんな俺に気付いているのかいないのか、面白そうにくつくつと笑う。 「だよなあ。そんなこっぱずかしいこと、漫画でもなかなか出来ねーよ。ははは…」 「確かに、そんなことされたら、普通引くよなー。あは、はは……」 乾いた笑いで流そうとしたが、ごまかし切れている気はしない。 どうしてかトリと優は、妙なところで恐ろしく発想が似ている。お互い馬が合わないらしいけれど、案外二人は気が合うのではないだろうか。 「なあ、そう思うよな、羽鳥も」 「え、トリ……?」 優と同じく、いつのまにかトリもドアの近くに立っていた。荷物を持ったままということは、トリが来たのも今しがたのことか。そして以前と同じく、トリはぶすりと黙り込んでいる。だから気付かなかったのだけど、気付いてしまうともう無視出来ないオーラを放っている。 ……あああ、またじっとり暗くて怖い顔してるし。何なんだよ、もう。俺が悪いのか…いや、悪いのかもしれないけど。 (うう……。もう知るか!俺は知らない!) やけくそな気持ちでシュークリームにかぶりつけば、お決まりの甘ったるい味がした。 みかん様リクエスト『トリが千秋の腕をネクタイで縛ってプレイを楽しもうとするけど、千秋は最初にトリに犯された状況を思い出して泣いてしまう→トリが慌てる話』でした。 リクエストを頂いて、『そう言えばうちのサイトには、道具を使ってもにょもにょするトリチアがいない…!』と、ハッとなりました(笑)書いてて新鮮で楽しかったです。 リクエストありがとうございました! 2012.12.16 |