4.慌てて離した手(嵯峨律) | ナノ
※人のオーラが見える嵯峨先輩という設定です



確か、うんと小さい頃の出来事だ。
あるとき、父親らしき男と母親らしき女が口論している間に座っていた。言葉の投げつけあいをしている二人の間、ぽっかり空いた穴みたいに黙って見ていた俺は、二人が何かを纏っていることに気づいた。
母が父に日頃の不満を漏らすと、彼女の周りの空気が食パンに生えたカビみたいな色になる。
父が鬱陶しいから黙れとわめけば、彼の周囲の空気は錆びた鉄みたいな色になった。
――自分が他の奴と違うとわかったのは、しばらくしてからだ。どうやらこの色は俺にしか見えていないものらしい。
その色は、全く気持ちが波打っていない奴からは出てこない。だけど、ついさっき嬉しいことがありましたとばかりにニヤニヤしている奴はタンポポみたいな色をしていたり、いかにも体調が悪そうな奴は見ていて気が滅入るような青色だった。
俺には、人の感情の色が見えるのだ。





くじびきで決まった図書委員の仕事を最初は面倒だと思っていたけど、放課後学校に居座る理由が出来たのは都合が良かった。幼いころから不仲な両親の気配のする家にいるより、埃の舞う学校の図書室の方がずっと楽に呼吸出来る。
いつものようにカウンターで本を読んでいると、隣に座る同じクラスの女子の図書委員が何やらもじもじと話しかけてきた。真面目くさったような顔に反して、彼女の纏う空気は、気がはやるような明るい黄色だ。
「あのね…嵯峨くん。今日は委員の仕事任せて、帰ってもいい…?………その、なんだか頭が痛くて…」
仮病だな。体調が悪い奴はこんな色をしない。彼女の鞄から覗いていたのは、最近流行のアイドルグループが表紙の雑誌。新曲が今日発売だと今朝のテレビで言っていた気がする。大方CDを買いに行きたいとかだろう。
「……体調悪いなら、無理しなくていい。今日の戸締り俺がやっておくから、帰りなよ」
「ごめんね、嵯峨くん…。今度埋め合わせするから…」
「別に気にしなくていいから」
図書委員の仕事なんて簡単だから一人でもこなせるし、俺も一人の方が気楽だから有難い。
彼女は早速身の回りのものを片付け始めて、椅子から立ち上がるときにわざとらしくふらつきながらも、さっさと出入口に向かった。
「ありがとう。嵯峨くんって、優しいね」
優しいんじゃなくて、都合がいいんだろ。全く、他人の感情なんて察したくないものだ。


一人になった図書室のカウンターで本を読んでいると、不意に手元が暗くなった。
目線を少し手前にずらせば、図書の貸し出しカードと本をずいっと押し出すように渡してくる学ランが一つ。すぐにカードの名前と日付を確認して、スタンプを押してやる。
顔は見なくても、いつもの仕草と色で、またこいつだとわかった。
織田律。俺より二学年下の高校一年生。
こいつは大抵ふわふわと鮮やかな桃の花の色を纏っている。そして、こいつがそんな色になるのは、主に俺に見るときだ。
俺が顔を上げると、パチリと目が合った織田律は、耳まで赤くなった顔を逸らした。
恋をしている人は桃色。
誰にも言うことはない、俺の持論もとい経験則。今まで俺が見た桃色の気の人たちは、みんな馬鹿みたいに誰かを見つめていた。
この織田律という奴も馬鹿だ。どうして男の俺に恋なんかしてしまったのか。俺はお前の気持ちに気付いていても、応える気なんか毛頭無い。そんなちかちかした色が俺の視界に入っても鬱陶しいだけだ。
「返却期限は一週間後です」
本とカードを返す。織田律はそれをパッと受け取ったものの、なかなか立ち去ろうとしなかった。
…いつもならさっさと帰るのに、何なんだ。もう一度見た彼の顔は、まごついているようだった。
「……何か?」
「あっ、あの……っ」
周囲にぶわっと溢れ出す桃の色。思わず後ずさりかけて、椅子の背もたれに邪魔をされた。
織田律が言い淀んでいる間に、桃色の空気が逃げられない俺の周囲をも包んでしまう。そういえば、『色』に触れるのは初めてだ。頬を撫でた桃色は、存外温かくてびっくりした。
母の色とも、父の色とも違う色。彼らの周りの空気はぎすぎすと冷たそうだったのに、目の前の少年が俺に向ける色は心地よかった。
(…………なんだ、これ………)
もう少し触れてみたくて、手を延ばす。確かな手ごたえを感じて、掴んでみた。
「うぎゃああああ!!!」
「あ…悪い」
織田律が俺から勢いよく離れていった。カウンターから二メートルくらいの距離で、俺の触れた手首の部分を隠すようにさすっている。相変わらずだった桃の色に、動揺の表れの赤がぼとぼと落ちていった。
「す、すっ、すみませんっ、びっくりしちゃって……っ」
色々と、見ればわかる。
あからさまにどぎまぎしている織田律にほんの少し罪悪感が湧いて、話の方向を変えてやることにした。
「そういや、さっき何か言いかけてたけど…」
「ああああ、それは…、その……ッ」
「なに?」
「……あのっ、今日先輩が読んでいる本のタイトルを聞こうかと思って!嵯峨先輩いつも色んな本を読んでるし、俺、いつも先輩が読んだ本探り当てて自分でも借りて読んだりしてるんだけど、その本は図書室には見つからなくて…っ。先輩、四月から三回はその本読み返してますよね?お気に入りの本なんですよねッ!?タイトル知りたいです!!」
さりげなくストーカー行為を暴露されたような。とりあえず、お前は少し落ち着けという戒めを込めて、ゆっくりと質問に答えてやる。
「…この本は、俺が家から持ってきたものだから図書室にはない。タイトルは―――」
「ああっ、でも、やっぱり突然こんなこと聞いちゃって迷惑ですよね!!すいませんでしたっ!俺、もう帰ります!」
「おい、ちょっと…」
「さようなら!」
スタンプを押した彼の図書カードと、貸し出しを許可した本を放り投げて、織田律は突風のように去っていった。


………何がしたかったのだろうか、あいつは。静かになったカウンターで一人考えてみたけれど、よくよく考えてみてもわからない。
(……あれ……?)
織田律を掴んだ手のひらが、少し桃色がかって見えた。こんなことはやはり始めてだ。
まるで俺まで移ったみたいで戸惑ってしまう。体のあちこちの血脈がどくどく鳴る。

―――――全く、他人の感情なんて察したくないものだ。
そして、自分の感情も。










『慌てて離した手』
(お題配布元 確かに恋だった様)
2012.09.23
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