吉野には、酒を飲み過ぎるとすぐに眠たくなる傾向がある。 自宅で飲む時も居酒屋で飲んだ時も、アルコールが程良く体内に巡れば周りにお構いなしに横になり、此方が気付いた時には既に部屋の隅で寝息を立てていたりする。 ここ数年は、漫画家という職のせいで普段の睡眠時間が不安定だからなのか、眠っている時の吉野はまるでこの世の極楽を味わっているかのように(吉野曰わく、修羅場明けならばそのまま天国にでも行ける気分がするらしい)幸福そうな寝顔なので、無理に起こす気にもなれず、余計に始末が悪くなった。 俺はと云えば、周囲にザルだの枠だの言われる程に酒に強いので、飲むだけ飲んで満足して眠る吉野の介抱役に回るのが常だ。…まあ、俺が吉野の世話を焼くのは、素面の時でも変わらないのだが。 吉野本人は酔うとすぐに寝ることを自覚しているので、あまり親しくない友人らと飲む時は決して過度の飲酒はしたりはしない。 しかし、気心の知れた相手とはついつい飲み過ぎてしまうようだ。今日は俺が仕事を終えて帰宅すれば、吉野が缶ビールを大量に持ち込んでいた。俺が「その辺で止めておけ」というのも聞かず、吉野は次々と缶の蓋を開け、中身を空にしていく。いつものように一人騒がしく飲んでいた吉野だが、急に静かになったかと思うと、隣に座る俺の方に倒れ込んできた。受け止めようとした手をすり抜けて俺の膝に頭を落ち着けた吉野は、そのまま電池が切れた玩具のようにくたっと眠りについてしまった。 ―――そして現在、そこかしこに散乱するビールの空き缶と、俺の膝を枕にして眠る吉野を見て、俺は今夜何度目になるか分からない溜め息を吐いている。 「吉野、どけ。重い」 どうせこいつは今は夢の中、聞こえていないだろう…と思って文句を言ったのだが、意外にも返事が返ってきた。 「………動きたくないから、もうちょっとこのままで…」 「…起きていたのか?」 どうやら吉野はまだ完全に夢の世界へ足を踏み入れてはいなかったらしい。声をかけられて、一度は閉じたまぶたを開いたが、垂れ気味の大きな瞳は重たそうで、呂律もうまく回っていない。 「俺の足が痺れるだろう。寝るんだったらベッドで寝ろ。連れて行ってやるから」 「いいじゃんか…、ちょっと足が痺れる位。それに、こないだ俺もお前に膝枕してやっただろ?」 …そうだったろうか…。さっぱり記憶にない。 「覚えてないのかよ…。あの時はお前が先に寝て、ベッドまで運んでやるのが大変だったんだからな。まあでも、これでチャラにしてやるよ」 こちらの覚えていないことで恩ぎせがましくされるのは、少し釈然としない。確かに最近、朝起きたら昨晩の記憶が途中からないということがあったが…もしや、その時に膝枕をしたのだろうか…。 「でさ、トリがあんまりリラックスして寝てたから、俺も膝枕やってみたかったんだけど………トリの膝は、かたいからあんまし気持ち良くないなぁ…。俺の首も痛いし、意外に漫画のネタにはしづらいかのな、膝枕って」 人の膝に勝手に頭を乗せておきながら、吉野は「今度のネームにどうかなと思ったのに」と不満気にぶつぶつと言い出す。何をしていても少女漫画に結び付けるのは、吉野の職業病だ。 「…もういいから、さっさとどけ。お前が俺の膝の上に居ると、重い上に邪魔で、俺が立ち上がれないだろ。散らかった部屋の片付けをしたいんだが」 「やだ。起きるのめんどい」 「…俺を困らせて楽しいか、吉野」 「うん、結構楽しい」 そう言ってけらけらと笑う吉野を見て、やはりこいつ酔っ払っているな…と確信した。 「…吉野」 咎めるように言えば、一瞬肩を震わせたけれど、どく気配はない。 「…あともうちょっとだけ、こうさせてて」 紡がれた言葉に驚いて吉野を見れば、酒のせいでまだ赤い顔をして、僅かに照れくさそうにはにかんだ。 「だってさ、最近忙しくって、メシすらゆっくり一緒に食べれてなかったじゃん。だから…」 ―――だから、たまにはトリを充電したい。 ぼそぼそと呟かれたのは、アルコールのせいで口から出た、普段の吉野が自覚していない、素直な本音で。 「嘘だ」 「は…?」 「お前が重いというのは、嘘だ。むしろ、軽い。軽過ぎる。お前の頭の中には本当に脳味噌が入っているのかと、心配になる位にな」 頭をコツンと叩けば、吉野が少し顔をしかめた。 「…トリ、いくら何でもその言い草はひど…」 「だから」 続く言葉で、吉野の非難を遮る。 「…だから、もう少しこのままで居てやる」 「………どうも」 本当は散らかったビールの空き缶を今すぐに片付けたいし、つまみを乗せていた食器も洗ってしまいたいし、明日は朝一番に会議があるので早く休みたい。 ――――――けれどもあと少し、もう少しだけ、このままで居ようか。 2011.09.15 |