3.平行線を辿る日々(官能小説家千秋&編集羽鳥) | ナノ
※官能小説家千秋&編集羽鳥な設定です




あの日のことは忘れもしない。
生まれた時からそばに居る幼なじみの男・吉野千秋に恋心を抱いていることに気付いてから、六度目の夏の出来事だ。

千秋が話したいことがあると言って、学校から帰ってすぐに俺の部屋に押しかけてきた。クーラーをつけたばかりの部屋はまだ蒸し暑い。千秋の頬に汗がつうっと筋を描いたのについ見とれ、気付かれないようにとすぐに目を逸らした。
お互いに暫く黙りこくっていたが、やがて湿った前髪を掻き分けた千秋がやっと口を開く。
「………あのさ、トリ」
大きな瞳をちろりと上げて、上目づかい。珍しく思いつめたような、しかし物言いたげな千秋の顔。もじもじと制服のズボンを弄る指。

もしやこれは…と、そのときの俺は期待をしたのだ。
今みたいな様子を、何度か見たことがある。学校の女子に呼び出されてラブレターを貰ったとき。緊張で俯いた様子は、今の千秋とそっくりだった。
もしかして、こいつも俺のことを?俺が抱いていたのと、同じ想いを抱いていた?それを打ち明けようとしているのか。
ドクドクと脈打ち出した心臓の音に紛れて、目の前の幼なじみはゆっくりと喋り出す。
「あ、あのさ…」
「…何?」
「お、俺……っ」
ごくりと息を飲んで続きを待つ。うろうろと視線をさまよわせた彼は、やがて意を決したようにきゅっと目を閉じて言った。

「作家になりたいんだ!」
「はっ?」

想像していたことと違う言葉が飛び出したので、つい声をあげてしまった。
眼前の少年は、しゅんとうなだれる。
「……やっぱりトリはそういう反応すると思った。不安定な収入の職業だし、お前は気に入らないだろうなあと……」
「いや………違う、悪い。いいんじゃないか、作家。どんな話を描くんだ?漫画か?絵本か?」
吉野が絵を描くのが好きだったのを思い出して、そう聞いてみる。クラスの奴と漫画の話でよく盛り上がっているし、おそらく漫画家になりたいとかいうことか。
今まで何かに熱中したことのない俺には、なりたい職業があるのは単純にすごいことだと思う。打ち明けるまでここまで照れずとも良いのに。
「…わ、笑うなよ?引くなよ?」
「笑わないし、引かないよ」
寧ろさっきまでの俺の勘違いをもし知られたら、まず間違いなく引かれるだろうな。幼なじみ、そして友人として夢を打ち明けてくる彼を見ると、やはりこの想いは一生胸にしまっておこうと今一度決めておく。

「……………官能小説、書きたい」
「はあっ??」

当時、俺は十七歳。
官能の意味はいまいち分からなかったが、汗で肌をしっとりとさせて、うっすらと頬を蒸気させた千秋のことをそう形容してもいいのではないか、と密かに思ったのだった。



あのときは、クラスの連中と猥談になるといつも照れて茶化していた千秋が、まさか官能小説なんてものを読んだことがあり、しかも書き手に憧れるとは思わなかった。
しかし、てらいない言葉を使ってまっすぐに切り込む千秋の文章は、青春小説の延長のようなみずみずしい色気が評判を呼び、それまで官能小説を読んだことのなかった層も巻き込み、デビュー以来ヒットを重ねている。
だけど、今でも疑問に思うのだ。何だって官能小説家。若かりしあの頃、トランプみたいに自由に選べた未来は、他にも沢山あったのに…よりにもよって、なんで官能小説。
ため息を飲み込んで、カタカタとキーボードを打つ千秋を見た。

以前とある漫画家のエッセイで、絵を描くときに我知らずその絵の人物と同じ表情をしていて、周囲に笑われたというエピソードを読んだことがある。キャラクターが悲鳴を上げる場面では眉間に皺を寄せたり、喜ぶ場面では口元を思い切り綻ばせた花咲かんばかりの表情をしたり、それら全て無意識にしていたそうだ。描いてる本人は大真面目に紙上の世界に入り込んでいただけなのだが、確かに端から見れば一人で百面相しているだけでしかなく、滑稽以外の何ものでもない。エッセイのネタにもされるというものだ。
だが、これは絵に限ったことではなく、文章でもそうだろう。その世界に入り込むことにより、自然と表情が釣られていく。ましてやその世界の作り手ならば、誰よりも登場人物に同調して然り。

「………はあ」

千秋がひとつ漏らしたため息は、やたら生暖かそうだった。ディスプレイの見つめ過ぎで赤くなった目を、悩ましげに細めている。じわりと赤らめた頬は、引きこもってばかりで白い肌に生気を満たしていた。その肌に手を伸ばしたいのをこらえて、膝の上で握った拳を固くする。
本人は気付いていないが、これは毎度のこと。千秋がこうなるのは、決まっていつも濡れ場のシーンを書くときだ。何作も書いているくせに、未だに濡れ場を書くときには照れてしまうらしい。何を今更と言えば、『だって俺、元カノとそういうことした時も、いつもすっごい緊張してたしさあ』ときた。今まで聞かなかった千秋の性事情が垣間見えてドキリとし、過去に千秋と肌を重ねたのであろうどこかの女に強い嫉妬を覚えた。
何にせよ、あいつは行為のときはこんな顔をするんだろうかと想像してしまうので、この状況は非常に良くない。

「―――なんで俺は、編集になってしまったんだろう」
「へっ?」
どうせ打ち明けられない恋だから、せめて千秋のそばにいたかった。それだけの理由で千秋のデビューした出版社に就職し担当編集になったが、まさかこんな鼻先に人参を下げられるみたいな拷問が待っているとは思わなかった。断ち切れない恋慕の情を抱えていても、全く別の道を歩んで忘れる努力をした方が楽だったのかもしれない。
「どうしたんだよ、トリが独り言なんて珍しい」
「いや…何でもない」
「何でもないようには見えないけど…仕事で悩みがあるとか?」
「…………」
お前のことで悩んでいるのだとは言えず黙っていると、千秋がくすりと笑う。
「でもさ、俺、トリがこの雑誌の編集を希望したって聞いた時にはびっくりしたよ。お前って真面目でお堅い奴だと思ってたのに、実はムッツリすけべだったんだなあって」
……秘めた片恋を押し殺して早十数年。身も世も焦がした相手に与えられるにしてはあんまりな称号だ。
しかし今まさに眼前の青年のことで悶々としていたので、全く否定は出来ない。出来るのはせいぜい適当にはぐらかすくらいだ。
「………もういいから、とっとと進めろ。締め切りまであと何日だと思ってるんだ」
「うっ…、はい……」
パソコンに向き直った千秋をちらりと見ながら、またため息を飲み込んだ。

トランプみたいに自由に未来を選べたのは、俺も同じ。だが、自分で選んだ道に不満を言ってもしょうがないのに、進むことのない関係が時々辛くもなるのだ。
この手を伸ばせたらいいのに、抱きしめてみたいのに。けれどそんなことをしたら、今の距離すら許されなくなる。
叶わない願望は、握りしめた拳ににじむ汗に変わっていく。べたついた手のひらを鬱陶しく思いながら、こちらに目もくれない千秋を、日が傾くまでずっと見ていた。











『平行線を辿る日々』
(お題配布元 確かに恋だった様)
2012.08.31
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