眼前の青年はふわりと笑みを浮かべて、さも楽しげに、唄うように語る。 「…それで俺、いつもは明るい色彩の絵の具を多く使うんですけど、今回はいつも使わない色も使ってみたんです。グレー系の色とか、差し色に渋めのアンバーも使ってみたり。 今回初めて気付いたんですけど、俺っていつもは兎に角キラキラした絵を描こうと意識していたんですよね。そういう絵が好きというのもあるんですけど、何度も描く内に無意識に癖になっていた所があって。明るい色ばかり何層もペタペタ塗っていた。 でも、あの絵を描いていて、ただ綺麗なだけじゃ存在感や現実味は表せないのかなって思って。光を描くなら影も描かなきゃ映えないし、綺麗な薔薇を描くならちゃんと棘まで描かないと、それは薔薇じゃなくて別の何かになってしまう。 だから、いつも使わない色相の絵の具もパレットに出してみたんです。何だかちょっとした冒険みたいでワクワクしちゃいました。描き上がった後の満足感もここ最近俺が描いた中では断トツで、描きたいものを描ききったぞっていう充足感とか、手応えがあって…気持ち良かった。 それでですね…」 …それを、さて話の切れ目は何処だろうかと黙って聞いていたのだが、中々話は尽きなさそうなので、こちらから遮ることにした。 「うん…お前が自分の気に入る絵が描けたのは、よく分かったよ。良かったな」 「はい!」 「…でさ、雪名」 「何ですか?」 先刻から言おう言おうと思っていた文句を、やっと口にする。 「何で勝手に、俺をモデルにしてる訳?」 「ああ、」 目を細めた雪名は、得心したといった具合に一つ頷いて、続けた。 「だって、木佐さんが好きだから」 答えになってねーよ。 話によると、今回の課題のテーマが自由ということで、何を描こうかと悩んだ雪名に先ず思い浮かんだのが、俺だったらしい。 …そのことは、嬉しい。好いた相手に真っ先に思い浮かべて貰ったのが自分で、嬉しくない訳がない。 けれど、不特定多数の人間に見られる学校の課題で、自分の姿が描かれたのは頂けない。恐ろしいことに、こいつのことだから周囲にモデルは誰かと問われて「好きな人です」とさらりと答えてしまっていそうな気がする。想像するだけで恥ずかしくて平然として居られず堪え切れない。一体これは何の試練だ。婉曲な羞恥プレイなのだろうか。 「だって、無性に木佐さんが描きたかったんです」 「だってって…だからって勝手に描くなよ…」 「でも、木佐さん。俺が木佐さんを描きたいって事前に伝えたら、きっと照れて嫌がるでしょう?」 だから事後報告にしました。 にっこりと完璧な笑顔を浮かべるこいつは、やはり確信犯であった。 「うっ……。ああもうっ、じゃあ次からは前払いでモデル料とるぞ!?」 まくし立てて、パクリとスプーンを口に突っ込んだ。まさか本当に金をとろうとは思わないけど、ならば俺のこの羞恥心への対価は何処から貰えばいいのか。 …僅かでも動揺する雪名の顔でも見れば、少しは溜飲が下がる。些細な意地悪を言ってもバチは当たるまい…と思いながら、もぐもぐと口を動かしていたのだが。 「分かりました。じゃあ、俺の体で支払いますね」 「ぶはっ!!」 げほげほと咳き込む俺に雪名がコップを差し出した。ああ、激辛カレーの攻撃力は、あまりにも高い。ひりひりとする舌と喉のせいでもう涙目だ。 「まあ、冗談はさておき」 「冗談かよ………はぁ、冗談で良かった…」 「勝手に描いてしまってすいません。でも、どうしても木佐さんが描きたかったので」 そう言って緩やかに笑う雪名に、最前から感じていた疑問を聞いてみた。 「……だから、何で俺を描きたくなった訳?」 「木佐さんが好きだから」 振り出しに戻った。…何となくはぐらかされたような、本当にそれ以上の理由はないのか、始終ニコニコとしていた雪名の表情からは読み取れないけれど。 (……そんなに嬉しそうに好き好き言われたら、怒るに怒れなくなるっつーか…) 悔し紛れに睨んでみたものの効果は無さそうだったので、残りのカレーに手を付けることにする。 あんなに辛くて仕方なかったカレーの味が少し和らいで感じる位には、俺も嬉しいらしかった。 2012.08.01 小ネタより移動 |