「あー、何もやる気出ねー…。俺、夏バテなのかもー」 吉野の間延びした声は、聞くだけで肩の力が抜ける。 フローリングの上でころんと転がった吉野に、せめてソファーの上でくつろげと言ったものの、砂浜に打ち上げられた魚のように動かない。しょうがなしに腕を持ち上げ、ソファーまで引っ張ってやった。…こいつ、確か春には五月病とか何とか言って、同じように床に転がっていなかったか。 校了が明けたばかりでネームの締め切りにもまだ余裕があるし、こうもだらけてしまうのは仕方のないことかもしれない。が、如何せん腹が立つ。 ささやかな腹いせに、無駄に広いソファーの上で足を伸ばしている吉野の額をこつんと叩いてみた。もぞもぞと身じろいだものの、まぶたは未だ閉じられたまま。完全に寝入ってはいないものの、どうやら起きるつもりはないらしい。 ―――しかし、よくもまあ此処まで無防備に寝られるものだ。 あの花火大会から季節が一巡し、また夏が訪れた。ようやく俺を恋愛対象として意識をするようになったものの、どうも吉野は、自分が俺にとっての性の対象でもあることを忘れがちである。風呂上がりに上半身裸で歩くことしかり、こうして俺の前で体を投げ出して寝ることしかり。時々思い出したように照れ始めたりもするのが可笑しくもあり、大きな不満でもあった。俺はお前が好きだとあれほど言っているのに、どうして一時でも忘れられるんだ。リラックス仕切った吉野の顔が今日はやけに腹立たしいのは、この暑気でシャツが汗でベタついてイライラしているからだ。 …しかし、ここでこのまま吉野の顔を見下ろしていてもしょうがないか。いくら睨みつけたところで、どうせ吉野は起きないだろうし時間の無駄だ。キッチンにでも立ち去ろうかと身体の向きを変えたら、急に手に熱が灯る。 吉野に手を引かれたのだと気付いたのは、ソファーの上の吉野に覆い被さるような形になってからだった。案外強い力で手を掴まれたせいで、バランスを崩しかけて倒れ込んでしまう。完全に油断していた。 ぶるりと震えた吉野の声が、肩口から聞こえる。 「クーラー強過ぎた…、寒い」 ――だから、あれほどクーラーの設定温度を下げすぎるなと言ってあるのに。 肌寒そうに身をすり寄せてくる吉野に、益々嘆息したくなった。俺は暖をとるための手近な道具か。 また募った苛立ちを晴らすために、白い頬に舌を這わせる。 「ひゃ…っ?」 間の抜けた声を上げた吉野が、漸く目を開けた。 「な、何すんだよ、お前…」 「何するんだは、こっちの台詞だ。いきなり危ないだろう」 まだ掴まれたままの手を見せると、吉野は小首を傾げた。 「なんで俺がトリの手を掴んでるの?」 「…それは、俺が聞きたいんだが」 多分吉野の先の行動に深い意味などなく、寝ぼけただけだ。何だか苛々するのも馬鹿馬鹿しくなってきた。 「………もういい、俺も昼寝する」 「えっ?ちょっと…、トリっ」 途端に慌てた吉野に構わず、ゆっくりと体を降ろす。 重なった体の、しっとりと汗ばんでいく手や、シャツ越しに触れた胸がひどく熱い。 どくどくと脈打つ吉野の心臓の音に気が付いて、先ほどまでの溜飲が下がる。多少は意識したのなら、吉野にしては上出来だ。無意識じゃなくて、ちゃんと俺を見てくれるなら、それで良い。 吉野の熱の心地よさに、緩やかに目を閉じた。 夏バテなのは、夏の暑さに負けたせい。 2012.07.11 |