――――――結局、会社帰りにプレゼントを買うという計画は、実行出来なかった。 ここ数日、帰宅直前になって作家との打ち合わせや急ぎの仕事が入ったりして、帰宅する頃にはいつも店が閉まっている時間になった為だ。 もっと早く雪名の誕生日に気付いていたら…と後悔するものの、今更後悔しても仕方ない。とりあえず、会社の近くの夜遅くまで開店しているケーキ屋に、仕事の合間に電話で予約していたバースデーケーキを受け取りに行く。 雪名のことだから、「誕生日プレゼント用意出来なくて、ごめん」と言っても、「気にしなくていいですよ」と笑って応えそうだ。それは、雪名に家事を任せていることだとか、急な仕事でデートをドタキャンしてしまった時に木佐が謝れば、雪名がいつも言う台詞だ。 (…せめて今日くらいは、そういう台詞を言わせたくなかったのにな) 沈み込んでいく気持ちを引きずりながらも自宅に帰れば、木佐の家には既に電気が点いていた。 玄関のドアを開けると、負い目を感じていた木佐には眩し過ぎる笑顔をした雪名が出迎えた。 「あ、木佐さん、お帰りなさい!今日は早かったですね」 「ただいま…」 今日の雪名も相変わらずのスマートな王子様振りで、木佐の荷物をひょいと持つ。そこでふと、もう片方の手にある箱に気付く。 「あれ、木佐さん、その箱…」 隠したり、もったいぶる必要もないので、木佐はあっさりと「ケーキだよ」と応える。 「ええっ!ケーキっすか!?」 すると雪名は吃驚した様子で、木佐とケーキの箱とを交互に見ている。 ………もしかして、今どきの若者には、誕生日にケーキはありきたり過ぎて逆に物珍しいとか?いやまさか雪名はそんな事は考えまい…既に今日は友達とケーキを食べた後だから、この上またケーキを貰うのは微妙なのかも。 「…ケーキ、嫌い?」 後ろ向きな思考のせいで幾つか思い付いてしまった理由のうちのひとつを尋ねれば、雪名は「そういうわけじゃないんですけど…」と言って、またまじまじとケーキの箱に目をやった。 「あの…聞いても良いですか、木佐さん」 「何」 「これ、もしかして、俺の誕生日のケーキです?」 「そうだけど…俺がケーキ買ってくるの、そんなに変?」 木佐が怪訝な顔で問いかける。雪名は暫く躊躇った後、両手でそっと木佐の頬を包んだ。雪名に触れられるのは久し振りだ。ここ暫くは仕事も不規則で雪名と生活リズムが合わず、顔を合わせても触れ合うことはなかった。 「怒らないで下さいね、木佐さん。…実は俺、今日が俺の誕生日だってこと、木佐さんは覚えていないと思ってて」 「はあっ?」 木佐の反応を見た雪名が、やんわりと手を離した。雪名は眉を少し困ったように下がらせている。どんな表情をしてもつくづく絵になる男だと頭の片隅で思いながらも、木佐は雪名を見る。 「だって、俺の誕生日は、前に一回チラッと教えただけだったでしょう?」 まだマフラーやコートが手放せない季節だった頃、雪名と別れると揉めた。その時に、「お前のことは何も知らない」と言った木佐に、雪名が身長や体重や家族構成などのプロフィールをペラペラと語り出したことがあった。確かに、あれ以来雪名から誕生日のことに触れられたことはなかったが…あのあと実は、雪名の誕生日が9月6日だということを忘れないようにこっそりとメモしていたのを、雪名は知らないのだけど。 「キッチン行ってもらったら分かるんですけど、俺、今日はいつもより豪華なご飯作ったんですよね。誕生日だから木佐さんと、いつもよりちょっと良いご飯を食べて、一緒に居られればいいなと…」 「………………」 そう言って微笑む雪名に、木佐は脱力する。何だか頭まで痛くなってきた。 「…つまりお前は、俺から祝って貰うことを期待していなかった、と」 「いえ、そんなことが言いたい訳では…木佐さんに負担もかけたくなかったし、おめでとうって言って貰えればそれで十分だったというか…だから俺、今凄く嬉しいんですよ?」 「そりゃ、俺も今回はプレゼント用意する暇がなかったんだけど…でもさ、」 「それは気にしなくていいですよ。木佐さん忙しいんですし」 『気にしなくていいですよ』 聞きたくなかったその台詞に、頭の中で何かがぶちっと切れる音がする。 「…例えお前が気にしなくても、俺が気にするんだよ、俺が!」 「え、」 「雪名、前々から思ってたんだが、お前はもっと我が儘を言え!俺とお前は、その…恋人なんだから、負担とか考えて、いちいち気を使い過ぎるな!誕生日くらい幾らでも祝ってやるから」 こっちにも年上の面子というものがある。普段から木佐を気遣って家事全般をしているのだから、誕生日くらい思いっきり甘えてくれればいいのに。 しかし、一度怒ってしまえば頭がすうっと冷えてきて………今日が誕生日の相手に対して、俺は一体何をしているのだろうか。木佐の剣幕に、雪名は珍しくキョトンとして黙っている。 「悪い…怒っちゃったな、俺」 頭に上っていた血が下りてくるのを感じながら木佐が謝罪すると、暫くして雪名が口を開いた。 「我が儘…言ってもいいんですか?」 それを口にする雪名の表情は、欲しがっていた玩具を買ってあげると言われた子供のような幼い顔で。いつでも王子様のようで完璧な雪名が見せる年相応な姿に、木佐も自然と口元が緩む。雪名も、そんな木佐の様子を見て顔を綻ばせた。 「何でも言えよ、俺に出来ることなら何でもする」 「じゃあ、木佐さん。今日はご飯を食べて、その後で木佐さんの買ってきたケーキを食べましょう」 「うん」 「それから、木佐さん」 些細な雪名のお願いに頷いた木佐だったが、ぐいっと両肩を捕まれて、木佐の目線まで屈み込んだ雪名と目を合わせる。 「木佐さんが、欲しいです」 …こいつ、実は全て計算してやってるんじゃないのか、と木佐は時々思う。今自分がどんな顔をしていて、それが木佐をどういう想いにさせるのか、分かっているのではないか。そうでなくては、どうして雪名はいつも木佐をこんなにも動揺させられるのだろう。 「…誕生日じゃなくても、あげてるつもりだったんだけど」 「はい。でも、もっともっともっと、いっぱい欲しいんです」 照れ隠しに雪名の額を軽く叩けば、雪名は「いてーっすよ」と笑った。以前なら一目見るだけでドキドキしていた雪名の顔を叩くなんて出来なかったし、何だかんだで数ヶ月の半同棲生活を経て、雪名の顔に少しは慣れたのかもしれない。…煩いくらいの心臓の音を鎮める方法は、まだ見つからないけれど。 ―――今年は間に合わなかったけど、来年の誕生日はちゃんとプレゼント渡すから。 木佐がそう言うと、雪名は「木佐さんと来年もそれから先もずっと一緒に居られるんだったら、それは俺にとって一番の贈り物ですよ?」と言ったので、どんどん熱くなる顔を見られないように俯いた。 ハッピーバースデー、雪名! 2011.09.06 |