May 2 | ナノ

「吉野って、いつも羽鳥と一緒に居るよな」
授業開始のチャイムは鳴ったのに教師がまだ来ない。手持ち無沙汰な俺は、今日も今日とてルーズリーフにガリガリと絵を描いている吉野に、吉野を気になり出してからずっと思っていたことを投げかけた。ピタリと手を止めた吉野は、目をぱちくりとさせて首を傾げる。
「そうかな?」
自覚していなかったらしい。吉野にとって羽鳥は空気のように当たり前の存在なのだろう。そして俺はそんな存在ではない。
…分かってはいたけれど、改めて思い知らされると胸の奥がちりっとしたので、自分で向けた話を方向転換する。
「つーか、そんなに落書きばっかして、ノート提出の時とかどうするんだよ。お前授業中寝てるか落書きしてるかどっちかじゃねーか」
「俺が何のためにルーズリーフ使ってるか分かる?」
悪戯っぽく笑って、イラストがもう紙面一杯になった一枚をパチリと外す。成る程、どうやら都合の悪いページはすぐに抜き取る腹積もりらしい。残った板書のページの圧倒的少なさで吉野が授業を聞いていなかったことはすぐ分かると思うが、見られた時の心象の悪さは多少軽減されるだろう。
けど、こんな風に都合の悪い部分は簡単に取り去ってしまうことが出来たら、苦労無いよなあ。
ちらりと前を向くと、最前の席で相変わらず生真面目に座る羽鳥が目に入る。未だに俺は羽鳥が何かと気にくわなかった。





そんな羽鳥への印象が変わったのは、五月も半ばを過ぎた頃のことだ。
放課後、忘れ物を取りに行った教室で羽鳥と出くわした。クラス委員をやっている羽鳥は先程まで委員会があったようで、今は鞄を取りに戻っただけらしい。
教室で気にくわない相手と二人っきり。正直気まずい。かと言って無視をするのも変かと思い、軽い調子で声をかける。
「よお、羽鳥。今帰り?」
「ああ」
頷いた羽鳥は一瞬だけ目を見張り、俺の方に歩み寄る。俺に何か用があるのかと思ったら、どうやら違った。吉野の席にかけられた小さなバッグを手にとって、小さく溜め息を吐いた。
「………あいつ、弁当箱忘れて帰ってる」
「…あ、ホントだ」
思わず苦笑する。きっと明日の吉野は『昨日弁当箱を忘れて帰って母親に叱られた』とこぼす羽目になるだろう。羽鳥もうっすら苦笑して、バッグを自分の鞄にしまう。
「ん?なんで羽鳥が吉野の弁当持って帰るの?」
「家が隣同士なんだ。届けてやろうかと思って」
そう言えばそんなことも聞いたことがあるような。以前吉野が『トリとは生まれたときからの幼馴染なんだ』とか言っていた。
さも当たり前のように吉野の私物を鞄に入れる羽鳥が、また何となく気にくわなかった。こんな風に吉野が忘れ物をして羽鳥が届けるといったことは、きっと二人の間には昔からよくあることなのだろう。そこにここ最近吉野と話すようになった俺の入る余地などある筈もなく、余計にムッとしてしまう。
だから、つい口を滑らせてしまった。

「羽鳥って本当に世話焼きなんだな。いくら幼馴染とはいえ、おかしいよ。母親でもあるまいし、そんなにやたら面倒見なくていいんじゃね?
ああ、それともお前ホモとか?吉野のことが好きで、それでいちいち構うとか……」

そこまで言って、自己嫌悪に陥った。ホモは俺だろう、吉野と親しい奴に小学生みたいな嫉妬をして。
しかも、いくら内心で気にくわないと思っていた相手とはいえ、いきなりのホモ呼ばわりは失礼だ。
とりあえず謝っておかなければ。羽鳥のことは気にくわなくても、これから約一年同じクラスで机を並べる羽鳥と険悪になることは望んでいないし。そうだ、さっきみたいに軽い調子で謝って、冗談にしてしまえばいい…
そう思ったのに、どこか虚空を見つめている羽鳥の表情を見たら、何も言えなかった。

「……そうだな。おかしいな、俺は」

自嘲めいた顔だった。
普段の真面目くさった固い顔を何処へやったのだろう。いつもの羽鳥から余裕と取り繕いを剥がしたら、こんな顔なんだろうか。こいつがこんなに分かり易く表情を変える所を初めて見た気がする。
そして俺はさっき、羽鳥の心の柔らかい部分にザクリと傷を付けてしまったのだ。多分、俺の軽々しい台詞の何処かで。だって羽鳥は冗談にしては大袈裟な位沈んだ顔をしている。
「あの……何か、悪い。変なこと言っちゃって…」
自然と口から出た謝罪に、羽鳥がいかにもな作り笑いをした。
「お前は思ったことを言っただけだろう。変じゃない」
肩にかけていた鞄を持ち直した羽鳥は、じゃあなと言って帰っていった。





―――あの時の羽鳥は、一体何だったのか。
相変わらず凪いだ海のように静かな金曜日の五時間目。数学教師の声をBGMに考えていたけれど、俺の中に答えは見つからない。途中までは合っていたのに、どこかで計算違いをしてしまった数学の問題みたいにモヤモヤとした。
教師が黒板にカリカリと計算式を書き込む。いつものようにうとうととするクラスメートが多い中、羽鳥は今日も生真面目にノートをとっていた。その横顔は至って普通で、この間の自嘲めいた笑みは全く残っていない。

吉野は知っているのだろうか、羽鳥があんな顔をすることを。いや、知らないだろうな。
俺の知る限り、羽鳥は吉野と一緒に居る時はいつも、何かと手間取る吉野にしょうがない奴だと顔をしかめてばかりだ。時々、ふわりと微笑も浮かべる。大口を開けて笑うことも、反対に悲しそうな顔も見たことがない。
…今にして思えば、俺は羽鳥の喜怒哀楽に乏しい表情が苦手で気に入らなかったのだろう。
あの時以来、俺の羽鳥に対する印象は変化した。相変わらず仏頂面の下で何を考えているのか読み切れないとは思うが、彼もぐるぐると陰鬱を押さえ込んでいる時もあるのだと思うと、なんだ人間らしいところもあるんじゃないかと親しみが持てるようになったのだ…現金なことに。真面目くさった顔でノートをとっているよりは余程良いと思った。
そうだ、次に羽鳥に声をかける時にはちゃんと謝らないと。何をどう謝ったら良いのか分からないけど。

そうして悶々と考え込んでいるうちに、何だかどうしても吉野の顔が見たくなってきた。羽鳥と違ってくるくると動いてみせる吉野の顔は今はどんな色を浮かべているのか気になった。
教師が長い計算式を書き終える前に少しだけと、後ろを振り返る。今日の吉野はすやすやと寝息を立てていた。窓からの五月の陽光が当たって、髪やまつげがきらきら輝く。
そっと手を伸ばす。今日は柳瀬のノートに邪魔されることもなく頭に触れることが出来た。
予想通り柔らかかった髪をくしゃっと掻き上げると、身じろぎをした吉野がもぞもぞと唇を動かす。

「トリ…」

何もかも預けきったみたいな顔でへらりと笑った。

そのとき頭の中に浮かんだのは、単純な数式だ。

1+1=2
1−1=0

吉野は羽鳥の名を呼んでこそ一番無防備に笑える。
羽鳥は吉野のことで何とも暗い表情になる。けれど明るい吉野には見せない。
完成された単純な計算式には俺が途中で割って入る隙はない。きっと吉野の出す答えに、俺の姿なんか陰形もないんだ。
多分最初からわかっていたのかもしれない、途中で計算を間違ったまま進めていたということを。だからイライラしていた。

吉野を起こさないように再びそっと手を離して、前を向いた。





六月に入って行われた席替えでは、俺はまた窓際の列を引き当てた。
吉野は今度はドア側の列の最後尾を引き当て、相変わらず授業中に落書きや居眠りばかりしているのがよく見られる。
吉野と席が離れたことに少しほっとしている自分が居る。告白する前から振られたみたいな不完全燃焼の感情がまだくすぶっているのだから、距離が空いたのは幸運だった。間違えた数式のことなんか、とっとと忘れてしまった方が精神衛生上いい。

「トリー、ノート見せてー」
「またか…」

やれやれといった顔で、隣の席の羽鳥がノートを取り出した。
羽鳥は今回の席替えでまたしても教壇の真ん前というポジションを引き当てていた。吉野は「トリって本当にくじ運が無いよな」と笑っていたが、ふと気付いた。
『っていうか、前から思ってたんだけどさ。トリは背が高いんだから、前の席にいたら後ろに座ってる奴に迷惑じゃないか?後ろの方の席の奴と代わって貰えよ』
吉野の発言にそれもそうだとクラスの皆も頷いて、吉野の隣の席を引き当てていた女子が羽鳥と席を交換した。迷惑と言い切られて複雑そうな顔になった羽鳥だったが、今は最初からそうするのが自然だったみたいに吉野の隣に収まっている。少しだけ羨ましい。

「…やっぱり俺、羽鳥は気に入らないかも」
ぽそりと呟いた俺の言葉は、現在の後ろの席の奴に聞かれていた。目を丸くされる。
「えっ?何でだよ、羽鳥良い奴じゃんか」
最近良い奴だと分かってきたから、尚更嫌なんだけど。
俺が五月中頭を抱えていた問題を知られたくはなかったので、そうだよなと曖昧に笑っておいた。











ちい様リクエスト「学生時代で、千秋のことが好きな子が千秋に接近してアプローチしようとするが、トリや優に邪魔されてアタック出来ないという話」でした。リクエスト有難う御座いました!
ちい様には前回も学生時代のトリチアでリクエストを頂いていました。この度頂いたリクエストでは、千秋のことが好きな子の性別や設定はお任せとのことでしたので、前回同様かなり好き勝手させて頂きました。楽しかったです^^
千秋を好きな子が女の子ならトリと優は寂しそうにしながらも妨害はしないのかなと思ったので、羽鳥のことが嫌いな男の子にしてみました。何となく千秋のこと好きな子同士って中々仲良くなれないイメージがあるんです…うーん、羽鳥と優が犬猿の仲だからでしょうか。
2012.04.12
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