グッバイ、サマーデイ | ナノ
「暑い…めちゃくちゃ暑いっ!」

…と叫んだ吉野だが、叫んだところで涼しくなる訳はなく。
窓を全開にして、扇風機を最大出力にしても、流れる汗が止まらない。もう秋も近いというのに、今夜は真夏のように蒸し暑い熱帯夜だ。汗のせいで身体に張り付いたTシャツが、鬱陶しくて仕方ない。
かくなる上は冷たい飲み物で涼をとろうと冷蔵庫を開けようとするが、後ろからすっと伸びてきた手に遮られた。
「やめておけ、吉野。あまり冷たい飲み物ばかり飲んでいると腹を壊す」
吉野の手首を掴んで、羽鳥が不機嫌そうに言う。いつもきっちりとスーツを身に付けている羽鳥にしては珍しく、胸元のボタンが開けられ、腕まくりもしている。やはり羽鳥も暑いのだろう。
「クーラーが故障して暑いのは分かるが、前に冷たいものを食べ過ぎて腹を壊したことがあっただろ。少し抑えろ」
そう、現在、吉野の家のクーラーは故障している。この夏に酷使をしまくったからか何なのか分からないが、リビング、仕事部屋、寝室…全ての部屋のクーラーが一斉に壊れてしまった。原稿中に壊れた訳ではないのがせめてもの幸いだったが、こんな暑さの日にクーラーがないのは厳しい。
明日には全てのクーラーを修理して貰うことになっているので、暑さを堪えるのも今晩限りなのだが、吉野には今夜が途方もなく長く思える。

冷たい飲み物は暫く諦めて、吉野はソファに座る。パタパタとうちわを扇ぎながら、隣に腰掛けた羽鳥に、ふと思い付いたことを聞いてみる。
「じゃあさ、トリ。何か怖い話とかない?すっごい涼しくなれるようなやつ」
ほら、夏と言えばホラーじゃん、と言って吉野が微笑む。
羽鳥は編集業をする際に参考になるので、少女漫画以外の本もよく読む。吉野も漫画の知識なら羽鳥には引けをとらないつもりだが、羽鳥は吉野より色々な物語を知っている筈だ。
「怖い話、か…」
ワクワクと目を輝かせる吉野とは対照的に、羽鳥は眉間に皺を寄せて語り出す。
「3ヶ月前のデッド入稿の時に、やっとお前から原稿を貰ったので印刷所に向かった。原稿を渡す直前に最後のチェックをしてみたら、完成した原稿の間から、あるはずのない真っ白な原稿用紙が一枚…」
「もういい!もういいです!すっかり涼しくなりましたー!!」
慌てて自分の耳を塞ぐ吉野だが、話を途中で止められた羽鳥は不満そうに言う。
「…ここからが、もっと怖くなるぞ?思わず呆然とした俺に、痺れを切らした印刷所の…」
「聞きたくないーっ!」
吉野は、怪談やホラーなどのフィクションで怖い話が聞きたかった訳であって、つい最近の自分の恐ろしいノンフィクションを思い出したかった訳ではない。
いつも修羅場に付き合わせている柳瀬さえ、後に「流石の俺もあの時は、もうムリだと思ったね」と言う程の酷い状況だったのだが、奇跡的に雑誌の発行は間に合った。印刷所に謝り倒して、どうにか残りの真っ白な原稿の完成を待って貰った羽鳥の苦労は、吉野には計り知れない。
「大体、俺が聞きたかった怖い話っていうのとは、ちょっと違うっていうか…確かにあのことは思い出すだけで肝が冷えるんだけどさ」
「お前が『怖い話』と言ったから話したんだろうが。作家と編集にとって、ヘタなホラーより怖い出来事だと思うが」
「…本当に、すいませんでした」
この件に関しては羽鳥には何も言い返せない。全てが終わってから二人で大反省会をしたが、原稿の最終チェックが疎かだった吉野に多くの非がある。
しゅんと頭をうなだれた吉野に、羽鳥は溜め息を一つついて「もういい」と言った。

「じゃあさ、何かないかなー、暑さも忘れられるようなこと!」
重くなった空気を変えるべく、吉野が明るい声で言う。先程、羽鳥の話のおかげで涼しくなったと言った吉野だが、相変わらずじわりとTシャツに滲んでくる汗が気持ち悪い。Tシャツの首の部分に指をかけてうちわで風を送ってみたら、少し気持ち良いものの、羽鳥には苦い表情をされる。
「…Tシャツが伸びるだろ」
「いーよ、これ、部屋着だし」
吉野の言葉に、羽鳥が益々しかめ面になった。

(…つーか、なんだよトリ。今日はずっとムスッとして…いや、暑くて不機嫌なんだろうけど)

そう思って、少し気まずさを感じる吉野だったが―――――吉野は気付いていない。
汗で少し湿った髪が首に貼り付いたりだとか、先程の話で涙ぐんだせいで潤んでいる目だとか、Tシャツから覗く胸元の様子が、羽鳥には魅惑的に思えていたということを。

「…暑いんだったら、もっと熱くなれば気にならないだろう」
「…へっ?」

そうしてソファに押し倒されて、互いの汗がわからなくなる程に熱くなれば、暑い夜はいつしか明けて朝になっていた。










2011.08.31
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